死を命ずる。
アウゴは、全てを見ていた。
アーシャが己の手で〝獣の民〟の信頼を勝ち取る様も。
襲い来る魔獣に対処する様も。
そして〝六悪〟が一、〝傲慢なる金化卿〟に魂を売り渡した、ウルギー・タイガの所業も。
その、全てを見守ることが、アーシャの願いであり、望みであったが故に。
だが。
「アーシャ。たとえ、そなたが志半ばの死を、本望としようとも。その本望は、我が想いに反するもの」
アウゴが選び取る未来に、アーシャの死は含まれていない。
アーシャが、手助けを望まぬとしても。
彼女に望み願いがあるように、アウゴにも思い描く未来がある。
それが害されるのならば、アーシャの願いを無下にすることになろうとも、動かねばならない。
アウゴは皇帝である。
己の望みを叶えるために、この地位に在る。
その願いは、誰のどんな願いよりも優先されるのだ。
ーーーアーシャが、我の横に並び立つ未来は。
「死ぬことは赦さぬ。何が起ころうとも。……心に、刻むがいい」
腕の中のアーシャは、泣き出す直前のように顔を歪めると、目線を下げた。
「陛下……どうか、お慈悲を」
「否。アーシャを危機に晒す行為は、皇帝の名の下に赦されざる行為なれば」
目を細めて圧を強めると、ウルギーとギドラミアも地に伏し、〝獣の民〟の男が纏う土人形の体と鳥人族の男が押し潰れて、ミシミシと音を立てる。
「が、ぁ……!」
「ぬぅ……!」
「不甲斐なき者どもは、アーシャの側に侍る資格もない」
「陛下、どうか……!」
アーシャが腕の中で身悶えてすり抜けると、そのまま自ら頭を地に伏して、足元に頭を垂れる。
「どうか……どうか、わたくしに、お慈悲を」
「……?」
珍しく意図が読めず、アウゴは一度留まる。
「申してみよ」
「畏れながら、この状況は、かの者たちに責のある事には、ございません。全ては、わたくしの力不足によるものにございます」
ですから、とアーシャは地面に額を擦り付ける。
「罰を下す必要があると、陛下がお考えでありますれば、どうかわたくし一人に。相手の力を見誤り、無謀な攻めに及んだのは、わたくしにございます……!!」
アーシャの声が、震えている。
「〝獣の民〟は、陛下の救うべき者どもなれば、どうか……平和への世の流れを、塞き止める者は彼らではございません。未だ陛下の御心や御威光の、届かぬだけの者たちにございます」
「……」
「わたくしは矮小であり、陛下に並び立つに相応しくない身に、ございますが、どうか、今一度、わたくしに機会を……陛下の御心の有り様に触れえぬだけの、者たちに……その御心を伝え、彼らと共に、覇道を参ります機会を、お授け下さい……!」
アウゴは、アーシャの金の髪を見下ろし、続いて周りの者たちを見回す。
ナバダ、ベリア、そしてイオと〝獣の民〟の二人。
地に伏しながらも、なるほど、瞳から火を消している者はいないようだ。
アーシャを案じ、その裁定を案じている。
己が身のみを可愛く思う者は……ただ一人を除いて、いないようだった。
「無様を、晒して、しまい、誠に、申し訳ございません……ですがどうか……お慈悲を……」
「沙汰を、申し渡す」
アウゴは、身をかがめて、アーシャの肩に手を置く。
皇帝は地に膝をつかない。
それは臣下の行いであるから。
アーシャが顔を上げたので、その額の土を指先で払い、ついでに強く押し付けすぎてついた擦り傷を癒すと、言葉を重ねた。
「半月の間、都への帰還を命ずる。以て罰とする」
どうせ、夜会への参加準備には、時間が必要だ。
良き口実であろう。
罰をアーシャのみとせよと言うのであれば、不問とする以外の選択など、そもそもない。
「……仰せのままに」
ホッとした様子のアーシャに、アウゴは一つ頷いて、頬を撫でた。
「少し、眠るがいい」
魔術によってアーシャを眠りに落としたアウゴは、再び抱き上げて、始末をつけることにした。
「ナバダ・トリジーニ、イオ・トリジーニ。両名は、アーシャを助けんとしたその行為に免じ、罪状の一切を不問とする」
皇帝暗殺の罪も、連座でのイオの手によるナバダ暗殺の命も、これで解消となる。
二人の圧を解くと、イオは呆然としており、ナバダは不満そうな様子ではありつつも、大人しく頭を下げた。
「……ご厚情に感謝致します」
「殊勝なことだ」
微かに笑みを浮かべて、以前の断罪の場での暴言を揶揄ってやると、ギロリと睨みつけてきたが、何も言わない。
