正当性など、必要ございませんわ!
「……なぁ」
ベリアたちを迎えてから数日。
あの日から、折り合いをつけ切れていないのか、態度が少し変わったウォルフガングが、ベルビーニを連れて現れた。
「あら、お二人ともどうなさったんですの?」
「俺は父ちゃんに言われて風輪車の整備に来ただけだよ。ウォルフの兄ちゃんとは、そこで会ったんだ」
ベルビーニは特に何も聞いていないのか、アーシャへの態度に変化はないものの、ウォルフガングの様子から何かあったと思っているのか、チラチラと彼の顔を見上げている。
「でしたら、小屋の裏に置いてあるので見てきていただけまして?」
「うん。……なんかあったの?」
「大したことではございませんわ」
彼の父で魔導具職人であるダンヴァロは、ウォルフガング同様に村の顔役である。
手足の痺れも治ってすっかり信頼を取り戻している彼なら、多分アーシャの素性に関しても、村長シャレイドから聞いているだろう。
それでもベルビーニに何も言っていないのなら、必要がないと判断したのだと思う。
であれば、アーシャがわざわざそれを伝える必要はなかった。
「それで、ウォルフは何の用ですの?」
ベルビーニが小屋の裏手に回っていくのを見送りながら、アーシャが問いかけると。
「……こないだ、【遁甲蛇】が出る前、なんか言いかけてただろ。そいつを聞きにきた」
「出る前? ……ああ、大公を弑して大丈夫か、という話で合ってまして?」
「そうだ」
ウォルフガングは、硬い表情ながら敵意は感じない。
話しても特に問題もなさそうなので、アーシャはあっさりと『大丈夫ですわ』と答えた。
「ーーー別に、この革命に正当性は必要ないのですもの」
「……必要ない?」
左目の下に傷のある顔が、凶悪に歪む。
「そいつは、お前は大公どもをぶっ殺せりゃ、皆がその後死んでもどうでもいい、って意味か?」
「あら、不穏ですわね。そんな話はしておりませんわよ。それで『あなた方の選んだ生き方でしょう?』などという言い訳は致しませんわ」
つん、と唇を尖らせたアーシャは、すぐにクスクスと笑って前髪を掻き上げる。
「そもそも、陛下や臣民に対して、正当性を主張する必要そのものがない、という話ですわ」
「何でだ」
「陛下がお認めになったから、ですわよ」
表情が固いままのウォルフガングに、片目を閉じて右手の人差し指をピッと立てる。
「皇国は、陛下が絶対ですのよ。法の上に、陛下が在らせられるのですわ。誰一人として、本来、表立って逆らうことは出来ませんの。大公でさえ。……それはご存じでしょう?」
「ああ」
自治を認められた大公は、元は一国の王家の血筋である。
言うなれば、属国の王であり、勝者に対して逆らう権利などあろう筈もない。
民に対する以外の多くの権利は奪われ、税を納めることを義務として架せられている。
「絶対的な権限を持つ陛下に対して、わたくし、ほぼ全ての貴族が集うナバダ断罪の場で、宣言致しましたのよ。革命軍を作ると。そして、陛下はそれをお許しになられた。つまり、わたくしを旗頭に革命を起こした者は、皇国において罪には問われないのですわ!」
本来であれば、陛下とて法を守らなければならない。
だけれど、それは陛下が法に縛られる、という話ではないのだ。
陛下の名の下に定まりし法を、陛下ご自身が無碍にすることは、即ち法の正当性が失われる、という意味である。
故にこそ、絶対的な権力を持っていても、陛下は基本的には法の制限の中で行動を起こす。
本来であれば。
「多くの目があり、異を唱えようと思えば、唱えることが可能な状況でしたわ。ですが、誰もそうとはしなかった。それはつまり、貴族の多くが、法によらぬ宣誓と許可のやり取りを認めたということになりますのよ」
現実的には、あのやり取りに口を挟めたのは、高位貴族だけだっただろう。
けれど、建前上は誰であろうと、陛下に許可を求めれば発言することそのものは、可能だった。
ウォルフガングは、アーシャの言葉の意味を理解するまでに時間が掛かったようだ。
じわじわと、その表情が驚愕に染まって行く。
「お前が、居る限りにおいて……平民が貴族を殺そうが、大公の領をぶっ潰そうが、罪にはならない……!?」
「そういうことですわ!」
アーシャとて、ただ自分の身を考えなしに投げ出した訳ではない。
最初に『魔性の平原』を訪れたのだって、ある程度勝算があってのこと。
西や南の圧政に苦しんで逃げた者、恨みを持つ者が多く居て、魔獣の支配する場所で暮らすだけの気骨もあり、何より、出自に依らずアーシャ自身を認めてくれるだろう者たちの居る場所だったからだ。
「もちろん、あくまでも表向きは、ですわ。反対をしなかった者達も、『表向きは』わたくしの行動を許した」
もし本当に許さないのであれば、あの場で異を唱えるのが最善だったのだ。
あくまでも最初は陛下の発言ではなく、アーシャの発言だったから。
しかし誰も遮らず、陛下からお許しの言葉が出たことで、場が決したのである。
「裏向きには?」
ウォルフガングは、ギラリと目を光らせていた。
南の大公……貴族の横暴を許し、間接的に幼馴染みの命を奪って放置した支配者への復讐が、成し得るかもしれない。
そのことが、現実的に思えたのだろう。
瞳に熱が篭っている。
「貴方がご存じのように、わたくしは現在、陛下の唯一の妃候補ですの」
アーシャは、自分の胸に手を当てる。
もちろん、名乗りを上げる段階では、その座を狙う者は多くいた。
