母カルガモの後ろを列をなしてついていく子カルガモのなかで、1羽だけ転けて出遅れるどんくさい子カルガモが前世の私は、今世ではどんくさ令嬢と呼ばれています
8月16日に追記をしています。
後からつけたすのは、とも思ったのですが/ちょこっと/を。
ややこしくして申し訳ありませんが、お許し下さい。
私は前世ではカルガモの雛だった。
日向ぼっこが大好きで、お日様に暖められた石の上にちんまり座りぽかぽかすると、体毛もふんわり膨らみ、くーくーお昼寝する毎日が最高だった。
側には、葉に隠れるように下垂れして咲く鈴のような小さな花が11個ついている鈴蘭が咲いていて、それが私たち兄妹11羽と数が同じだったから、鈴蘭がお気に入りになった。
小さな私の世界は地上では狭いものであったが、頭を上げると空が無限に広がっていて時々主様の姿を見ることができた。主様は、とっても恐ろしくてとっても大きくてとっても美しくてとっても強い、鳥の王であり空の支配者だった。
一度だけ一瞬だけ、稲妻のように目が合ったことがあった。凄くびっくりしたけど、凄く幸せで小さな羽がぴるぴるふるえた。
私には5羽の兄と5羽の姉がいたが、兄や姉が母カルガモの後ろをきちんと列をなして集団で歩いているのに、私だけズレていたり転けていたり穴に落ちていたりする鈍臭い子カルガモだった。もし、カルガモではなくツバメの雛に生まれていれば確実に巣から落ちてピーピー鳴いていたであろう、要領の悪さだった。
母も兄も姉もドジな私に冷たかったけれども、自然界における弱い個体の扱いはそういうものなので本能的に納得もしていた。
ある時、川で母について兄や姉がスイスイ泳いでいくのに、私だけ流されて沈んで。川底の石と細長い魚が見えて、私の小さな羽の中につくられた空気の層から細かい泡が、白く白く流れて、ぷくぷくぷくぷく到達する水面は太陽から届いた光でキラキラ光って、眩しくて。
ーー暗転後、人間の双子の赤ちゃんに転生していた。主様と目が合った時以上にびっくりしたものだ。
でも人間になっても私はどんくさいままだった。
双子の姉は金の髪に青い瞳の妖精のように美しい容姿をしていたが、私はカルガモ時代と同じような黒褐色の髪に黒褐色の瞳の平凡な容姿で、トロくて鈍い子どもだった。
何でもないような場所で躓き、石があれば必ず転び、扉で顔面を打ち、足を滑らせたり手を滑らせたりして持っているものを落とす毎日だった。
そんな私だったから、両親が姉だけを溺愛するのも仕方無いと思った。思ったけどとても寂しかった。強者が生き残る自然界の摂理がある子カルガモ時代なら理解もできるが、裕福な人間の子どもなのに両親から冷たくされるのは辛かった。
姉だけが両親と観劇や買い物に行き、私は屋敷でずっと勉強を課せられていた。
家は伯爵家で、本当ならば姉が後継者として学ぶべきなのだが、姉は当主となるための厳しい教育を嫌がった。なので私が姉を補助するために全ての教育を受けさせられていたのだ。
姉には綺麗なドレスや宝石が与えられたが、双子であっても小柄な私には姉の御下がりが与えられた。姉にいじめられても理不尽な言いがかりをされても、両親は姉の味方をして私がいつも叱られた。
私たちが生まれてから、領地で金鉱が発見されたり、商会で取引が次々と上手くいったり、豊作だったり、幸運が続いたことから姉はその容姿もあり幸運の妖精と呼ばれ、両親や周囲から望むこと全部が叶えられるままに育った、美しく、そして驕慢に傲岸不遜に。
私は、小さい頃にお茶会でドレスの裾を踏んでビターンと転けて以来どんくさ令嬢と呼ばれていた。しかも姉が伯爵家の巨富と自分の婚約者である公爵家の令息の権力を背景にして、女王様のように振る舞うものだから、令嬢たちの嫉妬や反感が八つ当たりのように流れてきて私が発散の的となってしまい、友人なんて一人もいなかった。
両親や姉は私のことを、クズとかノロマとか蔑むくせに姉の我が儘の尻拭いを私にさせた。
