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ヒーローになりたいのなら

作者: ままま

 勇敢でいたいのなら、臆病な自分を捨てるな。とは、誰が言った言葉だったか。

 


 なあ、知ってるか。と隣から声がした。僕、高橋裕太は走らせていたペンを置く。ちらりと横に目をやると、数人の男子生徒が話をしているようだ。

 なんだ、と思いもう一度ペンを握るが、その男子生徒が「ヒーローが出たんだ、」と話を続けるものなので、すっかり話に聞き入ってしまう。

 ヒーロー?あの、テレビに出てくる?と、頭の中でいくつも疑問符を浮かべている僕の隣で、その奇妙な英雄譚は静かに幕を上げた。全て聞き取れた訳ではないが、大方こんな内容の話だったと思う。

 


 昨日、この高校の近所の交差点で、トラックが小学生と衝突事故を起こしそうになった。その交差点は住宅の塀に囲まれていて見通しが悪く、車両用信号機のみが設置されている。

 これを目撃したのはどうやらこの話をしている男子生徒の友人のようで、彼はその小学生の少し後ろを歩いていたという。

 小学生は石か何かを蹴りながら歩いていた。そしてその交差点に差し掛かる直前、少し力を込め過ぎたのか、蹴り出された石は勢いよく交差点の中ほどまで飛び、落ちた。こちら側の信号は赤色を掲げている。

 その小学生は自分が蹴り出した石を夢中で追いかけていった。後ろを歩く彼が気付いたときには、あろうことかそのまま交差点に進入してしまった後だった。

 その時、左手間近にスピードを出して迫る大型のトラックが目に入った。けたたましいクラクションの音が交差点に響く。戻れ!と叫ぼうとするが声が出ない。すでに小学生とトラックとの距離は目算10mも無い。どうするーー今から走って、いや、間に合わない。

 刹那ーー彼の横を、"何か"が一瞬で通り抜けていった。トラックは甲高いブレーキ音を響かせ、数m先で停止した。彼ははっとし、我に返る。衝撃音は無い。何が起こった?

 トラックが通り過ぎた後の交差点には、片膝をつき、小学生を小脇に抱える1人の男の姿があった。

 赤色のマントに、青いタイツのようなスーツに身を包み、顔は目出し帽のようなマスクで確認できない。昔、テレビで見たことがある。あの頃憧れていた、まさにその"ヒーロー"がテレビからそのまま出てきたような姿に、彼はますます困惑する。

 どうやって助けた?あの一瞬でトラックよりも速く、小学生を抱えて走ったのか?と、呆然と立ち尽くす彼をよそ目に、男は小学生を地面に降ろすと、そのまま走り去ってしまったという。



 僕が半信半疑で聞いていたその話は大いに盛り上がり、午前中が終わるまでに教室はその話題で持ちきりになった。

 どうやらその謎の"ヒーロー"の目撃情報は少なくないようで、不良に絡まれる老人を助けただとか、引ったくり犯を捕まえただとかいう、ますます疑いたくなるような話が幾つも出てきた。

 僕は昔見た連作のヒーロー映画を思い出す。

 普段は会社員として過ごしている平凡な男が、事件が起こるとヒーローのアイデンティティーとも言えるそのスーツに着替え、もとい、「変身」し悪と闘うという内容の映画だ。どの話もテンプレート的な展開だったのだが、当時の僕はそれに心酔していた。きっと誰もがそうだっただろう。

 特に変身するシーンが好きだった。自分がヒーローだと周囲に知られる訳にはいかない彼は、誰もいない屋上や、時には公衆トイレの中で変身する事もあった。その秘密をテレビを通して覗き見ているような特別感が嬉しかったのを、今でも覚えている。



 終業のチャイムが鳴り、一目散に教室を駆け出した。エアコンの効いていない夏の蒸した廊下の湿気を、身体で切るようにして走る。奴らに見つからないうちに。

 奴らとは、隣のクラスの木部とその友人らだ。まともに友達がおらず、いつも一人でいた僕に目を付けた彼らは、新しい玩具を見つけた子供のような眼をし、しかし全く子供らしくない遊びを僕に対して行ってきた。

 暴力など日常茶飯事で、財布から堂々と現金を盗られた事だって1度や2度ではない。

 それが典型的ないじめだという事は最初から分かっていたし、初めの内は抵抗もした。しかし、その度に彼らに痛めつけられ、最近は抵抗する気力も無くなった。

 だからなんとかして会わないように、逃げ続けているのだ。惨めと言われればそうかもしれない。しかし、勝てないと分かっている相手にわざわざ立ち向かう勇気は、もうとっくにどこかへ行ってしまった。

