アーシャ・リボルヴァという女。【前編】
「ごほッ……!!」
「アーシャ様……!」
夕方。
ウォルフガングは、誰かが吐くような音とベリアの悲痛な声を聞いて駆け出した。
村に必要な資材を纏めてアーシャに話を聞きに行ったが不在で、ロウシュと一緒に柵外の平原に向かったと言う話を聞いて、向かっていたところだったのだ。
「どうした!?」
村から少し離れた、地面に半ば埋まった岩の向こう側を覗き込むと、そこでアーシャが岩に手を置いて俯いていた。
その口元からポタポタと血が垂れており、ウォルフガングは顔色を変える。
「おま、血!? 大丈夫か!?」
「あら、ウォルフ……」
明らかにしんどそうな顔のアーシャが、こちらを見て笑みを浮かべながら、魔剣銃を握った手で口元を拭う。
「ご心配なく。えづき過ぎて喉が切れただけですわ」
「それの何がご心配ねーんだよ! ロウシュ、一体何してんだ!?」
アーシャの横、大岩の手前にあぐらを掻いて刀を膝の間に立てたロウシュが、くわぁ、とあくびをした後に片眉を上げる。
「何って、雑魚弟子にモノを教えてるだけだな!」
「何をどう教えたら口から血反吐を吐くことになるんだ!?」
「あら、その資料は何ですの?」
ウォルフガングが噛み付いていると、落ち着いたらしいアーシャが、自分のことに全然頓着せずにそう尋ねてくる。
「こいつは次の買い出しのリスト……じゃねぇわ!」
「違いますの?」
「いやリストはそうだけどな!?」
「なら、後で見ますわ」
あっさり答えたアーシャが、そのまま平原の方に歩み出していく。
向こう側には、赤い日差しを受けて濃い影を引いた心配そうな顔のベリアと、眉根を寄せているナバダの姿が見えた。
「アーシャ様! やはり、代わりに私が……!」
「やめときなさい」
「カカカ。一発で成功させれる自信があるなら、やってみても良いがな!」
ベリアが再び声を上げるのに、残りの二人が正反対のことを言う。
「だから結局、何をしてんだよ!?」
ウォルフガングは話が見えず、少しイライラしながらナバダに問いかけた。
多分、この中で一番話が通じると思ったからだ。
「アーシャの修行ってロウシュが言ってるじゃない。いわゆる奥義みたいなのを教えられてるのよ」
「奥義……?」
「ええ。ただ、多分……ロウシュみたいなヤツか、アーシャにしか出来ないのよね、これ」
その言葉に、ベリアが泣きそうな顔になる。
「アーシャ様が、このように苦しまれずとも……何か別の手段はないのか!?」
彼女の言葉の後半は、ロウシュに向けられたもの。
しかし彼はあっさりと答える。
「ねーな! 他のやり方なんか知らねーしな! そもそも雑魚弟子じゃなきゃ、失敗した時点で弾け飛んで死ぬしな!」
「弾……!?」
カカカ、と笑うロウシュに、ウォルフガングは驚いて目を剥く。
アーシャはそんなやり取りを全く意識していないようで、眼前に魔剣銃を構えると、魔力の刃を生成した。
そのまま、さらに集中していく。
「ロウシュしか出来ねぇってのは、まだ分からなくもねーが……」
ウォルフガングは、ジッと何をしているのか見ても分からないアーシャを見つめる。
ロウシュは利き腕を失っているが、それでも村長のシャレイドより強い。
空から襲う彼を、大して動かずに捌けるくらいに図抜けており、ウォルフガング自身は、ゴーレム化しても手も足も出ないどころか、即座に土や岩で作った両手足を切り落とされて勝負にすらならない。
ロウシュは、こと戦闘に関しては〝獣の民〟の中でも比肩する者のいない天才ジジイなのだ。
だが、その奥義とやらが、ロウシュかアーシャしか使えないというのは、どういう意味なのか。
正直な話、稽古を見る限り魔力の量も戦闘のセンスも、ベリアやナバダの方がアーシャよりも上なのである。
彼女がそれでも二人と互角以上に戦えるのは、主に頭の回転の速さによる機転と、修練の賜物……体に覚え込ませた『動きの練度』とでもいうべきものと、魔力操作の精密さが群を抜いているからだ。
彼女の強みは、それらに加えて武器の特性を熟知している点、スライムを利用したトリッキーな連携なども要素として含めた総合力である。
そんな彼女らに出来なくて、アーシャには出来る理由がよく分からない。
と、ウォルフガングが思っていると。
「ぐぅ……!」
と、アーシャが呻き声を上げた瞬間、ロウシュがトン、と鞘の先で地面を叩いた。
彼の魔力が地面を走って、それに触れた彼女の体がビクン、と跳ねる。
「ぐっ、ゴホッ!」
「何回失敗すんのかな、雑魚弟子! 日が暮れたから今日は終わりだな!」
膝に手をついてまた咳き込み出したアーシャに、ロウシュがそう声を掛けて、ベリアが走り寄る。
「アーシャ様!」
「大丈夫、ですわ……」
明らかに大丈夫ではない。
ナバダはこちらに近づいてきて、ウォルフガングに向かって肩を竦めた。
「しばらく、習得には時間が掛かりそうね」
「結局、何なんだこれはよ! 何でアーシャしか出来ねーんだ!?」
何をしているかはさっぱり分からなくても、苦しみようからかなり危険なことであるのは明白である。
ナバダが、こちらの質問にようやくまともそうな回答を返してきた。
「アーシャだけは出来るのは、あいつの魔力量が人より少ないからよ」
「少ないから……? 多いから、じゃなくてか?」
「ええ。あたしやベリアだったら、さっきのロウシュの手助けが間に合わないのよね」
「……体が弾け飛ぶってやつか?」
「そう。魔力が少なくて、全身への巡りも鈍いから、間に合うの。この技、多分あんたくらいの魔力量でも『練習』ってヤツが本当は出来ないのよ。一発で成功させるくらいのセンスがいる、そういう技なのよ」
ウォルフガングはその説明にどうにか納得すると同時に、ロウシュを睨み付ける。
「何でそんな危ねーことやらせんだよ。教えんなそんなもん! マジで死んだらどうするつもりだ!?」
「死んだらそこまでかな! 雑魚弟子が教えろって言ったんだから、ワシのせいじゃねーな!」
「その通りですわ。お師匠様に責はございませんわよ」
当のアーシャが、ベリアに肩を抱かれながら残念そうな顔をしていた。
「出来れば、半月以内に習得したいんですけれど……」
「まだやる気なのかよ!?」
「当たり前ですわ。さ、食事してからリストを見ますわよ!」
具合の悪そうな顔色をしているのに、それでも笑みを浮かべるアーシャを見ながら。
ーーー何でそこまで。
と、ウォルフガングは疑問を覚えていた。




