村に着きましたわ!
案内してくれる道すがら、ベルビーニは自分のことを話してくれた。
「元々、父ちゃんは腕の良い職人だったんだ。でも、しばらく前から手足に痺れが出るようになって、働けなくなって……それでやさぐれちゃって。でも、何かしないと飯が食えないからさ……」
そんなベルビーニの健気さに、アーシャが感激していると。
「ここだよ」
と、少年は丘の先を指差す。
案内された距離は、さほど遠くなかった。
ベルビーニの足で来れる程度なのだから、よく考えたら当たり前なのだけれど。
アーシャたちは、森からさほど離れていない小さな丘の上から、村を眺めていた。
視線の先に、建物と柵が見える。
地形と低木で遠目からは上手く隠れる位置に作ってあるようで、案内されなければ気づかなかっただろう。
丘からは、草木に覆われかけた細い道だけが、村に向かって続いている。
「あそこが貴方の村ですの?」
その問いかけに、ベルビーニはうなずいた。
「そうだよ……」
なぜか安堵と緊張が入り混じった顔の少年に、アーシャは小首をかしげる。
「あら、ちゃんと帰れたのに、あんまり嬉しくなさそうですわね?」
「見ず知らずの人間を連れて帰るんだから、そりゃそうでしょ」
ナバダが呆れた顔で、アーシャに告げながらベルビーニを見る。
「嫌なら、やめといた方が良いわよ?」
「どういうことですの?」
「……アンタ、助けて貰ったからって、外で会った誰とも分からない馬の骨を家長の許可なく公しゃ……じゃなくて、屋敷に上げたら、どうなるか考えてみなさいよ」
問われて、アーシャは一考した。
もし公爵邸に、命を助けられた人物を招待したら。
「多分お父様もお母様も、お礼を言って歓待なさいますわね!」
二人はご自身の身分を十分に弁えておられるけれど、だからと娘の命の恩人を無碍にはしない確信があった。
「このお花畑……ッ! じゃあ、門兵の許可なく帝都に入れたり、自分の寝室に引っ張り込んだり、妹の部屋に勝手に案内したら!?」
「それは、流石のお父様でも怒りそうですわね!」
しかしアーシャは、陛下に命じられでもしなければ、そんな真似はしない。
「いつ盗賊や魔物に襲われるかも分からない場所にある村に、人を入れるってのはそういうことなのよ!」
「あら。それはマズいのではなくて?」
「だからそう言ってるでしょうが!」
アーシャがポン、と手を打つとナバダが怒鳴り、ベルビーニが吹き出した。
「ベルビーニ、何がおかしいのですの?」
「いや、本当に姉ちゃんたちが盗賊なら、オイラの前でそういうやり取りはしねーんじゃないかなって思って……」
「わたくしたちは盗賊ではありませんもの。当然ですわ!」
だからそういう問題じゃ、とナバダが言いかけるのに、彼は首を横に振る。
「いいよ、ナバダの姉ちゃん。オイラが決めたんだから、二人は気にしなくて」
決心がついたのか、また歩き始めたベルビーニに、ナバダと顔を見合わせてからついていく。
「本当に、マズかったら中まで入れなくていいのよ?」
それでも、彼女は心配そうに問いかけた。
ナバダはアーシャ以外の相手に対してはこんな風に、世話焼きで優しい一面を見せる。
「ま、怒られたらさっさと出て行けば良いですわよ!」
「出ていかせてくれない可能性も考えなさいよ、お花畑」
「その時は、実力行使で出て行けば良いのではなくて?」
「それもそうね」
「……出来たら、オイラはそんなことになってほしくねーなぁ……」
アーシャたちの実力を知っているベルビーニが、引きつった顔で言う。
そうこうする内に村の前まで来ると、柵門の近くにいる獣人たちがこちらに気づいた。
※※※
――一方、帝都では。
「……いかがなさいますか?」
宰相の問いかけに、執務室で渡された書類を一瞥した皇帝……アウゴは、内心少し面白がりながら返答した。
「時がくれば、アーシャを一度呼び戻す」
その短い一言に、察しの良い宰相はうなずく。
「では、伝令を?」
「必要ない」
アウゴは自らが言葉少なである自覚があった。
それでも、伝えるべきことは口にするように心がけてはいる。
が、相手がある程度自分の頭で物を考える人間でなければ、こちらの意図を理解出来ないこともまた、理解していた。
故にこの宰相を、アウゴは『極めて優秀な者』と評価している。
それに、こちらの気分を害することを恐れずに、意見を述べる胆力を持つ者は少ない。
欠点といえばアウゴに堅物で堅実な為、アーシャほどの面白みがない点だけだ。
アウゴは彼の質問に対し、さらに答えを重ねた。
「我が迎えにゆく」
「……また、勝手にお出かけになるおつもりですか」
宰相が渋面を浮かべたので、アウゴはあるかなしかの微笑みを返した。
「我が伴侶候補は、もうアーシャが唯一。贔屓にして当然」
こうして、最終的には宰相が『御心のままに』と頭を下げる割に、こうして苦言を呈してくる辺りが、アウゴにとって好ましいのだ。
そして、無駄と知りながら目的を果たすための奸計を回らすところも、だ。
「どちらにせよ。そちらの方が、疾く目的が果たせる」
