妹が、とっても怒っていますわ!
父母との話し合いを終えた後。
鍛錬の時間になったので、アーシャは庭に降りようと屋敷の廊下を歩いていた。
すると正面から、5つ歳が離れた妹が歩いてくるのが見える。
「ご機嫌麗しゅうですわ、ミリィ!」
アーシャは、新たな目的が出来たことで気分に張りが出ていた。
上機嫌に挨拶すると、目を伏せて歩いていたミリィは、固い顔で目を上げる。
「……おはようございます、お姉様」
ーーー相変わらず、暗いですわねぇ。
ミリィは、昔はアーシャよりも快活な子だったけれど、成長するにつれてどんどん書斎に引きこもるような、大人しい性格になっていた。
彼女の容姿は、アーシャよりも色が濃い金髪で、顔立ちはよく似ている。
けれど、並ぶと13歳の彼女の方が少し背が高く、逆に線が細い。
深窓の令嬢という言葉がよく似合う、美しい自慢の妹だ。
最近反抗期なのか、あまりアーシャと話したくなさそうな雰囲気のミリィを、いつもならそのままスルーするけれど、今日は気分が良いせいか会話を続けたくなってしまった。
「ミリィは今日、何をなさいますの? 読書ですの?」
「……お姉様に関係ないでしょう」
「相変わらずつれないですわねぇ。小さな頃はもっと可愛らしく懐いてくれましたのに!」
アーシャが頬に手を当てると、ミリィは唇を震わせる。
「お姉様は、別にミリィなんかと話したくないでしょう!?」
そんな風に突然怒鳴られて、アーシャは面食らった。
ーーー話したくない?
それはミリィの方だと思っていたのだけれど。
「どういうことですの?」
「とぼけるの!?」
「別に、とぼけた覚えはありませんけれど」
本当に心当たりがないので小首を傾げながらそう伝えるが、何故かミリィはますます怒り出した。
「はっきり言ってほしいなら、言うわよ! ミリィを恨んでるから、その顔を隠さずに過ごしてるんでしょ!?」
「……???」
ーーー恨んでる、ですの?
思いがけない方向から伝えられた文句に、頭が疑問符で埋め尽くされる。
言葉が出てこない間に、ミリィは目の端に涙まで浮かべながら、さらに声を張り上げた。
「当てつけなんでしょう!? これ見よがしに、その、その傷痕を晒して、ミリィのせいだって責めているのでしょう!?」
ーーー喉は大丈夫かしら?
あんなに大きな声を出しては痛めてしまうかもしれない、と心配しながら、とりあえず話の続きに耳を傾ける。
「そう思ってるなら、そう言えば良いのに、お姉さまは、いつもいつもヘラヘラ笑って!! ーーー腹が立つのよ!!」
ーーーあら、まぁ。そんな風に思っていましたの?
思いがけない妹の内心の吐露に、驚きが冷めたアーシャは不意に笑いが込み上げて来た。
「ふふ……うふふふ……!」
「な、何、笑ってるのよ!!」
「ごめんなさい、おかしくて……うふふ、ミリィ」
扇で口元を押さえながら、不気味なものを見るようにこちらを見つめる妹の目を、真っ直ぐに見返す。
「ーーー気にしているのに言えなかったのは、わたくしではなく、貴女の方でしょう?」
「……ッ!」
そっと妹に向かって歩を進めたアーシャは、目を逸らそうとする妹の高い位置にある頬に手を添えてジッと覗き込む。
何故彼女がどんどん暗くなり、こちらを避けるようになったのか、その理由が分かってしまった以上、看過することは出来なかった。
誤解は解いておかないといけない。
あの時の事が、ミリィの心の傷になってしまっているのならば、尚更だ。
だからアーシャは、静かに微笑んで問いかけた。
「ねぇ、ミリィ。よくご覧になって。わたくしのこの残された左目は、貴女への恨みに、濁っていまして?」
ミリィのまなざしが、迷いに揺れる。
「貴女から見て、わたくしは見苦しくて?」
「そんっ……そんなこと……っ!!」
「ミリィは、わたくしが傷を負ったことを、ずっと気に病んでしまっていたのですわね。気づかずに申し訳なかったですわ!」
顔に火傷を負った時のことを思い出しながら、アーシャは言葉を重ねる。
「あれは決して、貴女のせいではなくてよ、ミリィ。だって、あの魔獣を呼び寄せてしまったのは、わたくしなのですもの」
「え……?」
知らないわけでは、ないはずなのだけれど。
彼女の記憶には、アーシャが庇って傷を負った場面だけが強く焼き付いてしまったのかもしれない。
あの時、ミリィはまだ6歳だったのだ。
「魔法を習い始めたばかりだったわたくしは、魔導書に興味がありましたの」
