アーシャ・リボルヴァという女。【後編】
そうして夕食。
先ほどの面子にイオを加えて、六人での食事だった。
最近、アーシャの提案で村の食事は、外に出れない者が持ち回りで行っている。
料理が得意な者一名を専属に、希望する者はその炊き出しを食べ、代わりに持ち回りに手伝いとして参加するか、別の労働をするという形になっていた。
特に強制ではないのだが、美味い食事にありつけると男連には評判が良い。
今日の炊き出しは、肉や野菜の具沢山スープだった。
女性陣が住む家の居間は机もあり、五人入ると狭いので、家の前に焚き火を起こして全員で囲む。
最近はこれに、シュライグやダンヴァロ親子を加えたり外れたり、という面々で食事を摂る事が多かった。
アーシャがいない間、何となく村の意思決定がその面々の話し合いで行われる事が増えたからだ。
食事時というのは、話をするのにちょうど良いのである。
「ロウシュは、何でアーシャの師匠なんかやってたんだ?」
ウォルフガングが雑談混じりにそう問いかけると、ロウシュはズズーと汁を啜ってから答える。
「別にやりたかなかったが、やれと言われたからな! それに雑魚弟子は弱ぇが面白ぇしな! 出来ることしかしねぇテメェらと違って、やる気と根性だけは有り余ってるしな!」
「ぐっ……その一言は余計だろ!」
中々痛いところを突かれて、ウォルフガングは呻いた。
実際、色んなことをしようとするアーシャが来る前と来た後では、村の中の雰囲気が明らかに違うのだ。
皆が笑顔でいることも増えたし、外に非力な者が出なくなったことで、魔獣の被害も今までよりも遥かに抑えられている。
何より、全員が十分な食事を摂れていることで体調を崩すことも減り、結果的に皆が助け合って上手く回るようになっていた。
今まで何もしていなかったウォルフガングらの怠慢、と言われてしまえば、反論出来ない。
それが証拠に、アーシャがいない半月間、彼女がいなくてどうしていたのか分からず困ったこともあれば、相談された困りごとにもすぐに案が出なくて、うんうん唸ったりしていた。
それでも何となく良さそうな答えが出ることもあり、知識があるとかないとか以前に、そういう『より良い』生活の為の話し合いを、自分たちはして来なかったのだと気付かされたのだ。
あの脳筋のシュライグですら、最近は村の安全だけでなく、困りごとがないか積極的に聞いて回るくらいである。
「イオ、わたくしもういらないので、こちら食べてくれないかしら?」
「あ、じゃあ……」
残り物を、まだ育ち盛りのイオが欲しそうに眺めていたのを目ざとく見ていたのだろう。
やっぱり食欲がないらしく半分くらいしか口にしなかったアーシャが、そっと自分の容器を押し出している。
そうして、ロウシュにチラリと目を向けた。
「お師匠様、わたくしに根性があるのではなく、周りが根性なしなだけですわよ! ナバダのように!」
「はぁ? ……まぁ、根性、ね。確かに、根性だけはあるわね。だけはね」
「何か言いたい事があるなら、はっきり仰っても宜しくてよ?」
喧嘩を売られたナバダが含みのある薄笑いを浮かべるのに、アーシャはニッコリと言い返す。
ーーー妙なヤツだよな。
ウォルフガングはアーシャを仲間だとは思っている。
だが、好戦的だし、ダンヴァロにいきなり突っかかるし、貴族だし、ムカつくことばっか言うしと何処か複雑な反感も持っていた。
しかし彼女は、ベルビーニのような子どもには優しいし、理由もなく人とぶつかるようなタイプではないのだ。
今のように、ナバダにだけは自分からも突っかかって行ったりするが、むしろ普段は気遣いの塊のような女なのである。
それも、押し付けがましい気遣いではなく、今のイオに対するように、相手に遠慮させないような気遣いをする。
だからこそ、ウォルフガングは気になっていた。
何故彼女は、時に途方もなく反感を買いそうな強硬手段を取り、また反感を買うような言動を口にするのか、と。
例えば、皇帝に関すること。
例えば、革命軍結成に関すること。
例えば、ウォルフガングと言い合いをした時のこと。
