全力で跳びなさい!
「……デハ、ソノ愚カナ盲信ニヨッテ死ヌガイイ」
弾痕を頭蓋骨に刻みながらも、ウルギーは全く痛痒を感じた様子もなく、そう口にした。
刻まれた弾痕とそこから伸びるひび割れが、スゥ、と滑らかに元に戻る。
ーーー頭は、弱点ではありませんのね。
心臓が存在しなさそうな外見なので頭を狙ったのだが、もしかしたら、聖なる力が弱点であったりするのだろうか。
そうなると、吸血鬼に有効であるという白木の杭や、銀製の剣や鏃、弾丸、聖水などが必要になるのかもしれない。
当然、聖女でもないアーシャに聖属性の魔力など扱えないし、ナバダやベリア達も同様だろう。
そうであれば、不味いのだけれど。
アーシャが目まぐるしく考えていると、ウルギーが動き出した。
ユラユラと体から放たれる紫の靄が濃くなり、風に乗って辺りに広がっていく。
すると、アーシャの近くにそれが届いた時に、パチ、パチ、と周りで火花が弾け始めた。
ーーー【風輪車】の風防障壁と、反発しあっている……?
風防障壁は、魔力によって周囲に形成されている風の防壁である。
となれば、紫の靄はゴルゴンダの土を腐らせる力に似た、何か邪悪な魔術によって作られているものなのだろう。
あるいは、瘴気そのものか。
「退避!!」
アーシャは、ギドラミアの相手をしていたシャレイドとウォルフガング、そして私兵団に指示を出し終えて、アーシャ同様にウルギーを始末する隙を窺っていたベリアに、指示を出した。
しかし、遅かったようだ。
それまで緩やかだった靄の広がりが爆発するように加速して、後方に逃れていたナバダまでも呑み込んでしまう。
その途端、全員が動きを止めた。
「体の……自由が……!?」
「ぐ……!」
休息のために膝をついていたナバダが身をよじろうとして動けず、ベリアは槍を構えたまま硬直したように体を震わせている。
シャレイドが地面に落ちて、
「元ヨリ全テ、戯レニ過ギヌ」
二人の様子に、満足そうに頷きながらこちらを見上げたウルギーは、コリコリと硬質な音を立てて顎を指先で撫でた。
「女ナド、見目ガ良ク、黙ッテ男ニ侍ッテ居レバ良イ。下民ナド、青キ血ノ為ニ家畜トシテ生キテ居レバ良イ。醜キ者、出シャバル者、歯向カウ者……ソンナ者ドモニハ等シク、何ノ価値モナイ」
「戯言ですわね。手垢のついた物言いに、退屈で欠伸が出ますわ!」
誰も動けない状況。
ギドラミアは下半身に火傷を負い、首や腕、目などを幾つか失いながらも、まだ生きている。
幸い、魔獣を引き離す為に既に遠くに居る私兵団や〝獣の民〟の皆は無事に逃れているようだけれど……。
「傷顔。試シニ、モウ一度ダケ特別ニ、愚カナ貴様ニ攻撃ヲ許シテヤロウ。身ノ程ヲ知ルガイイ」
「あら、では遠慮なく!」
アーシャは、躊躇ったりはしない。
遠慮なく、今の自分が持てる最大の火力……残り一枚の炸裂符に魔力を込めて、ギドラミアの背中に向けて撃ち落とした。
宣言通りに何も対処した様子もなく受けて、火球が広がる。
紫の靄は吹き飛び、火球と爆発の威力に背中を焼かれて、ギドラミアが苦悶の声を上げた。
ウルギーは吹き飛び、四肢がバラバラになったが……カタカタと四散した黄金の骨が動き出して浮き上がる。
そして爆風でズタズタに引き裂かれて焦げた服の元へと集まり、何事もなかったかのように復活した。
「分カッタカ? 私ハ不死ヲ得タノダ。貴様ラガ、ドレ程足掻コウト、最初カラ無駄ナノダ」
カカカカ、と嗤う魔性は、自分のせいで余計な怪我を負った魔獣すらもどうでもいいようだった。
どこまでも傲慢。
その名に恥じない振る舞いは、アーシャの許容できる限界をとっくに超えている。
「サテ……」