「重々承知しておりますが。それでも、不穏な者たちに付け入る機会を与えるのが、好ましくない事実にございます」
表情にこそ出さないが、この宰相こそが、最後の最後まで『リボルヴァ公爵令嬢の暴挙を赦したことを、撤回せよ』と反対を述べ続けた一人だった。
二心ある者は誰も反対せず、今頃アーシャの命を狙うために動き出しているだろう。
アーシャを亡き者とし、自身の娘を皇妃に、と欲望に目を輝かせながら。
つまり、反対していた者はより狡猾か、二心なしと判断できる。
宰相は最も忠実な者の筆頭であり、ゆえにこんな書類を持って来たのだろう。
―――『領王を一堂に会する、席を設ける。』
端的に言えば、それは『現在、唯一の皇妃候補であるアーシャを連れ戻せ。』という宰相の抗議の表れに他ならなかった。
未だに彼は、アウゴがアーシャに自由を赦したことを認めていないのだ。
領王、とは、この皇国が皇国になる前……初代バルア皇帝に当たる祖父の代に併呑した、王国や部族のかつての支配者であり、最も力のある領主らのことである。
西の大公や、南の大公もその一人だ。
初代皇帝は、支配以外に興味がなかった。
最後まで屈さずに抗戦した王族は、領内が乱れることになろうとも、容赦無く一族郎党皆殺しにした。
しかし、機会を見るに敏、と降伏したり傘下に入った者に対しては、手厚く遇したのだ。
従うならばと放置した、とも言える。
その中でも、税を納め、兵力を削いで開拓に振り向ける代わりに、領土と領主の支配権をそのまま残された元王族や支配者たちが、すなわち領王である。
領王の地位は、臣籍降下した王族に与えられる『公爵』に匹敵し、故に領王の中でも力のある者を『大公』と呼んでいるのだ。
それは慣例であり、彼らの正式な地位は、国境の守護を任される者に与えられる『辺境伯』である。
『領王会議』は年に一度、必ず開かれる。
それが新年会合だが、今回の招集は臨時招集と呼ばれるものだ。
勅命による緊急招集を除けば、法典に領王を集める状況について幾つか記載があり、今回開催する理由が、アーシャの現状への抗議と受け取れるのだ。
今回の理由は―――『正妃候補が定まれば、速やかに領王を招集し披露を行うこと』。
要は今回宰相の持ってきた書類は『貴族への、アーシャとの婚約披露宴を行え』という意味であり、アーシャが正妃となる前準備の一環だった。
彼女が革命軍を率いて戻ってからでも遅くはない、とアウゴ自身は考えていたが、宰相は一刻でも早くそれを推し進めたいのだろう。
彼女が帝都を出た今でも、宰相は手元に引き戻すのを諦めていない。
危険だから。
守らねばならぬから。
―――我は、アーシャと視線を繋いでいるのだがな。
決して宰相の思うような『野放し』にはしていない。
しかしそれは、公にはしていない事実だ。
宰相に対してすら、告げていなかった。
結婚披露宴を行えば、帝都からアーシャを出さない理由がより強固になるとでも、思っているのだろう。
だがアーシャは、立志を終えてからの婚姻を望んだ。
故に、アウゴは披露宴は執り行うにしても、アーシャを帝都に縛り付けるつもりは毛頭ない。
―――全く、小賢しい。
しかし、あえてそれを仕掛けてくる事が面白い。
闇雲に忠誠を誓われるよりは、主人の為ならば意に沿わぬことをしようとする方が、相手をしていて楽しい。
アウゴは、宰相に目を向ける。
「アーシャは、止まらぬだろう」
「止めていただきたく存ずる、と、再三申し上げております」
宰相はこう見えて、アウゴ自身の次くらいには、アーシャを買っている。
正妃となる者を容姿の美醜のみで評価するほど、くだらぬ価値観は持ち合わせていないのだ。
性格的にどうであろうと、妃としての素養は随一、と、候補として挙げた時の調べで宰相は口にしていた。
「止めぬ。しかし、会合の場を設けるは、許す」
再び御前に戻る時は革命軍を率いて、とアーシャは言ったが、彼女の道行きに、披露宴は益となる。
正式な披露が行われれば、別の正妃候補を、と口にする者たちは黙らせることが出来るのだ。
―――アーシャが婚姻を結ぶ前に、殺すか直接攫う以外の方法を取る手段が、失われる。
皇国に二心を持つ者どもが、手駒を動かさざるを得なくなる。
彼女の元へと、集うのだ。
目的に叶う、となれば、アーシャも拒否はしないだろう。
アウゴは書類に署名し、判を押して宰相へと返した。
出ていく彼の背中を見ながら、アウゴは〝獣の民〟が住む村へと向かう、アーシャの視界に意識を向ける。
何よりも、楽しみなのは。
「我の顔を見て驚き、嬉しそうに笑うアーシャを眺められる」
アウゴは、外見からは分かりづらいが。
正直、そろそろ目で見て愛でるだけでは収まらないほど、アーシャを愛しく思っている。
―――誰にも手は出させん。
視界を繋いだのは、心配よりも。
アーシャの全てを眺めたい、という自分の欲望のほうが大きいことを、アウゴは自覚していた。
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