ーーー『喪ったものしか見えないのなら、生き恥を晒さず、今すぐに亡くなられたご令嬢の後を追えば宜しいですわ』。
何故、ウォルフガングにそんな風に『死ね』と言ったのか。
そうした行動が、アーシャ本来の気質には合わないものであるように思えて来ていたのだ。
彼女は、皇帝がウォルフガングらを金化卿諸共殺そうとした時、自分の全てを賭けてヤツに頭を下げた。
ーーー『未だ陛下の御心に届かぬだけの者らにございます。どうかお慈悲を』と。
その矛盾は、何なのか。
ずっと気になっていたそれを、ウォルフガングは尋ねてみることにした。
「お前は、何で俺が南の大公や皇帝を恨むことを否定するんだ?」
人の選択を尊重する。
その上で利害が対立すれば、殲滅する。
理念は分かる。
だが、アーシャは新しいことを始めようとした時に難を示した村人に対しては、丁寧にその理由を説明して、寄り添い、納得させていた。
そうしたやり方が、彼女には出来るのだ。
だから、アーシャがウォルフガングの復讐に対してはあんなことを口にした理由が、知りたかった。
大義などではなく、彼女の気持ちを。
誰よりも自分に厳しく、他人には本来、心から優しいように思える少女の内心を。
すると、ナバダとの言い合いをやめたアーシャは不思議そうに瞬きをした。
「あら、わたくしは別に貴方の復讐を否定してませんわよ?」
「……だが、『皇帝を恨むなら死ね』と言ったじゃねーか」
「言ってませんわよ。喪ったものしか見えないなら後を追った方がよろしい、と言っただけですわ!」
「何が違ぇんだよ」
「だって、わたくしには貴方の気持ちが分かりませんもの。何か別の答えが聞きたいなら、それを聞く相手はわたくしではありませんわよ!」
全然意味が分からない。
さらに言い募ろうとしたところで、ナバダが半眼でアーシャを見る。
「それじゃ伝わらないわよ。あんたは本当に、皇帝の絡む話になると自分側から見た物言いしかしないわよね」
「……なら、どう言えば伝わるんですの?」
アーシャが首を傾げるのに、ナバダがこちらを見る。
「ウォルフ。あんたは否定されたように感じたかもしれないけど、違うのよ。あたしもここに来る前にアーシャに『死ね』って言われたわ」
「は?」
「イオが取り戻せないと思ってるって、口にした時にね……結果的には、ここに来て、一緒に暮らせるようになったから良かったんだけど」
少しバツが悪そうに、弟の顔を見た彼女は、すぐにこちらに目線を戻す。
「アーシャは厳しい話をしてるんじゃないの。……あんたの話に関しては、分からない、と、死ね、が、アーシャにとっては『一番誠実で優しい言葉』なのよ」
「……やっぱり、全然意味が分かんねーんだが?」
それの何が優しいのか、と思っていると。
「 皇帝が死んだらアーシャは自分の頭を撃ち抜くの。それ以外の答えなんて、ないのよ」
と、ナバダが続けた言葉に、ウォルフガングは一瞬理解が追いつかなかった。
「……一緒に死ぬ、ってことか?」
「ええ。アーシャ・リボルヴァの皇帝への忠誠は、普通じゃないの。共に生きる為なら命を賭して辺境に飛び出すし、皇帝が死ぬならこの世にいないの。『その先』なんてもんは、無いのよ」
「あら、ナバダ。やっぱり貴女は、わたくしの敬愛と忠誠をよくご存知ですわね!」
「別に知りたくもなかったけど、あんだけ一緒に居りゃ分かるのよ! あんたはちょっと黙ってなさい!」
まったく、と頭を振ったナバダは、言葉を重ねる。
「一番大切なものを喪った時に『それでも生きる』人間の気持ちが、こいつには分かんないの。だから、答えを聞くのは自分じゃないって話になるのよ。一番大事なものを喪って生き残った人間として、折り合いをつける……その答えはアーシャに聞くんじゃなくて、例えばダンヴァロに聞いたりとか、自分で見つけるしかないって話なのよ」
言われて、ウォルフガングは考えた。
後を追う。
そうでない選択を自分がしたのは。
「あたしにイオが居るように、ダンヴァロにはベルビーニがまだいるわ。彼は死んだ奥さんと同じくらい大切なものが、まだあったから、生きた。……あんたは、復讐の為よね」
「……ああ」
南の大公を、皇帝を、腐った貴族を放置した連中を、絶対に許さないと。
