身に余る、光栄にございますわ!
アーシャの問いかけに、陛下は少し口元を緩めて、ス、とこちらの頬に手を添える。
「そなたの顔を、見に来た」
「ふぇ!?」
思いがけない言葉に、変な声を上げてしまう。
―――そそ、それが目的ですの!? そんな、嬉しくて天に召されてしまいますわ!!
ふぅ、と意識が遠のきかけるアーシャに、陛下がお言葉を重ねる。
「それと、妹に関して、一つ伝えるべきことが」
「ミリィの?」
そちらが本題なのだろうか、と内心少しがっかりしながらも現実に戻る。
ミリィに関わることなら、真剣に聞かねば。
「どんな事ですの?」
「目的を果たすことを望むならば、帝城に参ぜよ、と」
「帝城? ……側室としてお召し上げになられるのでしょうか?」
アーシャは目を丸くした。
ミリィはそろそろデビュタントなので、そちらの話かと一瞬思った。
しかし、陛下自ら妹を招く理由としては弱い気がしたので、もしかしたら『それよりも前に側妃に』とお望みなのかと、思ったのだけれど。。
陛下はそれを、首を横に振って否定した。
「いや。宮廷治癒師に直接教えを乞うことを望むのなら、だ」
「……ますます、よく分からないのですけれど」
「足繁く、図書館に通い、借り出しを行なっているゆえに」
アーシャは頬に手を当てて小首をかしげるが、続く陛下の御言葉も、いまいち要領を得なかった。
要は、『ミリィが図書館でよく本を借りているから、帝城の治癒師に学ぶ気があるのなら、学徒として招く準備がある』と陛下は仰りたいご様子。
なぜミリィを? 本を借りているから治癒師? という点が、アーシャにはよく分からなかった。
分からなかったけれど。
「陛下がそう仰るのでしたら、きちんと伝えさせていただきますわ!」
見えている景色が、矮小なアーシャと偉大なアウゴ陛下ではそもそも違うのである。
それに、特に危険なことでもなさそうなので、それ以上疑問を挟まずに了承した。
すると、陛下は笑みのまま、さらにご尊顔をこちらに寄せる。
「へへ、陛下……!?」
あまりの嬉しさにまたしても昇天してしまいそうだったが、陛下はその後すぐに表情を真剣なものに変えて、腰の剣を鞘ごと引き抜く。
―――ああ、凛々しい陛下のお顔が、めめめ、目の前にぃ……!
アーシャがアタフタしていると、陛下は真剣な表情のまま、こう命じられた。
「目を閉じよ、アーシャ」
「は、はい!」
即座にパチン! と目を閉じると、全身が心臓になったように、高鳴りが体を支配する。
陛下が小さく何かをつぶやくのが聞こえた、と思った、次の瞬間。
アーシャは強烈な魔力の圧を感じ―――右目の義眼が、燃えるようにズグン、と疼いた。
突然襲い掛かった衝撃に、全身をこわばらせる。
「―――ッ!!」
「耐えよ、アーシャ」
陛下に鋭い声音と共に頬を撫でられたので、声を押し殺して奥歯を噛み締め、言われた通りに右目の疼きに耐える。
しばらくして、また唐突に疼きが治まり、アーシャは思わず、ほぉ、と安堵の息を吐いた。
「終わった。目を開けよ」
恐る恐る目を開くと、最初は刺すような痛みが走る。
小刻みに瞬きをしながら徐々に慣らして行くと、右の目尻に涙が浮かんできて、微かな違和感を覚えた。
「焦らず、緩やかに慣らせ。息を、深く、深く、ゆっくりと吸い、そして緩やかに、細く吐け」
陛下の言葉は、心地よい。
何度か呼吸し、瞬きをしていると段々痛みが薄れ。
ようやく目を開くと、剣の呪玉が目の前にあって……アーシャは信じ難い思いで、右目に触れた。
「目が……見えますわ……!」
思わず陛下のご尊顔を振り仰ぐと、また少し違和感を覚える。
思わずまじまじと見つめてしまってから、アーシャは気がついた。
―――陛下の右目が、光を失って……っ!?
