対峙しますわ!
入室したアーシャは、ニールを横に立たせて自分は腰掛けたフェニカを見つめた。
前宮の中でも最高位の貴族だけが使える休憩室の中には、観葉植物や横になる為の寝具すら備えられている。
「貴女も腰掛けられては?」
「結構ですわ。長居をするつもりはございませんもの」
テーブルを挟んだ先の椅子を示されたアーシャは、扇を広げて口元に添え、つん、と顎を上げる。
そして赤いソファの横に立ったままで、フェニカに問いかけた。
「それで、わたくしにどのような御用ですの?」
「あら、皇帝陛下の選ばれた婚約者がどんな方なのか、興味があってはおかしいでしょうか? お誘いに乗っていただけて嬉しいわ」
ふふ、と彼女が笑いながら口元に握った手を添えた。
脅しをかけておきながら、よく言うものだ。
けれど、陛下のご意志に背いている筈の彼女は、どうやら西の大公と違って陛下に一定の敬意を払っているようで、その点だけは好感が持てた。
けれど、続いた言葉にアーシャはさらに気を引き締める。
「ーーーだって、敵を知り己を知れば百戦危うからず、と申しますでしょう?」
その言葉は、陛下の婚約者の座を狙う……という意味では、ないだろう。
獰猛な肉食獣の如き視線を向けられて、アーシャは真っ向からそれを見返す。
革命軍結成を口にしたアーシャが狙いを定めているのが、南部と西部であることを理解した上での発言だ。
ーーーつまり、宣戦布告、ということですわね!
望むところだった。
そうであれば『敵を知る』という点においては対等な歓談であり、アーシャにとっても意味がある。
「わたくしの、何がお知りになりたいのですの?」
「そうね……率直に、どのくらい強いのか、というのは気になる部分ではありますわね」
うっすらと目を細めた彼女は、手を下ろして膝の上に置く。
「ふふ。わたくし、強き者が大好きですの。己の力で高みを目指す者同士が剣を交える様、己が望みを勝ち取ろうと尽力する様は、見ていて昂りを覚えますわ。そう思われませんこと?」
彼女の趣味である、闘技場での戦いに例えて、フェニカが同意を求めてくる。
だから、笑みを浮かべてそれに応えた。
「そうですわね。高みを目指す者はわたくしも大好きですわ! その点では気が合いますわね!」
一度、彼女の言葉に賛同し。
その上で、アーシャはスッと笑みを消した。
「……けれど、それと『強者のみに存在価値がある』と考えるのは、全然別の話でしてよ」
フェニカは、強い者にはどんどん褒賞を与えることから、武を誉れとする者達には絶大な人気があるという。
そうして財貨を溜め込まずに吐き出す為に南部は経済も活発であり、富を得る者も、その恩恵に与る者も多いだろう。
しかし、翻ればそれは、弱肉強食の世である。
弱き者がどんどん不遇を被り、人々の格差が広がっていく。
南部は、フェニカが必要最低限しか民に干渉せず、あまりにも自由であるが故に、ウォルフガングのような悲劇がそこかしこで生まれる場所なのだ。
『力こそ正義』と、音頭を取るフェニカ自身がそう公言しているから。
「あら、貴女はまだそうなのね」
彼女は、悠然とした態度でそう答える。
「まだ、ですの?」
自分もかつてはそうであったかのような物言いに、違和感を覚えた。
フェニカの治世になってから、南部はずっとそうした場所と化している、と思っていたのだけれど。
「ええ。弱い者も助けなければならない、と、そう考えているのでしょう?」
フェニカの問いかけに、アーシャは小さく首を傾げた。
「少し違いますわね。わたくしは『全ての者が苦しむべきではない』と考えておりましてよ!」
別に強かろうと弱かろうと、そんなことはどうでも良い。
ただ、『人が自ら、己の望む選択が出来る世の中』でなければならないと、アーシャは思っているだけだ。
「誰かが苦しむのが気に入らない、と? それは確かに、わたくしとは少し考え方が違いますわね」
「ええ! 苦しむ者は全て救わなければなりません。だって、ここは陛下の国ですもの!」
この皇国は、陛下の優しさによって治められているのだから。
そうである以上、人を虐げ搾取する者以外の、ありとあらゆる者に優しい国であらねばならない。
陛下から領地と民を預かる為政者には、その為に尽力することが求められて当然なのだ。
だから、その陛下の優しさに反する行いを是とするフェニカとハルシャは、その座に相応しくない。
