女公のお誘いですわ!
「アーシャ様。少し宜しくて?」
催された披露宴の最中。
少し陛下のお側を離れて両親と歓談した後に戻る道すがら、声を掛けてきたのはフェニカだった。
「これはフェニカ様。お声がけいただき光栄ですわ! 何か御用ですの?」
彼女と直接話したことはない。
けれど陛下に物怖じしない様子、聞き及ぶ評判から一筋縄ではいかない人物であることは間違いなかった。
冷血、という異名は、彼女の振る舞いにある。
彼女はそもそも、闘技場というものが何より好きな人物らしい。
獣や魔獣、人に至るまで、相争う様を見て喜ぶという、少々悪趣味な遊興にしばしば浸るのだ。
特に勝ち残った者やその飼い主には十分な報酬を与えるという事で、自ら命を捨てに来る者や危険を賭して魔獣を狩りに行く者も後を絶たないという。
その人物像は治世にも影響しており、南の領地はいわゆる『自由』の裁量が広かった。
それだけを聞くと、アーシャが求めている国の姿に近しいように思えるが……貴族や平民が悪辣なことをしても、放置するのである。
例えば、ウォルフガングの婚約者に対する、貴族の振る舞いにしてもそうで。
冤罪を押し付けられた彼の状況は、普通に考えればおかしいと分かる筈だ。
基本的に下位貴族や平民が上位貴族に逆らえないとはいえ、そこまで横暴な振る舞いをすれば、普通は領主や領王の裁量で調べ、必要であれば罰を下さなければならない。
しかし、フェニカはやらない。
だから、下の人間も必然的にそうなっていく。
違法スレスレの悪どい商売も、同様に放置だ。
アーシャが見聞きした限り闇市なども数多くあり、手段や立場を選ばず金を稼げるそうした部分は『獣の民』としては有難い面もあるけれど。
総合的に見ると、誰でも勝てる代わりに治安が悪い……『魔性の平原』程ではなくとも、弱肉強食の領地なのである。
それは、アーシャの目指す『誰もが自らの選択が出来る世の中』とは、似て非なるもの。
南部領は、弱い者が弱い者なりに、最低限人間らしく生きる保証すらない場所なのだ。
フェニカの振る舞いが、それを助長しているのである。
故に、彼女はアーシャの敵だった。
民を抑圧もしない代わりに、味方もしないのである。
「わたくし、アーシャ様と少しお話がしてみたくて……休憩室にでも如何かしら?」
ーーー罠ですわね!
アーシャは、そう直感した。
なんとなく、目の奥に愉悦の色が見えるのだ。
ただ陛下の婚約者となったアーシャに興味がある、という風には見えない。
何か仕掛ける気満々である。
「申し訳ございませんわ! わたくし、陛下のお側に戻らなければなりませんの!」
元々、アーシャは『領王会議』にも出席出来る父、リボルヴァ公爵の娘である。
多少南の大公自身フェニカよりも令嬢という点で格が落ちるとはいえ、皇族の血を継いでいる点では勝るのだ。
つまり、立場としてはほぼ対等なので、断っても角は立たない。
しかし、扇を広げたフェニカは、小さく寄ってきて、耳打ちをしてきた。
「あら、でしたら、貴女の妹とお話をさせていただこうかしら?」
アーシャは、その言葉に目を細めた。
ミリィは、この場にはいない。
披露宴は夜会から始まっており、デビュタント前の彼女は、幾ら親族とはいえ、こうした場に出てくるのは翌日の昼以降である。
つまり、『ここでアーシャが応じなければミリィに何かを仕掛ける』と彼女は口にしたのだ。
アーシャと同様、王都では〝影〟に守られているとはいえ、南の大公であるフェニカに仕掛けられれば、万一があり得るだろう。
まして自分のように陛下と視界が繋がっている訳でもなく、ある程度身を守る手段もない。
ーーー汚い手をお使いになられますこと。
陛下にこのまま報告しても良いけれど、それも少々問題がある。
現時点では何もしていない彼女を、脅しを口にしただけで処罰した場合、陛下の御威光に少々傷がつくのみならず……南部を攻める理由がなくなってしまうからだ。
もしフェニカが倒れた場合、次の領主を指名するのは陛下の裁量である。
が、特に問題がなければ直系、いなければ親族を次期領主に指名するのが法で定められていた。
そうなると、アーシャがフェニカの治世を問題視して攻める口実とする以上、『次の領主も問題があるかどうか』を数年は見極める必要が出てきてしまう。
それでは、遅い。
流石に、さらに数年も陛下をお待たせする訳にはいかないからだ。
おそらくフェニカ自身も、それを理解しているのだろう。
「仕方がありませんわね」
彼女と同様に扇を広げたアーシャは、冷たく睨みつけながら答えた。
「謹んで、お誘いに応じさせていただきますわ」
「喜ばしいことですわ。でしたら行きましょう。ね、ニール」
「是」
横に立つ夫に呼びかけてしゃなりしゃなりとフェニカが歩いていく背中について、アーシャは歩き出した。




