魔獣退治ですわ!
〝獣の民〟が住まう『魔獣の平原』に足を踏み入れたアーシャが、少し先に進むと。
徐々に姿を見せたのは、真ん中が大きく割れて谷のようになった巨大な岩だった。
正直、遠目に見なければ小さな山としか思えないくらい大きく、周りも樹齢が古そうな背の高い樹木に覆われており、そこだけ異質な場所に見える。
「うわぁああああああ!!!」
その周りにある森の方、遠くから聞こえた子どもの悲鳴に、アーシャはナバダと顔を見合わせた。
「何ですの?」
「アタシに聞かれて分かる訳ないでしょ」
「それもそうですわね。何だか切羽詰まっていそうな声ですし、様子を見に行きましょう!」
「面倒ごとに首突っ込むの?」
「困っているなら助けないと、寝覚めが悪いですわよ!」
「ッ……この甘ちゃんのお人好し……」
アーシャが言い捨てて駆け出すと、文句を言いながらもナバダが追従してくる。
―――ちゃんとついてくるのに、素直じゃないですわねぇ。
思わず、笑みを浮かべてしまう。
帝都では、衝突することは多くても馴染みが薄かった彼女だけれど、以前の取り巻きたちに対する態度を見るに、どちらかと言えば面倒見が良い方だ。
ナバダの素性からすれば半分演技だったとしても、全てが上辺だけの人間が認められるほど、女の世界は甘くはない。
岩に近づいていくと、徐々に視界の中で木々が巨大になっていき、岩の姿を覆い隠していく。
逆に、森の方から響いてくる不気味な音が、鮮明に聞こえるようになってきた。
「魔獣……?」
「みたいですわね。おあつらえ向きに、こちらに迫ってきてますわ!」
ナバダのつぶやきに応えた時、森の切れ目からカゴを背負った小さな影が飛び出してきた。
獣人の少年だ。
その背後から、バキバキ、と音が響き、木の枝を強靭な毛皮でへし折りながら、黒く巨大な魔獣がそれを追って姿を見せる。
「【火吐熊】……!?」
「あら、ずいぶんと大きな個体ですわね!」
炎を吐く熊型の魔獣だが、通常のものよりも遥かに巨体だった。
俊敏で剛腕、かつ獰猛。
追われている少年は、全く生きた心地がしないだろう。
むしろ今まで逃げ切れているのは、子どもとはいえ流石に獣人、といったところか。
先ほどまでは相手が動きづらい森の中だった、というのも理由としてあるだろうけれど、見た感じ、足が速いわけではないようだ。
でも、左右にジグザグに駆ける動きが、魔獣を翻弄して攻撃を避け続けている。
「あの少年、お願い出来まして?」
ナバダが短剣を逆手に握るのを見て、アーシャも魔剣銃を片手で引き抜きながら問いかけた。
「構わないけど……あれ、あんたがどうにか出来るの?」
確かに、大人の五倍はありそうな巨軀の獣は、強力な魔法でも弾くことがある。
「もうちょっと小さめなら、昔倒したことがありましてよ!」
ベアングリードは、アーシャの顔に火傷を負わせたのと同種の魔獣だ。
「今から、アレの気を逸らしますわ! 頼みましたわよ!」
「分かったわ」
ナバダが地面を蹴り、今までとは比べ物にならない速度でアーシャを追い抜くのを見送りながら、腰のポーチに手を伸ばす。
その紐に、アクセサリーのように吊り下がっていたスライムボガードをそっと左手に取り、触腕を指に巻いた。
「頼みますわよ、モルちゃん!」
スライムボガードにつけた名前を口にしながら足を止め、魔力とイメージを流し込みつつ、鋭く腕を振る。
「シッ!」
投擲したモルちゃんは、触腕がピン、と伸びるあたりまで突き進むと……指から触腕が剥がれると同時に、その姿を変えた。
頭のない、コウモリと鳥の合いの子のような、あるいは凧のような奇妙な形状になると、翼を羽ばたかせて垂直に浮き上がり、そのまま魔獣に向かって滑空する。
ベアングリードの視線を遮って飛び抜けたモルちゃんに、ベアングリードが反応した。
『グゥルァアアアッッ!!』
よだれを撒き散らしながら立ち上がり、爪で叩き落とそうと暴れるが、モルちゃんは、するん、するん、と柔らかい動きでそれを掻い潜る。
十分に魔獣を引きつけている間に、ナバダが横抱きに少年を掻っ攫って逃走した。
「戻りなさいな、モルちゃん!」
それを見届けたアーシャが声を張ると、モルちゃんがトンボ返りを打ってまた垂直に浮き上がり、魔獣の手が届かない位置から、緩やかにこちらに戻ってくる。
すると、ギロッと、ベアングリードの顔がこちらを向いた。
「わたくしに対して、この距離で弱点を晒すのは愚策でしてよ?」
アーシャはモルちゃんを左手で受けて、その勢いを殺す。
ぐにゃり、と形を崩して元の小さな雫型の球体に戻ったのを、指に巻きつけて垂らしたまま。
アーシャは体を半身にし、重心を落として魔剣銃を両手で構えると、両目が使えるようになったことで精度の上がった、最大射程と速度を持つ〝〝風の魔弾〟〟を、一発だけ放った。
キュン、と音を立てて宙を駆けた弾丸が、狙い違わずベアングリードの右目を射抜く。
―――命中!
スッ、と息を吸い込んだアーシャは、さらに集中する。
血を飛び散らせた魔獣は痛みを感じたのか、一瞬だけ動きを止めた。
次に射抜くのは、左目。
先ほどと同じく放った〝風の魔弾〟によって、完全に視界を奪われた魔獣が、前脚を振り上げて激怒の咆哮で大気をビリビリと震わせる。
だが、仮に魔獣ではない獣であっても、興奮している場合、死んでいないならこの程度では止まらない。
嗅覚も聴覚も優れるべアングリードは、自分を傷つけたアーシャに向かって、真っ直ぐに突っ込んでくる。
一口で食い殺そうというのか、大きく開いたその口に向けて。
「これで、終わりですわ!」
アーシャは、射程が短い代わりに最も威力のある〝火の魔弾〟を撃ち込んだ。
弾丸が口蓋を貫き、後頭部を突き抜けるのを確認しつつ、アーシャは身をかがめて、突進してきた魔獣の股下を潜り抜ける。
そのまま外套の裾を靡かせて振り向くと、ドシャ、と前脚を折った魔獣が、勢いのまま地面を削りながら転がり。
炸裂した火の魔力が、ベアングリードの頭蓋の中を焼き尽くして、燃え上がった。