子カルガモ時代も危険がいっぱいだったから弱いものが攻撃されるのはわかるけど、家族にまで便利に利用されるだけの人生なんて悲しかった。
だから立つ鳥跡を濁すことにした。
子カルガモ時代も狭い世界しか知らなかったが、今の私も貴族の令嬢として屋敷をメインとして小さな世界しか知らないけれども。でも、子カルガモ時代の小さな世界には美しいものがたくさんあった。
蜘蛛の糸に降りた朝露、
蝶の羽、
水の煌めき、
草花の緑のグラデーション、
地面を覆う花びらの地上の虹のような色彩、
たくさんたくさん私の世界は美しかった。
今の私には小さな部屋しかない。だから無謀でも、私の人生を私だけのものとするために家を出ようと決心した。
主様のように無敵の強さはなくても、子カルガモよりも人間の私は強くて知恵もある。だって姉のかわりの当主教育で、謀略とか奸計とか一通り嗜み、鳥の世界には権謀術策なんてなかったから興味津々でいっぱい勉強したものーー貴族には貴族の殺し方があるって。
「うふ、まず姉の婚約者に手紙ね。姉の部屋の鍵も忘れずに同封しないとね」
姉には入り婿予定の婚約者がいるが、婚約者との関係は最悪だった。
姉の、婿に入る立場のくせにという強気な態度と人を見下す性格、何よりも姉の美男ばかりを集めた取り巻き集団が社交界で眉をひそめられていた。
お世辞を言ってチヤホヤする取り巻きならば未だしも、姉の場合は公然たる愛人状態なのだ。
両親は、姉のただの友達という言葉を信じているが、ただの友達はキスなどしない。
未婚の女性が男女二人っきりで会話するだけで、悪意をもって噂を流される貴族社会において容認される範囲ではなかった。しかし決定的な証拠がないため噂として囁かれるだけであった。
「証拠がないなら、きちんと証拠とすればいいのよ」
と玄関に横付けされた公爵家の立派な馬車を窓越しに見て私がひとり呟く。
「相手は公爵なのよ。陥れるはかりごとの貴族の頂点なのよ。甘く考えすぎ」
両親も貴族社会で生きてきたのに、姉かわいさで目が曇ったのか、金鉱で途方もない財産を築いて人々が下手に出る生活が続いたためか、公爵家との婚約に危機感が薄かった。
使用人の慌てる声が聞こえた。
婚約者の予定にない突然の来訪、しかも公爵夫妻も同行の。
姉の部屋へと駆けるように近づく足音が響く。
乱暴に扉の開かれる音と姉の悲鳴、そして婚約者の怒声には隠し切れない勝利者の愉悦があった。
私もこっそり覗きにいくと。
姉は取り巻きの美男とベッドの上にいて。
服はベッドの下にあった。
ーーこれは、よくて婚約破棄の莫大な違約金か、悪くすると公爵家による伯爵家乗っとりコースだわ。
その場合は、姉の不貞を理由に子どもができるまで姉は監禁かも、子どもの父親を明確にするために。で最悪、子どもを出産した姉は用済みだから両親とまとめて病死……?
当主教育による知識が貴族の悪辣さを教えてくれる。
公爵家のあるかもしれない良心に期待しよう、それに両親も姉かわいさに頑張るだろうし、私はうんうん頷いてスススっとその場から離れようとしてベタンと転けた。けれども誰もが激しく相争う罵りあいをして興奮していたため、気付かれることなく部屋に戻れたのだった。
「皆、混乱しているから今がチャ~ンス」
用意してあった鞄を持って、使用人に見つからないようにコソコソ動いて屋敷から逃げ出した。
しかし裏門から数歩も歩かぬうちに、公爵家の馬車より豪華な装飾の黒い馬車に引きずり込まれてしまった。
「探したよ、リゼリティーヌ。でも、かわいいことをしていたから終わるまで待っていたのだよ。私の雛、ようやっと会えた。ずっとずっと探していたのだ」
男がいた。とても美しい男だ。
孤高の狼のような気高さを滲ませながらも気品ある端正な美貌の男が私を見ていた。
私はぽかりと口を開けて固まった。
男の金の双眸が。
猛禽そのものの鋭い眼差しが。
捕食者の頂きに君臨する主様と同じだった。
「……主様……?」
私はかつて鳥の王だった。