ーーー気概は死んでいないようで、何より。
アーシャが救おうとした二人は、そもそもから裁くつもりも無かった。
次いでアウゴは、圧を解くと即座にべアングリードの腕から抜け出したベリアに目を向ける。
「ベリア・ドーリエン」
「はっ!」
膝をついて、拳を地面に押し付けたベリアに、一言だけ伝える。
「アーシャを守れぬのであれば、辞すがいい。まだ従うのであれば、二度目はない」
「次は、命に代えましても」
深くうなだれた彼女に、それ以上言葉は掛けなかった。
「〝獣の民〟の者ども。我が臣下にあらざる故に、アーシャの嘆願に免じて長らえよ」
圧を解いてやっても、二人は答えず、こちらを警戒した様子を崩さずに姿勢を立て直す。
そして、最後に。
「価値なき者、ウルギー・タイガ。他者の力に、権に、魔性に頼らねば何一つ成せぬ者よ……大人しくしていれば生きること程度は許してやったが、最早、存在することそのものが無価値」
何があろうとも許すつもりのない、無様な姿でうつ伏せになった黄金の骸骨に、アウゴは傲然と言葉を投げる。
「アーシャに対する蛮行、定めを破りガームを弑した罪、我への不敬。その全ての罪状において、死を命ずる。己が選択の結果に、沈むがいい」
「クク……」
動けもしないわりに、ウルギーには余裕があるようだ。
笑みを漏らして、眼窩の紫炎を揺らめかせる。
「不死ナル私ヲ、ドウ殺ストイウノダ?」
ウルギーの言葉に、アウゴはそんな能力もあったか、と思い出した。
おそらくは、何らかの制約を掛けることによって、身と魂を不滅とする禁呪の類いだろう。
その『死』の条件は様々で、一律ではない。
だが、いちいち探り出すのも面倒臭い話なので、アウゴは少々思案した。
ーーーさて、どうするか。
すると沈黙をどう取ったのか、ウルギーがカタカタと嗤う。
「如何ニ強大ナ力ヲ持トウト、所詮、貴様ハ人間……イツマデ私ヲ抑エ込メルカナ……?」
どうやら、本格的にウルギーの人格が〝傲慢なる金化卿〟に乗っ取られ掛けているのだろう、一人称に別の声が重なっている。
今囀っているのは、おそらく、封じられていたという本物の金化卿なのだろうが……。
「我にとって〝六悪〟程度の相手など、戯れに過ぎぬ」
ウルギーの先の発言をそのまま返してやり、アウゴは対処を決めた。
一瞬のうちに魔力で魔導陣を描き出した後、つま先で軽く踏みつける。
「出よ。〝六悪〟が一、真理の探究に身を捧げ、異端の叡智を宿す者……」
「ッ!?」
アウゴの詠唱を聞いて、ウルギーが大きく顎を開いた。
「馬鹿ナ……馬鹿ナ……ソンナ、筈ガ……!」
「契約において、疾く顕れよ。ーーー〝貪欲なる胎児〟」
魔導陣が紫に輝き、ゆらゆらとウルギーに似た邪悪な気配が立ち登ると、アウゴの肩辺りに濃縮して結実する。
紫の靄で出来た臍の緒が繋がったままの、年老いた赤子。
それ以外に形容しようのない存在が、そこに居た。
臍の緒の先は、アウゴが人差し指に嵌めた指輪へと繋がっている。
『お喚びですか、我が主人』
しゃがれているのに甲高い声に、反応したのはアウゴではなかった。
「我ガ同胞ヨ……ッ! 何故、何故〝六悪〟タル汝ガ、人ナドニ従ッテイル……ッ!?」
『金化卿か……我が主人に喧嘩を売るとは、何とも愚かよな』
以前、魔導の探求をしていた時に出会い、戯れに降していたエイワスは、『フラスコの中の小人』とも呼ばれる存在である。
己の力で動く術を持たぬ代わりに、ありとあらゆる叡智に通じる……と言われているが、その正体は耳や目が広く、長生きしているだけの魔性だった。
知識は多少役に立ち、魔術もそこそこ扱えるが、ただそれだけだ。
だが、長生きしているだけあって雑学には通じている。
「金化卿の弱点を言え」
『複合魔術にて、不死たり得る者にございます。陽光に触れれば不死は絶え、魔獣に食われれば魂が砕ける……そのような制約にございます』
「なるほど。代わりに、魔獣や人を操る力を持つか」
『是』
不死という、幽玄と現世の逆転した力の代償は昼夜の逆転。
他者を征服する力の弱点は、征服した他者に革命を起こされること。
そういう事なのだろう。
タネが割れてみれば、大した仕掛けでもない。
「陽光か。……では、浴びるがいい」
アウゴの言葉と共に、ウルギーの周囲に陽光が溢れ出た。
どこまでも支配者、それが陛下。
次と、その次くらいで終わらせて……第一章エピローグに辿り着ければと……。
あ、本日二話目です。