ウォルフガングはそう誓ったのだ。
だが。
「なら、復讐が終わったらあんたは死ぬの?」
ナバダの問いかけは、ウォルフガングが考えもしなかったことだった。
「……分からねーよ、そんなこと」
『その先』なんて考えたこともない、と思って。
ウォルフガングは、それがアーシャと同じ思考であることに気付く。
終わった先を、考えていない。
だから、『分からない』のだ。
さらに、アーシャの答えは『共に死ぬ』こと。
その場で終わること、だ。
だから二つの回答が、誠実で優しいと。
「気づいた? あんたがその後を考えてない、ってことは、復讐をすることが『自分の心に折り合いをつける為』ですらない、ってことなのよ」
「……!」
南の大公や皇帝に復讐をすれば……自分の心に折り合いがつくのか。
そうはっきりと問われて、ウォルフガングには答えることが出来なかった。
「アーシャは、あんたのことを一番に考えて、そういう話をしたの。……それが自分にとって一番優しい答えで、他の誰も傷つけない答えだから」
「誰も傷つけない? ……そいつは、南の大公を放置するのが正解って話か? あいつを放置したら、俺と同じ目に遭うヤツが出てくるだろ!」
だが、反射的に口にしたその言葉に、アーシャが反応した。
「だから、放置はしませんわ。わたくしが、民の為に、放置しないとお伝えしたでしょう? けれど、まだ自分の心とすら折り合えていない貴方には、今、口にした話の結果を背負う覚悟がないでしょう?」
「結果って何だよ」
「南の大公を倒す……その復讐の前に何があるか、その後に何が残るか。貴方は本気で、考えた事がありまして?」
アーシャは、あくまでも静かに言葉を重ねる。
「南の大公を倒すということは、彼の地に侵攻するということ。そこには無辜の民がいて、生活があるのですわ。南の大公を守る為に、自らの暮らしを守る為に、立つ者がいるでしょう」
「だからどうした。南の大公を守ろうとするなら、そいつは敵だ」
「そうですわね。ですが、それが貴方と同じくらい強く、屈強な男性とは限りませんわ。もしかしたら直轄領に住む母を守る為に立つ、幼な子かもしれないのです」
そう言われて、ウォルフガングの脳裏にその景色が浮かび上がる。
自分達が、南の大公の直轄地に侵攻した時。
ベルビーニのような小さな体で、震えながら槍を構え、母親を後ろに庇う少年を幻視する。
攻めてきた自分を見る、怯えた瞳を。
「貴方は、その幼な子を殺せますの? 自らの復讐の為に、今後同じ目に遭う者を出さぬ為に……より良き未来の為に、今を生きる者を蹂躙する側になる自分を、赦せまして?」
「……ッ」
復讐の為に。
自分が、復讐する相手と同じ立場になる。
考えていたかと言われれば……考えていなかった。
ウォルフガングは、自分のことだけを、今の今まで考えていたのだ。
口では『人の為』と言いながら。
「もしそれでも復讐を完遂して、南部を降した時。後ろを振り向けば、そこに居るのは為政者を失った民なのです。シャレイドが村を纏め上げるように、彼らを纏め上げられなければ。南の大公が立っている今が比にならない凄惨な混乱が、南部を襲いますのよ。誰が纏めますの? 纏めなければ、更なる弱肉強食を始める者らを。食われぬように対抗する手段を、持たぬ者を」
ウォルフガングは、顔を歪めた。
ただ、悪しき為政者を倒せば……恨んだ相手を倒せば、それで終わりだと思っていた。
ウォルフガングの復讐は、あくまでも、ウォルフガングだけのものだったからだ。
その後どうなるか。
責任は自分以外の誰かにある、誰かがやる……と、無意識の内に考えてはいなかったか。
相手が悪いから、何をしても自分は悪くないと。
そんなウォルフガングの内心を見抜いたかのように、アーシャはさらに言い募る。
「貴方の復讐……一人の民の復讐の為に、仮に貴方より救われるべき十人の民が、路頭に迷うことが分かっているのであれば。貴方ではなくその十人を救うことを、わたくしは選びますわ。この皇国は、わたくしにとって陛下そのもの。故にそこに住まう、より多くの民が未来まで平和と幸福の内にある為に、今、害となる者を撃ち抜くのが、わたくしの役目なのです」
