助けた少年が、いい子でしたわ!
「そこの貴方。無事ですの?」
アーシャが、ナバダに抱えられた獣人の少年に近づいて声を掛けると、彼は犬に似た顔の大きな口をぽかんと開いて、魔獣とこちらを交互に見た。
「あの魔獣を、一人で倒したのか……? 姉ちゃんが!?」
「そうですわよ?」
何か驚くようなことなのかと、アーシャは首を傾げた。
得意な間合いで落ち着いて対処できる状況であれば、狩る方法を訓練すれば誰でも獣は狩れる。
狩りは、準備と度胸が全てだ。
「それより貴方、怪我などはなくって?」
「ない、けど……」
ナバダに降ろされた少年は、なぜか警戒した様子で毛を逆立てる。
「姉ちゃん、もしかして貴族か?」
「あら、何で分かったんですの?」
思わず問い返すと、ナバダが舌打ちした。
「何を素直に答えてるのよ!?」
「あら」
言われてみれば、認めてしまってはせっかく変装している意味はない気がする。
これは失態、とアーシャがおでこに手を当てると、少年はジリジリと後ろに下がった。
「やっぱりか! そんなケッタイな喋りかたしてたら、オイラみたいな子どもでも分からぁ!」
「ケッタイ……?」
「珍妙な喋りかたってことよ」
「まぁ! わたくしの口調の、どこが珍妙ですの!?」
言葉遣いの美しさには、誰よりも気を付けて来たつもりなのに。
そう思っていると、ナバダが深くため息を吐く。
「あのね。貴族言葉ってのは、普通、貴族しか使わないのよ。お分かり?」
まるでかつてのように、薄く笑いながら嫌味ったらしく言葉遣いを正す彼女に、アーシャは眉根を寄せる。
「撃ち殺しますわよ?」
「あら、ご令嬢が随分と物騒ですこと!」
怖い怖い、とわざと口元を押さえるナバダに、ピキピキとこめかみが鳴る。
―――くっ……そういえば、ナバダはこういう女でしたわ!!
何かあればすぐにアーシャを煽り、あげつらおうとする気に食わない性格をしていることを、思い出した。
応戦態勢に入り、怒りを押し隠してアーシャも完璧な笑みを浮かべる。
「これは失礼いたしましたわ、ナバダ。元々下賤な上に愚かしい貴女と違って、わたくしは、そのようなことを口にしてはいけませんわよね?」
「……!」
ナバダも、頭に血が上りやすい性格をしている。
我ながら安い挑発をしているのにあっさり乗って来て、頬を引き攣らせながら睨め付けてきた。
「困ったわね、さっきの今で、もう気が変わりそうよ。この場で首を掻き切ってやりたいわ……!」
「出来るモノならやってご覧なさい? 実行した時に、血の海に沈むのは貴女のほうですわよ!」
ふふん、と鼻を鳴らして睨み返すアーシャに、横から少年がおそるおそる口を挟んでくる。
「ね、姉ちゃんたち、仲悪いのか……?」
問われて、ナバダと同時に我に返る。
「まぁ、良いとは言えませんけれど、今はあんまり関係ないですわね!」
「そ、そうね。それよりアンタ、何でこんなところで魔獣に襲われてたの?」
気を逸らすと言うか、本題に戻るというか微妙なところだが。
少年に問いかけると、彼はまだこちらを信用していいか半信半疑な様子で、状況を口にした。
「いや、食べ物を取りに来たんだけどさ……」
彼の説明によると、この大岩周りの樹林は豊富に木の実などが採れるらしいが、代わりに魔獣の巣窟なのだそうだ。
少年の住んでいる村では、大きな獲物の分け前が働いている量で決まるらしく、貰えるものだけでは食うに足りないらしい。
「それで、拾いに来たんだけど、あの魔獣に襲われたんだ」
「なるほど……許せませんわね!」
「え?」
アーシャは、拳を握りしめる。
「こんな年頃の子を危険な場所に赴かせるだなんて! わたくしが、村長か誰かにガツンと文句を言ってやりますわ!」