あの雛が、自分にとってどんな存在であるか、気がついていたのに私は失ってしまった。
目が合った、あの一瞬。
私の唯一無二と心臓に刻まれるほど愛したのに、雛が幸せそうに日向ぼっこをしているから、母鳥から引き離すには幼すぎるからと巣立ちを待ったばかりにーーどれほど自分の愚かさを呪ったことだろう。
そう、呪ったのだ。自分も、私をおいて死んだ雛も。
自身の命を使って魂と魂を呪縛したのだ。
そして魂を繋いだことによってわかったことが、ひとつ。
雛には〈幸運〉という天恵があった。
私は愕然とした。
〈幸運〉は、自分の幸運を他人に与える能力だった。つまり他人に幸運を与えるかわりに、自分は幸運を失い不運に不幸になるのだ。
日向ぼっこをして、ふわふわと体毛をふっくらさせている可愛い雛が石からトテッと落ちるのも。
母鳥の後を集団となって追う兄雛姉雛から、1羽だけペシャリと転けて遅れてしまうのも。
濡れた羽を懸命に羽繕いしているのに、よろめいてポテンと穴にはまってしまうのも。
あの厳しい自然環境で、11羽の雛が1羽も欠けることなく健やかに成長していたのは、私のいたいけな瞳をした雛が自分の幸運を与えていたからだったのだ。
だから私の雛が死んだ翌日に親子は全滅したのだ。
〈幸運〉は、その持ち主を大切にしていなかった場合は〈幸運〉を与えた者が離れてしまうと、〈幸運〉を受けた者は与えられた〈幸運〉の数倍数十倍の不運と災厄に襲われてしまうのだ。
ゆえにリゼリティーヌの生家の伯爵家も、もう終わりだろう。
リゼリティーヌをどんくさ令嬢と蔑みいじめた者たちも。
生まれた者を大切にする、躓いた者に手を差しのべる、それだけでよかったのに。
それだけで災いを避けることができたというのに。
もっともリゼリティーヌは自分が〈幸運〉持ちとは知らないから、因果応報くらいにしか思わないだろうが。
それに例えリゼリティーヌが〈幸運〉のことを知っていたとしても、自分の意志で止められるようなものではない。〈幸運〉は天からの恵であり授かり物であるのだから。
伯爵家では〈幸運〉ゆえに不運であったリゼリティーヌだが、これからは私がいる。私がリゼリティーヌを不運から守ってみせる。
〈幸運〉を与えて不幸になるというのならば、それ以上に私がリゼリティーヌを幸せにしよう。
何もない場所で躓くというのならば、その前に私が助けよう、何度でも何千回でも。
不運でも、私が幸運と幸福をリゼリティーヌにもたらせば良いのだ。
私はリゼリティーヌの両脇に手を入れ持ち上げた。捕まった子猫のように瞳をまんまるにしてプランとした状態になったリゼリティーヌに不幸など2度と感じさせぬと心に誓った。
「ぴー……、主様は人間になっても大きいです」
「おまえは人間になっても小さいままだな」
ああ、可愛い雛、今度は手放さない。
私は木陰でお昼寝をしていた。
落葉樹の下、私のまわりには、白のピンクの赤の黄の紫の、釣り鐘状の可憐な花を下向きに咲かせた鈴蘭が群生していた。
鈴のような壺型の小さな花。
細い花茎。
葉は細く長く色は濃い緑色。
葉陰にうつむきがちに咲く鈴蘭は、風に揺れるとりりりと鳴っているようで愛らしい。
木々の葉から溢れた木漏れ日は、星が散っているようにキラキラ美しい。
私は幸福のため息をついた。
伯爵家にいた頃は、お昼寝をすることも許されず勉強ばかりだったが、ここでは子カルガモの時から大好きだった日向ぼっこしていても叱られたりしない。
ポカポカお日様の匂いがするような風につつまれて、主様のお屋敷は子カルガモのようにぴーぴー鳴いてしまいそうなくらい幸せでいっぱいだった。
あの日、主様に拐われるように連れてこられたお屋敷は、小規模な森と清らかな泉を敷地内に所有する広大なもので、大勢の使用人に傅かれ、私の人生は何度びっくりすることが起こるのかと思ったものだ。
でも、一番びっくりしたのは主様に求婚されたこと。
びっくりしたけれども、嬉しくて嬉しくて泣いてしまった。