「へ、陛下……!?」
「我の右目を、そなたに」
いつもと変わらぬ調子で言われて、アーシャは絶句した後、大きく首を横に振った。
「い、いただけません! お戻し下さい!! そんな、陛下の玉体を、わたくしの為に傷つけるなど……ッ!」
「静かに」
恐慌をきたし、思わず声を張り上げるアーシャの唇に、陛下の指先が添えられた。
そして、落ち着かせるように肩を緩く掴まれ、顔を覗き込まれる。
「そなたの右目に、我の『見る力』を預けたに過ぎぬ。我にも見えている。そなたの見る、景色が」
その言葉には。
幾重もの意味が込められているように感じた。
「これより先、あまねく時。そなたの道行きの全てを、我は見守る」
「へ、いか……?」
アーシャは、その言葉に唇を震わせる。
視界を共有するということは、ただ同じものを見るだけではない。
アーシャの進む未来に、これから歩む困難な道のりで何を成し遂げるのかを、見守っていると。
その間、いつでも共に在る、と。
陛下は、そう仰って下さった。
『期待している』、と。
革命軍の結成を宣言した、あの謁見の間での御言葉の通りに。
―――ああ。
アーシャは、胸に満ち溢れる想いに、再び目を閉じる。
それが、陛下が示してくれた、ご自身のお気持ちなのだ。
これほどの栄誉が、他にあるだろうか。
ポロポロと、先ほどの痛みとは違う理由で、頬を涙が伝う。
陛下の指先が頬に触れる感触がして、優しく拭われた。
『人は舌で嘘を吐く。しかし、行動は嘘を吐かぬ』
いつかの、陛下の御言葉。
そう聞いてから、アーシャはつぶさに他人の動きを見るようになった。
すると陛下ご自身こそが、言葉以上に行動で己の想いを体現されていたことに、アーシャは気づいた。
この皇国を、より良くせんと挑む陛下の行動の意味を、一体、何人が理解しているだろうか。
己の先祖が王であり、支配者であった前時代の感覚そのままの貴族たちの、一体何人が。
不意に、ふわりと包み込まれたアーシャは、思わず目を見開く。
剣を握った陛下の腕が背に回されて、その見た目よりも逞しい胸元に、包み込まれて。
陛下は、謁見の間では決して見せたことがないような、とても優しい微笑みを浮かべられていた。
「へい、か……?」
頬を染めながら、思わず見惚れていると。
「そなたが再び、我が腕の中に戻る、その時まで。そなたの想うままに、恐れず、惑わず、進むことを望む」
アーシャ、と柔らかく呼びかけられて。
小さく掠れた声で、はい、と答えると。
「―――そなたは、出会った時から、変わらず美しい」
そうした御言葉を、いただいて。
「身に余る……光栄にございます……!」
アーシャはするりと陛下の腕を抜け出し、膝からくず折れるように平伏した。
止めどなく溢れる涙を堪えることすら出来ないまま、震えかける声を抑えながら、言葉を紡ぐ。
「必ずや……ご期待に応え……御許に戻ることを……お約束いたします……ッ!!」
「許す。立て、アーシャ。我に並び立つを目指す者に、平伏は似合わぬ」
「はぃ……!」
そう告げられて、目元と頬をそっと拭って少しの間、肩を震わせてから涙を止めたアーシャは、立ち上がって、今の気持ちを込めた自分に作れる最上の微笑みを浮かべた。
「どうぞ、ご覧下さい、わたくしの覇道を。陛下の御前に戻る時にアーシャが背負うのは、己で全てを勝ち取る気骨を持つ、幾万の軍勢にございますわ!」
陛下は、アーシャの宣誓に満足げに頷くと。
トン、と床を剣で突いて、霞のように姿を消した。