ベリアの元へ歩み寄るウルギーに、アーシャは魔剣銃を構えるが……。
「モウ一度ダケダト、言ッタ筈ダガ?」
放たれた魔弾に、濃縮した紫の靄を撃ち返されて、アーシャはそれを回避した。
その間に、動けないベリアの前に立ったウルギーは、嬲るようにこれ見よがしに彼女に顔を寄せる。
「忌々シキ女、ベリア・ドーリエン……貴様ニ、罰ヲクレテヤロウ。ソノ手デ傷顔ヲ殺シ、一生人形トシテ、私ノ椅子ニデモナルガイイ」
「誰が、そんな事を……!」
「ソンナ口モ、スグニ利ケナクナル」
「させると思いまして!?」
風防障壁を纏ったまま、アーシャはウルギーに突撃する。
しかし。
「シツコイ羽虫ダナ。貴様ハ飛竜ト自分ノペットノ相手デモ、シテイロ」
と、ウルギーが指を鳴らすと。
モルちゃんが、ウルギーに支配されたのか、シロフィーナの拘束をシュルリと解いてコウモリの翼形態になると、こちらに向かって高速で飛んできた。
「なっ!? モルちゃん!?」
進路上に飛び出して来て網状になったモルちゃんに受け止められて、サイクロンの動きが止まる。
同時に。
『グルゥァアアア!!』
と、シロフィーナが襲いかかって来て、モルちゃんが、動きを止めたサイクロンに体当たりをしてくる。
「くっ……!」
サイクロンが傾いでバランスを取ることが出来ず、アーシャは巻き込まれないように自分から跳んだ。
咄嗟に手にした魔剣銃一丁を持って落下したアーシャに、サイクロンから離れたモルちゃんが、今度は触手状になってグルグルと巻き付いて来る。
「もう、モルちゃん! わたくしが主人でしてよ!?」
「漸ク大人シクナッタナ。ソコデ待ッテイロ」
ウルギーが再び指を鳴らすと、拘束されて動けないアーシャに、ベリアが槍を構えてフラフラと近づいてくる。
「お、お逃げ下さい、アーシャ様……体が、勝手に……!」
「わたくしも、動けるなら動きたいのですけれどね!」
潤んだ目でベリアが訴えてくるが、アーシャの力では、飛竜もある程度押さえ込めるモルちゃんの拘束は解けない。
魔術による精神共鳴も、ウルギーの強烈な支配によって弾かれてしまっている。
「アーシャ様……!!」
悲痛な声で訴えられても、なす術がない。
流石に命の危険を感じたアーシャが、焦りで歯噛みしていると。
「……させない」
そこに、聞き覚えのない声が響き。
「行け、【火吹熊】!」
アーシャの前に誰かが立ち塞がり、背後から飛び出してきたベアングリードが、ウルギーに襲い掛かる。
「……イオ?」
間に現れた人物に向かって呆然と呟くベリアに対して、後ろから見るに、どうやらずぶ濡れらしい青年が頷く。
「アーシャ・リボルヴァは殺させない。一緒に逃げろ、ベリア」
そこに居たのは……ナバダの弟、イオ・トリジーニだった。
※※※
『だからわたくしは……己に、そして陛下に恥じない生き方を〝選ぶ〟のですわ!』
崖から落ちた、イオは。
落下の途中で〝傲慢なる金化卿〟の支配が解けたベアングリードを操り、その頑強な体をクッションにすることでなんとか生き残っていた。
気絶したベアングリードが中洲に顔を出して引っかかったので、それが起きるのを待って荒れた川を渡り、なんとか〝獣の民〟の村近くに到着して、機を窺っていたのだ。
そして、アーシャと金化卿……ウルギーのやり取りを、聞いた。
「あんたの言葉、響いたよ。アーシャ・リボルヴァ」
振り向いたイオの言葉に、小柄で華奢で、一体どこからそんな活力が湧いてくるのか分からない、火傷を顔に負った少女が、不思議そうな表情を見せる。
「姉さんを、助けてくれてありがとう」
「あら、そんなもの、陛下の臣下として当然のことでしてよ?」