「え? え?」
動揺する少年を見て、ナバダが呆れ声を上げる。
「アンタ、本当に猪突猛進ね。小さな村なら、食い扶持を稼ぐ為に全員が働いて当たり前なのよ。いちいち怒るようなことじゃないわよ」
「それなら、村の中で働かせればよろしいんじゃなくて!?」
「それじゃ食えないから、外に出て来てるんでしょ。これだからお貴族様は」
「……むぅ」
確かに、アーシャは恵まれた生活をしていたので、そこを突かれると弱い。
ナバダは帝都にいたとはいえ、素性が暗殺者なのであれば、もしかしたらそうした村の出身なのかもしれなかった。
だからといって、一方的にやり込められるのは癪だ。
素早く頭を働かせたアーシャは、背後に転がる魔獣に気づいた。
「なら、つまり、村に貢献したと言えるだけの分け前があれば、貴方はしばらく村から出なくて良い、ということですわね?」
「まぁ、そうだけど……」
「だったら、良い案がありますわ」
ニッコリと笑ったアーシャは、背後の魔獣を指差す。
「あれを村に持ち帰れば、しばらく安泰でしょう!?」
人間の数倍ある魔獣から採れる肉は、小さな村くらいならしばらく賄うのに十分だろう。
アーシャの提案に、少年はポカン、と口を開けた。
「えっと……それはそうだけど……どうやって持って帰るんだ? それに、あれ、姉ちゃんの獲物じゃ……」
「別にわたくしは欲しくないですもの!」
言いながら魔獣の元に向かい、アーシャはポーチの口を開ける。
そして念じると、魔獣の巨躯がしゅるん、と中に収まった。
「は!?」
少年は先ほどから驚きっぱなしで、もう顎が外れそうになっている。
「こうして運べば、村に持って行くのも簡単ですわ! 案内して下さる?」
少年は少しためらった様子を見せてから、チラチラとアーシャとナバダの顔を見る。
「どうしましたの?」
「村の場所を貴族に教えるってことに抵抗があるのよ。ここは皇国領じゃなくて『魔性の平原』よ。この子、〝獣の民〟でしょ?」
言われて、アーシャは納得した。
自由を尊び、国家に属さない人々なのだから、そういう懸念があって当たり前だった。
〝獣の民〟との繋がりは欲しいところではあるけれど、年端もいかない少年に迷惑を掛けるのは本意ではない。
「なら、すぐ近くで魔獣の死骸を出して、お別れしたら良いのではなくて?」
「アンタがそれで良いなら、別に良いんじゃないの?」
そうして少年の顔を見ると、彼はペタリと獣の耳を伏せて、申し訳なさそうな顔をする。
獣の顔でも、意外と表情というのは分かるものだと、アーシャは全然関係ないところで新たな知見を得る。
「……な、なんでそんなに親切にしてくれるんだ……?」
「困っている民を助けるのは、貴族として当然の務めですわ!」
「この子にはバレてるから良いけど、アンタ、どこでもここでもそれ言わないでね」
ナバダに刺された釘に、分かってますわよ! と言い返している間に、少年は決意したようだった。
「いや、村まで案内するよ。オイラ、怒られるかもしれねーけど、助けて貰ったのに礼もしないの、なんか違うと思うし……」
「そうですの? 貴方、良い子ですわね!」
別にお礼はいらないのだけれど、彼の心根は素晴らしいものなので、アーシャはニッコリと笑って頭を撫でる。
すると、へへ、とちょっと嬉しそうに声を漏らした彼は、先に立って歩き出した。
「褒められたの、久しぶりだ! あ、そういえば、一個忘れてた」
「何ですの?」
「オイラ、ベルビーニって言うんだ! 姉ちゃんたちは!?」
「わたくしは、アーシャですわ」
「ナバダよ」
それぞれに名乗り合うと、ベルビーニは初めて、満面の笑みを見せた。
「ありがとう、アーシャ、ナバダ! ちょっとの間だけど、よろしくな!」