お師匠様ですの?
「陛下、質問をさせていただいても宜しいでしょうか?」
「赦す」
領王会議が思った以上に早く終わったことで、披露宴の準備まで間のある時間。
特に何もするなと命じられているアーシャは、咎められないのを良いことに陛下の執務室までついて来た。
呼び出しが来るまで、陛下がお仕事をなさるそのご尊顔を横で眺め、悦に浸る予定であったのだけれど。
「まず、何故わたくし、陛下のお膝に座らされているのでしょう?」
何故か執務室に着いた途端に手招きされて、気付けばそんな姿勢だったのである。
「不満か?」
「いえ、そんなことは全く滅相も微塵もございませんし、何よりも光栄でかつ畏れ多いことでございますけれど」
何せ、その玉体を尻に敷いているに等しいのである。
あまりの不敬にしばらく固まった後、何故か髪を触られたり頬をくすぐられたりしている間に、陛下の微かながら甘い笑みを浮かべられたご尊顔が間近にあることに気づき。
輝いて見えるそのご尊顔に、目が潰れそうになりながらも目を離すことが出来ず、昇天しかけたところを危うく踏み留まって。
ようやく口から出せたのが、その質問だった。
ーーーああ……陛下……陛下……麗しく芳しく無上の存在にあらせられる陛下の全てが、こんなにも間近に……!!
ちょっと五感の全てで陛下を味わい過ぎて、アーシャ的には供給過多である。
そうして、また意識が飛びかけたところで。
「まず、の続きは?」
「そうでしたわ!!」
御言葉が耳に入ってハッと我に返ったアーシャは、勿体無い気持ちを全身全霊で押さえつけて、ご尊顔から目を離した。
見つめていると、いつまでも話が進まないからである。
「わたくし、今夜の婚約披露宴が終わり次第、『魔性の平原』に戻っても宜しいのでしょうか?」
一応、勝手に死にかけた罰として呼び戻されているのだけれど、その『罰』がいつまでの話なのかは明確にしておかないといけないのである。
何せ、革命軍結成は序の口も序の口、ようやく〝獣の民〟に認めて貰えた程度なのだ。
それも、まだ地盤固めもまともに終わっておらず、今のままでは西や南に侵攻するにしても準備が全く足りないし、西や南があの村を見つけて攻め込んで来ないとも限らない。
いつまでも、皇都に留まっている訳にはいかないのである。
今回の件はどうやら宰相リケロスの策略らしく、婚約はしなくてはならないものの、そもそもアーシャは『結婚の手土産に不穏分子を平定する』と宣言しているのだ。
陛下に多少なりとも並び立ち、真にご寵愛を得る為に、そこを譲るつもりはない。
そう、だから、こんな風に甘やかされていて良いわけがないのである。
ーーーイチャイチャする権利を得られるのは、わたくしがきちんとご寵愛を賜れるだけの実績を……。
「アーシャ」
「ひゃい、陛下!」
不意に耳をくすぐられて珍妙な返事をしてしまったアーシャが、恥ずかしさの上塗りにさらに顔を真っ赤にしていると。
「ーーーロウシュを、あの村に遣わす」
陛下の宣言に、アーシャは冷静になった。
「お師匠様を、ですの?」
アーシャは目をぱちくりした。
剣聖と名高い魔導剣の遣い手であるロウシュは、味方にいれば心強いけれど、根無し草で、ある日フラッとどこかに行ってしまって以来会っていない。
もちろん、居場所など陛下がその気になれば簡単に突き止められることは分かり切っているので、『何故見つけられたのか』などという愚問は口にしない。
「協力していただけるんですの?」
「戦となれば、来る。あれはそういう男」
「言われてみれば、そうかもしれませんわ!」
ロウシュの人と為りを思い出して、アーシャが頷いていると。
「披露宴は、三日に渡って行う。その間は、皇都に留まることを命じる」
「分かりましたわ! 感謝致しますわ!」
それが済めば帰っていい、と言質を取り付けたアーシャは、少々日取りが伸びたことに対する不満など口にはしない。
陛下の決定は、絶対なのだ。
けれど。
「では、アーシャ」
「はい、陛下!」
「こちらを向け」
と、顎を掬われたアーシャは、陛下の黒い瞳を直視してしまい……またフッと意識が遠のく。
ーーーあああ……、い、いくらご下命とはいえ……これは、ダメですわぁ……!!
少しぼやけたように桃色の視界の中で、陛下がおかしそうに笑った、ような気がした。
※※※
『仙人』
「ん? おお、誰かと思えばエイワスではないか。何用かな?」
『魔性の平原』の端。
西の領地に近い荒野の高台に座り込んでいたロウシュに声を掛けてきたのは、老人の頭に赤子の体を持つ異形だった。
長い白髪を高い位置で1つに結い、同じく真っ白な長い髭を備えた容貌からか、妙なあだ名を付けられている。
『南の村へ戻れとの、我が主のお達しだ』
「カカカ! 六悪ともあろうモノがいつも使い走りとは、ご苦労なことよな!」
『……』
「そうふて腐れるな。わざわざあの男が声掛けをしてきたということは、何かあったかな?」
『金化の若造が喧嘩を売って滅ぼされた。アーシャ嬢に手を出してな』
「それはそれは。御愁傷様なことよな!」
ロウシュはまた笑い、右手で腰に佩いた刀の柄を握る。
「ワシもまた死合いに行くかな!」
『腕1本で見逃されたというに、老い先をさらに短くするか。理解出来ぬ』
そう言いながら、エイワスがロウシュの左腕を見る。
前合わせの服の袖がはためくだけの、本来あるはずの腕がないその場所を。
「カカカ。既にして土をつけられたからこその死人よな!」
言い返しながら、ロウシュは立ち上がる。
「だがまぁ、たまには弟子の顔を見に行くのも悪くはないやも知れぬな!」
あの、大した実力も魔力もない割に、珍妙な武器を器用に操り、自信と負けん気だけは底知れぬ少女。
「何やら戦の匂いもするしな!」
『その勘に間違いはなかろう』
立ち上がったことで了承を得たと判断したのか、エイワスが忽然と消え去る。
「相変わらず忙しいヤツよな。もう少し話してもよかろうにな!」
肩を竦めたロウシュは、南へと目を向ける。
「カカカ。じゃが血腥いのは善きことよな!」
戦とあらば、何処へでも足を向けるのがロウシュである。
最近、魔獣ばかり相手をしていて退屈していたところだったのだ。
自分の腕を斬り飛ばしたあの小僧が皇帝となって以降、他国との小競り合いすらなくなって久しい。
稀に西や南の兵を斬る程度では、物足りないと思っていた。
「人斬り哉♪ 人斬り哉♪」
弾むような足取りで、ロウシュは歩き出す。
ーーー東の人斬り、ロウシュ・ムナカタ。
極東の島国で生まれて大陸に渡り、東で数多くの将を斬って捨てた魔導剣を操る大罪人であり。
アウゴに破れて腕を失い、しかし特別に赦されてアーシャの師となった魔導剣士であり。
魔獣の巣くっていた古代遺跡より、【風輪車】をダンヴァロにくれてやった人物であり。
現在は『魔性の平原』の守護者としてブラブラと彷徨う、何よりも斬り合いが好きな、剣鬼である。




