公爵閣下の秘密。
バルア皇国公爵マグナムス・リボルヴァは、他者から『凡庸』との評価を受けている。
前・リボルヴァ公爵夫人であり建国の英雄である【紅蓮】の血を引きながら、どうにも気弱であると。
様々なことをそつなくこなすものの、飛び抜けて優れたところのない人物であると。
フェニカは領地に戻る前に、皇宮の廊下で偶然を装って、マグナムスに接触した。
「リボルヴァ公爵」
「これは、チュチェ大公。私に何か?」
人当たりの柔らかな笑みを浮かべる彼は、アーシャと同様に金の髪を持ち、優しげな面差しをしている。
口髭を蓄えており、年相応に見えない童顔をそれで隠しているようだ。
利発そうなアーシャの顔立ちに関しては、横にいる母親似のようだった。
「この度は、アーシャ様のご婚約、誠におめでとうございます」
まずは当たり障りのない祝辞。
けれど当然、この婚約に関する様々な裏を含んだもの。
特に、アーシャの行動に関して。
するとマグナムスは、正確にこちらの言葉を読み取ったのか、へにゃりと眉をハの字に曲げた。
「お転婆な娘でして。皇帝陛下にご迷惑となりはしないかと、ハラハラしております」
そんな彼の態度に、フェニカは少々違和感を覚えた。
ーーー警戒してるの? 意外ね。
目の奥にある光は、態度とは裏腹にフェニカを探るようなもの。
なるほど、いかに凡庸とはいえ、アーシャの狙いが西だけでなく南も含まれていることは理解しているようだ。
娘の敵、という点からの警戒心なのだろう。
「アーシャ様の自由さは、皇帝陛下も見ていて飽きないのではないかしら? わたくしは、アーシャ様を皇后の座に相応しい方だと思っておりますわ」
少なくとも、あの皇帝陛下のお気に入りである。
そして、自ら囮として飛び出して行く行動力は、これが男であれば多くの者に称賛されただろう。
フェニカはそこで、チラリと毒を出した。
「ですけれど、大切な方の側を離れてしまうのは、褒められた行動ではない……と、多くの者は考えているでしょうね」
それは、皇帝陛下の話ではなかった。
フェニカが口にしたのは、マグナムスを含むアーシャの家族のこと。
いかに【紅蓮】とその配下に育てられた〝影〟がいるとしても、自らの家族が人質に取られて自分が不利になることを想定していないのはいただけない。
実際、アーシャは口で少し脅しをかけただけでこちらの誘いに乗った。
もっとも、実際に誘拐という行動を起こした時に皇帝陛下がどう動くかは、未知数だけれど。
アーシャの大切な存在であるから、狙われれば守るのか。
あるいは、アーシャではないから守らないのか。
もし皇帝陛下の選択が後者であれば、フェニカならそれを成すことが可能なのである。
特にアーシャの妹、ミリィ・リボルヴァは、何一つ自らの身を自身で守る手段を持たない少女だ。
しかし、フェニカの言葉を受けて、ふとマグナムスが周りを見回した。
そして目を閉じると、ぽつりと呟く。
「……アーシャは、私の母上によく似た性格をしておりましてね」
「ええ、存じ上げておりますわ」
「存じ上げて、ですか……」
どうやら彼は、フェニカの言葉に引っ掛かりを覚えたようだった。
【紅蓮】はアーシャが生まれるよりも前に、この世を去っているからだろう。
フェニカはニッコリと笑ってそれに応じる。
「幼少の頃に、一度お会いしたことがありますの」
「なるほど」
マグナムスは、その言葉に納得したのかどうかは分からないが、少なくともそれ以上追求してはこなかった。
「母上と同様、自ら動かねば気が済まぬ娘です。ですが……アーシャは、母上ほどには強くない、のですよ。私は、それがとても心配でして」
マグナムスの話の先が読めなかったので、フェニカは黙って先を聞こうとしたが。
そこで、開かれた彼の目が、真っ直ぐにこちらを見た。
ーーー?