子カルガモの時に目が合った、あの一瞬。
短い命のなかで最も愛したのは、あの一瞬だった。
そうして私は、主様によって幸福という名の揺りかごにポコンと入れられたのだった。
/ちょこっと/
そよそよと涼やかな風が流れる空の下、色とりどりの千紫万紅の花花が自らの美しさを謳歌するように咲き溢れていた。芳しい花の香りが蝶をよぶ。空と花との間を、宝石のように煌めきながら蝶たちが舞姫のごとく飛び交った。
緑の羽の蝶はエメラルドのような舞いを。
赤い羽の蝶はルビーのような舞いを。
青い羽の蝶はサファイアのような舞いを。
木陰に座る主様の長い足の間にちょんと小さなお尻を置き、日向ぼっこをしていたリゼリティーヌは宝石の舞いを披露する蝶たちを見て、サファイアの羽の蝶の不思議を思い出していた。
ててててて、と短い足で一生懸命に走る子カルガモは、ふかふかの黒褐色の綿埃が動いているようだ。
目的は、お日様にあたためられたポカポカの黒い平べったい石。しかし今日は先客がいた。あたたかい石で暖をとるように青い蝶がとまっていた。
蝶は、寒さに凍てついた凍蝶のように鈍く僅かにも動かない。青く美しい羽が傷つき吹かるる命のように弱っていた。
ぴー
たいへん、たいへん、と子カルガモは半泣きになりながら絶賛大混乱で全力疾走をして石のまわりをグルグルまわる。ドジッ子なので、ピヨっと鳴いてはベシャリとすっ転んでいたが、めげずに怪しい儀式のように短い足でぐーるぐる。本人も何故ぐるぐる回っているのか理由はわからない、ただプチパニックで走り回っているだけだ。
羽毛がアホ毛のように頭の上でくるんっと立っている様は、とてつもなく可愛いが本人は必死である。
トテッ、狼狽えて転んだ拍子に子カルガモの羽が傷つく。
その時、青い蝶がふわりと飛び立った。
どうしてか、蝶の傷がなおっていた。
子カルガモは、自分の傷はそっち退けでぴぃぴぃ喜んで、ひらひら飛び去った蝶を見送ると、んしょっと黒い石に乗った。ふわふわのちっちゃなお尻をふりふりして、てん、とすわって丸くなる。
羽は痛いが、お日様がほかほか体をつつんでくれて心地いい。
そよぐ風で擦れ合う木々の葉の音も、そよぐ風に含まれるひとひらふたひらの花の甘い匂いも、傷がなおってそよぐ風に消えていった美しい青い羽の蝶も、うれしくてうれしくて子カルガモの気持ちに春の光のように染み渡った。
「今でも何故あの青い蝶の傷がなおったのか、とても不思議で……」
背後からリゼリティーヌを抱きしめる主様は、慈しみをこめた指先でまろやかな頬を撫でた。
「その黒い石に何か力があったのかもな?」
「まあ! 確かにあの石はとても綺麗でいつもポカポカして特別な感じがありました。納得ですわ」
うんうん頷く愛しいリゼリティーヌに主様は微笑む。
リゼリティーヌは自分の〈幸運〉を自覚していない。
無意識に〈幸運〉を分け与え、蝶の身代わりとなったのだ。
人間に転生してからも子どもの頃は、冷たくされても両親を慕い大好きな両親の幸せを願い自覚なく〈幸運〉を与えていた、やさしいリゼリティーヌ。
しかしリゼリティーヌのやさしさも幸せも惜しみ無く奪われるだけだった。
だから今度は自分が惜しみ無く愛をリゼリティーヌにそそぐのだ、無限に愛の湧く泉のようにーーやさしい主様の眼差しに、リゼリティーヌはくすぐったそうに嬉しそうに笑った。
余談だが、子カルガモのお気に入りの黒い石は、とある王国の宝物庫におさめられている。
日向ぼっこ石として子カルガモに愛されて、つまり〈幸運〉を与えられたものの石ゆえに〈幸運〉を使うことなく〈幸運〉の貯蔵庫となっていたが。美しい黒い石として猟師に拾われ、そこからは人から人へ。その間に貯まっていた〈幸運〉を発動し、ありがたい幸運の石として最後に王に献上された頃には、〈幸運〉はカラッカラッになっていたが、過去100%の実績がものをいって国宝となったのだった。
鈴蘭の花言葉は、「幸福が戻ってくる」です。
読んでくださり、ありがとうございました。