しかし、アーシャとナバダが己の能力と後ろ盾の権威を持って退け、あるいは汚い手を使う者達は、相応の報復でもってしっかり蹴り落としてきたのだ。
その結果、最終的に二人で競い合う形になり、ナバダがヘマを打ったのである。
つまるところ、現状はライバル足り得ない令嬢しか、ほぼほぼ残っていない。
しかし、後ろにいる貴族の当主達の中には、まだ諦めていない者も多いのだ。
「ナバダが候補から消え、唯一の候補たるわたくしが陛下の庇護が届かない場所にいる。これがどういう意味かは、流石にお分かりでしょう?」
「……格好の暗殺の的、だな。そう見えるだけだとしても」
「ええ。わたくしが消えれば、ライバルだった有力な令嬢が皆、高位貴族に嫁いだり婚約が決まっている以上、妃の位は空白地帯となる。今まで手をこまねいているしかなかった者達に、付け入る隙が出来るんですのよ」
その宣言を、荒唐無稽と断じた者、いつもの陛下の戯れと思った者以外も、誰も反対をしなかった。
だから、存在自体が治外法権ともいえる公爵令嬢、すなわちアーシャが誕生したのである。
「だが、だが、だ。もしそうだとしても、本当に貴族どもは納得するのか? 大公を殺すんだぞ。貴族を守らない皇帝に、本当にそのまま従い続けるのか?」
「初代と先代皇帝陛下に関しては、わたくしは存じ上げませんけれど」
アーシャは笑みの種類を変えて、酷薄に咲う。
すると、何故かゾクリとしたように、ウォルフガングが肩を震わせた。
「ですけれど、こと陛下に関してだけは、その心配は必要ございませんわ! 納得出来ない時に、追い詰められた者達が取る手段は限られている、とウォルフはお思いでしょうけれど……」
ーーー陛下は、一人全軍ですわ。
そう告げたアーシャに、ウォルフガングは疑いの表情を浮かべた。
「……とんでもねぇ化け物だとは言われちゃいるし、実際にダンヴァロの住んでた男爵領を滅ぼしたのも本当、なんだろうが」
それでも一人で皇国そのものを相手に出来るのか、と言外に問われるのに、アーシャは肩をすくめた。
「忘れましたの? 北と東の大公は、初代や先帝のなさりように不満を唱えて挙兵しましたのよ。その結果が、どうなったのか。……貴方、この国で陛下と領地の間で戦争が起こって被害が出た話など、聞いたことがありまして?」
「いや……そういや、経済が混乱したって話も、実家では聞いたことがねぇ、が。それこそ、おかしいだろ。戦争が起こってねぇなら、北と東を相手にしたって話自体が、眉唾ってことになるじゃねぇか」
ウォルフガングの言葉に、アーシャは頭を横に振る。
「なりませんわよ。挙兵した大公軍を、陛下がお一人で蹴散らして終わったのですもの。一日も保っていませんわ」
「は?」
『一日平定』と呼ばれる、陛下御即位直後のその事件について、アーシャは詳しく説明する。
苛烈で知られる初代と違い、自領の困窮に手助けをしなかった、良くも悪くも事なかれ主義の二代目。
先帝はそんな人物だったのだ。
ゆえに不満を募らせていた北と東の大公は、有能と噂はあれど、年若い現帝陛下の御即位直後に挙兵した。
指揮系統の移行に際する混乱、その隙をついた行軍のつもりだったのだろう。
しかし陛下は、そもそも兵を動かさなかった。
転移の魔術を使って本陣に突撃し、共謀して挙兵した北と東の前大公、そしてその挙兵の賛同者を〝害意の呪い〟によって死以上の苦しみの果てに始末したのだ。
その呪いを逃れた者の中に、それぞれの息子が残っていたのは行幸だったことだろう。
陛下を害すことが目的でなく、真摯に領地を憂いていた者は軒並み難を逃れた。
しかしそれでも、将や兵長を含む多くの者が同じように亡くなったという。
「……ですから、残りの大公も、実情を知る貴族達も、鳴りを潜めたのですわ。陛下ご自身に逆らうことの愚かしさを、魂に刻み込まれて」
ウォルフガングは、アーシャの説明にゴクリと息を呑む。
「ということで、陛下にとっての弱味となりそうな部分は、せいぜいわたくししか居りませんの。さしもの陛下も、唯一の婚約者候補を殺されれば動揺なさるのでは、とでも思っている輩もいるのでしょうけれど」
アーシャは、ホホホ、と口元に扇を当てて笑う。
「未だ革命も成し遂げず、そのご寵愛賜らぬわたくし程度が死んだところで、陛下が隙を見せる筈などないでしょうに。そう考えているなら愚かとしか言いようがありませんわね!」
まだしも『婚約者候補に自分の娘を』と思っている相手の方がマシ、まであるというものだ。
「ですから、誰にでもリターンがあり、誰にでもリスクのあるこの状況なのですわよ。……ウォルフ、改めて問いますわね。貴方は乗りますの? それとも、反りますの?」
「乗るさ」
ウォルフは、今度は躊躇わなかった。
「俺も、お前に従おう。とんでもねぇ貴族令嬢を、全力で守ることにする。お前が生きてる限り、この手で南の大公をぶち殺せる機会が巡ってくるんだろう?」
「ええ、きっと」
アーシャが満面の笑みを浮かべると、ウォルフガングも牙を剥くような獰猛な笑みで、それに応えた。
『未だご寵愛賜らぬ』……気づかぬは当人ばかりなり。
そんな残念に斜め上なアーシャちゃんですが、そろそろ苦難が襲いかかる……かも、しれません……襲いかかるのかなぁ……。
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