間髪入れずに言い返してきた彼女に、思わず苦笑する。
きっと、姉さんも。
この少女の強さを認めて、一緒に居ることを決めたのだろう。
彼女から来る手紙の内容は、イオを心配するものと、アーシャに関する愚痴が一番多かった。
あんなことを言われた、こんなことを言われたと……心底嫌そうな様子だったのに、どこか楽しげにも感じる手紙の内容だった。
そしてさっき聞いたアーシャの言葉と合わせて、納得した。
姉さんはきっと、彼女の真っ直ぐな生き方に……まっすぐに生きることが出来ている彼女に、嫉妬し、同時に憧れていたのだと。
「だから俺も、あんたに従って……自分と姉さんに恥じないように、生き方を選ぶよ」
ーーーその結果、死ぬことになっても。
「イオ!!」
声を張り上げた姉さんに顔を向けて、イオは微笑む。
「元気で、姉さん。……ベリアも」
「イオ……!? 一体、何を……!」
イオは、ウルギーを威嚇するべアングリード以外にも、数匹、仲間の群れを操っていた。
潜ませていた彼らに合図を出すと、一斉に飛び出してきて、拘束されたアーシャと、ベリア、ナバダを担ぎ上げて、一目散に走り出す。
「イオ・トリジーニ!」
「離れれば、支配は解けるんだろう?」
最初からイオに支配されているべアングリードは、ウルギーの魔術の影響を受け辛い。
そして、精神支配の魔術に耐性のあるイオは、自分を支配しようとするウルギーの紫の靄に、抵抗することが出来ていた。
ーーー後は、彼女達が十分に離れるまで、死なないようにしないと……。
支配が解けたベアングリードが、彼女達を襲ってしまう。
他に操られている〝獣の民〟には、残念ながら諦めて貰うしかない。
チラリと目を向けると、何故か動かないギドラミアの前に転がる鳥獣の男と、妙なゴーレムみたいな体をした男は、ホッとしたような表情を浮かべていた……が。
「貴様、ナルホド、ナバダの弟カ。……無駄ナ事ダ」
ウルギーが指を鳴らすと、逃げ去ろうとしていたベアングリードの動きが止まる。
「なっ……!」
精神の糸が繋がったまま、魔獣たちの操作が効かなくなったイオは動揺した。
「サァ、ドチラノ力ガ勝ツカナ?」
ーーー失態だ。
ウルギーは紫の靄だけでなく、イオのように直接支配する魔術も使えたらしい。
多分、あのギドラミアも、直接支配している魔獣なのだ。
だからアーシャをスライムボガードに襲わせる間は、動きを止めていたのだろう。
ベリアにアーシャを殺させて、その後じっくり始末するつもりだったに違いない。
西の大公同様、イオの知るウルギーも他人をいたぶって愉しむような気質があった。
機会があれば即座に殺害に移る暗殺者とは、根本的に違うのだということを、失念していた。
強烈な支配力のせめぎ合いの重圧に、イオは棒立ちになったまま全身に脂汗を浮かべる。
「クソッ……!」
相手の力が強すぎる。
徐々に押されていくイオは、他になす術もないまま全力で抗うが、ベアングリードは反転して、姉さんたちを抱えたまま、ジリジリとこちらに戻ってきている。
「コノママ、力尽キルマデ遊ンデヤッテモ良イガ……ソノ腕輪ノ支配権ハ、タイガノ血族タル私ニモアル事ハ、理解シテイルカ?」
汗が、一瞬で冷えた。
【服従の腕輪】を起動させられれば、イオは死ぬ。
ーーーどうする、どうすれば。
黄金の指を上げて、これ見よがしに鳴らそうと指を合わせるウルギーに。
「イオ・トリジーニ! 後ろに全力で跳びなさい!!」
アーシャの声が響き渡り、イオは考える間もないまま、それに従った。
なんだか良いところで切れたな……と思いつつ、出来るだけ早く次を更新します。
なんだか色々立て込んでおりましてね……(ぐんにゃり)