「俺が……その、害だと?」
「なり得ますわ。過剰な報復を望む以上は」
アーシャは、笑みを消して淡々と告げる。
「『命の対価』は、命をもって贖わせることが、最後の手段なのです。そして貴方はもう、恨みの対象である伯爵家令息を始末したのでしょう。であるなら、貴方の大義はともかく情は、そこで折り合わねばならなかったのです。本来は」
情は、個人的な復讐心。
大義とは、ウォルフガングの口にした『他の者を同じ目に遭わせないように』という発言だろう。
だがウォルフガングの大義には、その結果に負うべき覚悟がない、と。
「最後の罰である『命の対価』を対象に既に支払わせた以上、貴方の復讐は、それ以降全てが過剰なのです。その終着点に陛下がいらっしゃるのであれば、そして行く道に覚悟なく民の屍を積み上げるのであれば……貴方は、最後にわたくしの敵となる。貴方に、陛下以上に善く皇国を治められはしないのですから。ですから問うています。覚悟はあるのかと」
「……」
ウォルフガングは、答えられなかった。
ナバダが間に入ったことで、ようやく彼女の発言の真意を知った。
『より弱き者たちが、ウォルフガングの復讐心の為に犠牲になるのを許容しない』という言葉の意味が、理解出来た。
理解出来て、しまった。
「貴方一人の情に忖度して、国は治まりせんわ。倒した相手以上の幸福を民に与えることが出来ないのであれば、復讐は連鎖しますのよ。南の大公、果てに陛下を狙うことを貴方が是とするのであれば……同様に、貴方もご自身が狙われた時に、それを許容せねばなりません。あるいは、狙ってきた者の命を奪うことになります。区切りを定めないのであれば。そして貴方が殺し、殺されれば、今度は貴方やその人を大切に想う者達が、復讐者となる。……最後の復讐者が、たった一人で立つ場所は、果たして『国』なのですか?」
アーシャの言い分は、どこまでも正しかった。
だから、呻くように問いかける。
「だったら、どうすりゃいい……復讐を、諦めろってのか」
「言い方次第では、そうなりますわね。別の方法で折り合いをつけられないのであれば。自分の心を満足させる為に、自らが弱者を虐げる存在になることを、受け入れられないのであれば」
「だから、無理なら死ねと?」
「ええ。ですがもう一度言いますわ。 わたくしは復讐を諦めろとは言っておりません。少なくとも、南の大公に関しては」
アーシャは微笑み、胸に手を当てる。
「わたくしが、居るからですわ」
その言葉は、前にも聞いたもの。
「わたくしが貴方の報復を助け、その選択を受け入れるのは、わたくしに従うか、自らを恨む者すら救う覚悟を決めた時のみです。わたくしに従うのなら、陛下の為に、皇国の為に、より良き未来に住む多くの人々の幸福の為に、死を……南部領を制圧する際に散る命と、その恨みを、わたくしが貴方の代わりに背負えるからですわ」
アーシャの、復讐に対する言葉が。
初めて、ウォルフガングの心に、強く響いた。
「わたくしは【鉄血の乙女】アーシャ・リボルヴァ。陛下のお側に在ることを願った時から……皇后として立つと決めた時から、背負う覚悟を持っておりますのよ」
いつの間にか、その場の全員が彼女の言葉に耳を傾けていた。
「一人の復讐と十の民が路頭に迷わぬことが両立させられる道を、わたくしは示しております。南部領を制するのがわたくしであれば、南の大公よりも、慈悲深き為政者であることが出来るからです。わたくしを憎む人々まで含めて」
ナバダは、どこか諦めたように。
イオは、眩しそうに目を細めて。
ベリアは尊敬の念をその瞳に浮かべて。
そしてロウシュはおかしそうに、彼女を見ていた。
「ウォルフ。南の大公を打倒するまでの間に『自分の答え』を見つけて、大切な者を失った痛みに、貴方が折り合えることを、わたくしは願っておりますわ」
だから。
だからアーシャは、あんなにも。
全てを受け入れる覚悟で、皇帝に並び立つ為に生きているから、あれほどの努力を。
「……お前にとって、皇国ってのは……皇帝ってのは、そこまで重い存在なのか」