記された様々な知識の中に『森の生き物を引き寄せて酔わせる香』というものがあり。
屋敷にある植物で作れることに気づいたアーシャは、それをこっそりと作ったのだ。
今思えば、浅はかとしか言いようがない行いだ。
アーシャは、父の狩りに連れて行ってもらった時に、軟膏にも似たそれを使ってみたのだ。
何も考えずに、ただ、無邪気に。
「わたくしは、可愛らしい動物が来るかも、と、貴女を誘いましたの。そして木立の影から、二人で息を潜めて、香を塗った木立を眺めていましたのよ」
本当に集まるのかと、二人でワクワクしながら。
他の皆は、見える位置にはいたけれど少し離れていて。
だが魔導書に記されていた香は……子どもが戯れに作ってもいいようなものでは、なかったのだ。
異変は、森の向こうからやってきた。
次々と集まってくる、肉食も草食も問わない動物たちと共に、魔獣が姿を見せた。
そうして、手で香を木立に塗ったからか、強く香の匂いを漂わせていたのだろうアーシャたちに、目をつけた。
「突如群れ集った動物たちに阻まれて、お父様たちも、護衛も、すぐに近くには来れなかった。そんな中で、せめて貴女だけでも守らなければと、わたくしは魔獣と対峙したのですわ」
まだ、扱いを覚え始めたばかりの魔銃で。
あの時の母の、絹を裂くような悲鳴と、駆け寄ろうとしながら『逃げろ』と怒鳴り続ける父の声は、よく覚えている。
アーシャは従わなかった。
そして、運よく瞳を射抜いて魔獣の突進を押し留めた代わりに激昂させてしまい、吐かれた炎を避け切れなかったことで、顔に火傷を負ったのだ。
命中した銃弾の角度が良かったのか、魔獣はその後すぐに絶命した。
「この傷痕を負ったのは、わたくし自身の失態。そして貴女を傷ひとつで守れたことは、わたくしの誇りですのよ!」
自分の失敗で、危うく妹の命を失うところだった。
必要ないと言われながらも、興味を持った武の鍛錬を積んでいたおかげで、守れた。
その結果がこの傷痕だという、ただそれだけの話でしかない。
だから本当にミリィのせいではないのに、唇を噛み締めて目を見開く彼女は、納得出来ていなさそうだった。
「それでも、ミリィがいなければ、お姉様だけなら、逃げれたでしょう!? 顔に傷を負うこともなかったはずだわ!」
「わたくしが貴女を誘わなければ、よ。ミリィ。それは、勘違いしてはダメなところ。わたくしが気にしていないのに、貴女が気に病むことなんて一つもないのですわ!」
あの時、運よくミリィを守り切れていなかったら。
想像しただけで胸が張り裂けそうなその悲しみに比べれば、顔のケガが、どの程度のものだというのだろう。
「当てつけなど、とんでもないですわよ! それにわたくし、この傷のおかげで陛下のご興味を引くことが出来たのですもの!」
「お、姉様……」
「それでも、わたくしの顔を目にするたびに貴女が気に病んでしまうのなら、もう心配ありませんわ! わたくし、半月も経てばここを去りますのよ!」
「………………え?」
アーシャの言葉を受けて、ミリィが口元に手を添える。
「そ、それは、ついに、陛下と婚姻を……!? でも、半月は早すぎるんじゃ……?」
ついさっきまで怒っていたはずなのに、ミリィの関心はそちらの方が強いようだった。
そうであれば、彼女にとってはもしかしたら良かったのかもしれないけれど。
「わたくし昨日の夜会で、陛下に革命軍を結成すると宣言して参りましたの! その為に、南部に赴きますわ!!」
「………………は?」
「は? だなんて、乙女の言葉遣いとして、はしたないですわよ!」
何故か固まってしまったミリィに、アーシャはニッコリと注意する。
先ほどとは逆に、停止した後に彼女は混乱を極めたような慌てた口調でまくし立てる。
「そ、そんなことより、今お姉様が口にしたことの方が重要でしょう!? 革命軍!? 姉様は陛下のお妃になるんじゃないの!? なんで革命軍!?」
「婚礼の手土産ですわ! 出立前に、お茶でも飲みながらゆっくり話して差し上げますわね〜!」
「あ、ちょ……お姉様!」
「今から、わたくしは鍛錬ですの! 貴女も、たまには体を動かした方が良いですわよ!」
手を伸ばしてくるミリィにひらひらと手を振って、アーシャはその場を後にした。
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