「もちろん『より多くを手にしたい』という選択の結果、他者と利害が対立するのであれば戦わなければならないと思いますけれど! その機会すら得られぬまま、あるいは望まぬままに搾取される者がいる状況は断じて否、ですわ!」
例えば、そう。
のし上がりたいという者が、貧する者たちの中に居たとして。
その為の手段がなく、恵まれた者にしか権利が与えられない状況は、是正しなければならない。
あるいは、争いを望まぬ者が居たとして。
彼らが『戦わない』という選択をしたならば、その意思は尊重されなければならない。
それは弱者を守るだけ、というのとは、少し違うのだ。
今の南部領では、そうした者は格好の獲物であり、望む望まぬに拘らず搾取の対象となるだけ。
だけれど、身を守る力を持たずとも、最低限、平和に暮らすことだけは保障されてしかるべきである。
仮に食べるものには困らないけれど贅沢は出来ない、という状態を良しとしないのなら、その時は勝ち取れば良いだけ。
どこで満足するかは、人による。
何を富と思うかも、人によるのだ。
〝獣の民〟の一部の者達が、多少不便で極めて危険な生活であっても、『魔性の平原』に暮らす自由を良しとするように。
一般的には『貧する』状況を許容し、むしろ富と感じる者もこの世にはいるのだから。
「陛下の国で、陛下の御意志に添わぬ者が治世を行うようでは、いつまで経っても何も変わらない……そう思われませんこと?」
だから、狡猾にのらりくらりと立ち回って虐げられる者を放置するフェニカのような者は、退いて貰わなければならない。
アーシャが革命に誘うのは、今の暮らしを守りたい者ではない。
恋人を失ったウォルフガングのように、不遇を託ちながらも未だ復讐を諦めていないような者。
あるいは、自らと同じ境遇に陥る人々を減らしたいだろう者だ。
他には『ベルビーニにより良い生活を』と考えているだろう、魔導具士ダンヴァロのような人物。
もしくは村長シャレイドのように、自由を求めていつつも、より良い土地に皆を住まわせたいと考えている者。
戦う意志を持つ者を、アーシャは求めているのだ。
陛下の傘下に入ることを考えない者であっても、構わない。
最低限〝獣の民〟にも、あれ程に魔獣の脅威が身近な場所以外を与えたいと、アーシャは考えていたから。
争いを好まず非力である、ベルビーニのような少年にまで、生存を脅かされるような戦いを強いる必要はないのだ。
『あらゆる者に選択の自由を』というのは、そういう話である。
「何も変わらないから、現状を変える手段を戦って勝ち取るのなら……結局は『力こそ正義』ってことになるのではなくて? 強い奴が思い通りにするだけの話でしょう」
「分かっておりませんわね。わたくしは力を持つ強き者の治世が悪い、などと一言も申し上げておりませんわ。力を持つ側の、矜持の話をしているのです」
陛下をご覧になって、何故それが分からないのだろうか。
世を治めるという点に限って言えば、何の見返りも求めずに、ただ人に優しき行動をなさる陛下を皆が見習えば、それで済む話なのだ。
民にとっては、善治であれば為政者が強かろうと弱かろうとどうでも良いのだから。
それをしないから、フェニカはアーシャの革命で打倒される対象になっているのである。
「我欲なき為政者こそ、民にとって至上ですわ」
「へぇ……我欲なき、ねぇ」
フェニカの口調が徐々に砕け、おかしげに笑みに緩んだ頬に手を添える。
「汚泥なき清廉の夢に、人は住まなくてよ?」
「自ら血を被る陛下の清廉は、自己愛に濁った者の瞳には血濡れとしか映りませんもの。傍目には濁りと見えるのですから、問題ございませんわ」
そして騙されて炙り出され、分を弁えずにはみ出した愚物は、陛下によって『処刑』される。
「そうでしょう? 愚者のフリをしつつ、陛下の線引きの位置をしっかりと見極めて、我欲の汚泥を泳いでいる者もいるではありませんか」
フェニカのように。
アーシャの敵は、そうした人物だ。
多少の我欲は良い。
勝ち得た者の権利の範囲内であれば。
しかし賢さを備えた我欲の塊は、陛下と法の裁きが届かぬところで度を超えた暗躍をする。
それを征する為の抜け道が、『陛下の赦しを得た革命者』アーシャ・リボルヴァという立場なのだ。
彼女はアーシャという『囮』に、わざと引っかかりに来るほどの自信を持っている。
そうしてなお、自分の立場を失うことはないと思っているのだろう。
案の定。
「では……そうした者を打倒するという『高潔』な貴女の力を、見せていただこうかしら」