全てを背負う途方もない重さを、受け入れてしまえる程に。
「ええ。わたくしにとって、陛下の御命はこの世で誰よりも重い命であり、この世そのものであらせられますわ」
アーシャは、あっさりと答える。
「陛下に並び立ち、そのお側に在ることがわたくしの幸福なのです。共に在るなら皇国の幸福の為に尽力し、死出の旅路を往かれるのならそのお側に在ることもまた、当然なのですわ」
その答えに。
婚約者一人の為に、失った自分の痛みの為に、復讐の為だけに生きてきた自分が……後を追うことすら出来なかった自分が、どうしようもなくちっぽけに思えた。
「ウォルフ」
自己嫌悪に陥りそうになっていると、ナバダが口を開く。
「……何だよ」
「こいつは頭がおかしいんだから、自分がダメかどうかなんて、気にしなくていいのよ。あんたが普通なの」
「あ?」
顔を上げると、ナバダは肩を竦める。
「こいつみたいな考え方してるヤツ、貴族の中にもほとんど居やしないわよ。自分が可愛いヤツらばっかりでね。……恋人の為に悩んで苦しんでるだけあんたの方が上等だし、無理に忘れる必要もないわ。何なら、折り合わなくたって良いのよ」
ナバダは、アーシャとは考え方が違うようだった。
「だけど、そこまで想う恋人が居たんなら。復讐の為じゃなくて、死者を悼む為に生きても良いじゃない。そっちの方が、恋人だった女も喜ぶんじゃないの?」
喜ぶ。
彼女の言葉に、ウォルフガングは不意に泣きそうになって、顔を伏せた。
南部領から逃げる時。
ウォルフガングは、一時的に匿ってくれた父親から一通の手紙を受け取っていた。
それは、死ぬ前に婚約者が認めて出していた手紙だった。
『穢されてしまった私は、最愛の貴方とは添い遂げられません。ごめんなさい。忘れて、幸せになって下さい』と。
ーーーそれでも。
ウォルフガングは、膝の上で拳を握り締める。
「……マリアフィス……を……」
その名を、思い出すことすら辛かった。
身を切るような痛みを、共に背負わせて欲しかった。
そんな手紙を、見たくなかった。
ーーー俺は、お前に、どんなお前でも、生きてて欲しかった……!
だから、忘れるように復讐に走った。
彼女が自分の為に、自分の苦しみから逃れる為だけに死んでいたのなら、ウォルフガングはマリアフィスにとってその程度の存在だった、と諦め切れたのに。
せめて一度、死ぬ前に話せていれば。
後悔ばかりが、胸の奥から浮かんでくる。
彼女との幸せだった日々の記憶が、頭の中を流れていく。
そうして、マリアフィスの笑顔を、最後に思い出して……そんな表情を思い出すことすら久しぶりだったと、ウォルフガングは気付く。
名前を口にすることと共に、そんな記憶にも蓋をしていたのだ。
今までは、見たこともない、絶望に沈んだ彼女の最後の泣き顔ばかり、想像しては反芻していた。
ーーー復讐の為ではなく、マリアフィスを悼む為に、生きる。
初めて、ウォルフガングはそれを考えた。
幸せになれ、と。
自分は死んだのに、そんな我儘なことを言う女がそれを願ったことを、今は受け入れられる気がしない。
でも、いつか、そうなれるように。
彼女の泣き顔と痛みではなく、笑顔を悼む気持ちと共に、思い出せるように。
「……ありがとうよ、ナバダ」
「別に礼を言われるようなこと、言ってないわよ」
するとそこで、ロウシュが快活に口を挟んでくる。
そしてしんみりした空気を吹き飛ばすように、軽口を叩いた。
「カカカ。感傷的よな、お前らは!」
「お師匠様は、そういう感情とは無縁そうですわね!」
「おうともよ。ワシにとって人は、死ねば死合えない肉塊。興味も関心もねぇからな!」
「単純明快で良いと思いますわ! そういう考え方も、わたくしは好きでしてよ!」
ーーーアーシャは。
他者の『決めたこと』は決して否定しない。
対立し、叩き潰すことはあっても、その答えを出したことだけは、否定しないのだ。
そして必ず言う。
『わたくしは』と。
自分はこう考えるが、そっちはどうなのかと。
ーーーオレは。
自分が本当は、どうしたいのか……それを、ウォルフガングは真剣に考え始めた。