一瞬、身を引きかける程の圧を感じて、フェニカは少し気を引き締める。
「私は、争いごとがあまり好ましくないのですよ。母上の生き方は尊敬致しますが、強過ぎる、眩し過ぎるものは敵も多くなります。アーシャがそうなってしまうことが、とても心配なのです」
「お気持ちはよく分かりますわ。けれど、勝ち取らねばならないと思ったものを勝ち取るのは、大切なことですわ。わたくしはそうしたアーシャ様の姿勢を好ましいと思いますの」
「そうですね。他に手段がなければ……もしかしたら、そうなのかもしれません」
フェニカは、さらに違和感を強くした。
マグナムスも、横で黙って扇を広げているアーシャの母、スナピアも、こちらに向ける視線の種類が変わっている。
「アーシャは仕方がないと、私も諦めております。彼女が自分で選んだ道ですから……ですが、ミリィはそうではない……」
マグナムスの、語り口は、気弱で、静かで。
けれどその目線の鋭さは、一体何なのか。
「母上は厳しい人でしてね。リボルヴァを継ぐのなら、武勇が必要であると考える人でした。父上も同様に。ですが私は、そうは思っていないのです」
ーーー武勇が必要。
武勇で他者を圧する者が、公爵家を継ぐ。
であるならば、マグナムスは。
そして静かにその横に立つ、スナピアは。
「私は母上に認められました。スナピアは母上に育てられた。もし母上が生きていたら、ミリィは認められないでしょう。……ですが、私は認めます。アーシャが皇帝陛下に嫁ぐ以上は、ミリィに婿を迎えさせ……民が窮せぬだけの采配を振るえる人物であれば、その伴侶に武を求めようとは思わない……」
フェニカは、不気味な、底の見えない目の前の男に対する警戒を、最大級に引き上げた。
その様子は、まるでーーー【紅蓮】と対峙した時のような。
「ですが、ミリィがアーシャの妹で在る限り、伴侶は腕が立つ方が良いのかもしれませんね。そう、少なくとも……狙われたとしても、ミリィを守れる程度には」
【紅蓮】に、公爵位を継ぐことを認められた男。
ーーーなるほどねぇ。確かに、あの女が情と血筋だけで息子を取り立てることなど、ある筈もなかったわね。
マグナムスは、強い。
それもおそらく、並大抵の強さではない。
そして賢く、自らの立ち回りを律することが出来る男なのだ。
現在南部領と呼ばれている王国を、武の国であった南部を……たった一個中隊のみを率いて落とした【紅蓮】が、若くして公爵位を継ぐことを認めた、というのであれば。
少なくとも、リボルヴァの〝影〟の誰よりも腕は上……下手をすれば、皇帝陛下に次ぐ程に腕が立つ可能性がある。
ーーー戦りあってみたいわね。
フェニカは、うっすらと笑った。
強者と戦う程楽しいことは、この世に存在しないのである。
特に、自分と同等程度の相手が一番良い。
皇帝陛下程に圧倒的だと、相手がつまらないだろう。
けれど弱過ぎると、フェニカがつまらない。
ーーー我慢よ、フェニカ。
ここでもしマグナムスに仕掛けたとして、皇帝陛下の介入があれば、アーシャと戦う前にこの世を去ることになってしまう。
それはいただけない。
やはり【紅蓮】の血筋は侮れない。
まさか今日ここに至るまで、マグナムスが自分の目からその強さを……おそらくはアーシャにすら、悟らせずにいたなんて。
皇帝陛下だけが、彼の強さを、そして賢さを、彼の選択した道を知っているのだろう。
だからこそ、放置している。
ミリィ以外を。
彼女を皇宮に治癒士として迎え入れたのは、アーシャが旅立つから。
ーーー陛下は、アーシャの家族まで守る気がある、と。
おそらく万一が起こった時、近くに置いておけば対処が容易であるから。
フェニカはそう判断して、マグナムスに小さく頷いた。
「リボルヴァ公爵のお眼鏡に適う者がいれば、その方がよろしいかと思いますわ」
皇帝陛下がいれば必要はないだろうけれど、陛下も人の身である。
尽きる命を不老不死へと変えることは容易だろうけれど、彼は今のところ、そうした選択をしていないのだから。
ーーーああ、良いわね。
フェニカは楽しくなってきた。
「失礼致しました。足をお止めして申し訳ございません」
「いえ、こちらこそ」
そうして、先に場を辞し、彼らの背中に視線を感じながら。
フェニカは、次はどう仕掛けようかと、心を躍らせていた。