 もたもたと下駄箱で靴を履き替えていると、後ろから肩を叩かれた。鼓動が速くなるのが分かる。しまった、という後悔が冷や汗となって額に滲む。

 しかし、振り返ってみるとそこには馴染みの顔があった。

「よう裕太。お前、すごい汗だぞ」と彼は暢気に言った。僕は「お前のせいだ」と返す。

 彼、小椋京介は僕のほぼ唯一と言っていい友人で、小学生の頃からの長い付き合いがある。確か、僕に連作のヒーロー映画を薦めたのも彼だったような気がする。

 自転車をカラカラと漕ぎながら、彼に今日の話をした。無論、謎の"ヒーロー"についてだ。

「ヒーロー、ねえ」

「馬鹿馬鹿しいと思うか?」

「いや、きっといるよ、その人は」

「そりゃあ、目撃者が何人もいるんだし、全員が全員嘘をついてるとは思えない」

 そうじゃなくて、と彼はこちらを向く。

「誰かのピンチに颯爽と現れるヒーローが、どこかにいるんだ、やっぱり。昔観た映画、覚えているだろ?」

「ああ、たしか題名は...」と思い出そうとすると、「マージナル・マンね」と彼は即答した。そんな題名だったかな、と考えるが、彼が言うならそうなのだろう。

 マージナル・マンと言えば、最近どこかで聞いた覚えがある。

「それって、たしかレヴィンの」

 少し前の授業に出てきたレヴィンという心理学者の紹介欄に、マージナル・マンの名があったのを思い出す。

 「ああ、日本語では境界人、だったか。確かに、作中のマージナル・マンも昔から臆病だった自分が、勇敢でいる事が求められるヒーロー社会にいきなり放り込まれた事で悩まされるシーンが何度もあった」

 "ヒーロー社会"という言葉に少し可笑しさを感じながら、僕は「そうだったのか」と答えた。

「だがな、」と彼は続ける。

「ある時彼は言うんだ。たしか、悪の組織に一人で乗り込むシーンだったかな。クライマックスだよ。彼の正体を知っている友人に、どうしてそんなにも勇敢になれる?赤の他人の為に闘えるんだ。って言われて...」

「なんて言ったの?」

「私が勇敢なのは、臆病だからだ。誰よりも勇気を望むからこそ、戦える。って。」

「カッコいいだろ」と言って、彼はにひひと笑った。

 彼の言う「勇気」という言葉に、少しどきりとした。

 ユウキ、と呟いてみる。しかし、その声はすぐに周囲の蝉の鳴き声に上書きされてしまうほど小さな呟きだった。



 その日は、最悪の朝から始まった。

 自分のクラスへ行こうと廊下を歩いていると、向こうから木部が数人を引き連れて歩いて来るのが見えた。まずい。と思ったが廊下は一本道で、このまま行くと木部に見つかってしまう。

 引き返そう、と考えた時にはもう遅かった。木部は僕を見つけ、大きな身体を揺らしながらこちらへ向かって来て言った。

「久し振りだなあ、高橋。最近見かけなかったけど、お前、まだ学校にいたんだ」

 木部の周りにいた連中が一斉に笑った。足の裏から根が生えたかのように動けなくなり、自分の呼吸音だけがひどく大きく聞こえる。

「今日ちょっと暇してるからさあ、放課後、俺達と遊ぼうぜ。駐輪場で待ってるから、早く来い」

 木部が顔を近づけてそう言ってきた。僕は、ただ小さく頷いた。木部たちが去ったあとも、僕はその場から動けないでいた。

 そして、今はもうその放課後になっている。時間が経つにつれて、胃の痛みがだんだんと強くなるのを感じた。あんな奴らの言いなりになるなんて情けない、とそう思いながらも、重い足取りで駐輪場までの道のりを歩く。

 もうすでに木部達はそこにいた。

「遅かったじゃん。来ないかと思ったわ」と、挨拶がわりと言わんばかりにみぞおちを小突いてきた。

「それで、何か用?」なるべく冷静な風を装ってそう言った。

 彼らは少し驚いた顔をしたが、すぐにニヤニヤしながら僕に詰め寄った。背後には自転車があり、逃げられない。

「いやーちょっとお金がなくてさあ、ほら、高橋って金持ってるっしょ。言いたい事、わかるよな?」

 やはりそうか、と思い言われた通りに財布を取り出そうとする。顔を上げると、相変わらず木部はニヤついていた。これで解放されるなら、とそう思った時、昨日の京介との会話がふいに思い出された。

 マージナル・マンもたしか、臆病な性格に悩んでいたんだったな、と。変身して強靭な身体を手に入れたからと言って、心までは強くなれなかった。彼はあくまでも、自分の力で強くなったんだ。でも、とすぐに頭を振る。僕は強靭な身体も手に入れていないし、そもそもヒーローじゃない。

 そこまで考えた所で、なかなか財布を取り出そうとしない僕に痺れを切らしたのか、「おい、早くしろよ」と言って木部が僕の脇腹をめがけて蹴りを放った。うっ、と脇腹を抱えてうずくまりそうになる。まずい、早くしなければ次はもっと強くなる。そう思ったとき、木部の肩越しに、少し遠くの方で翻る赤い布がちらりと目に入った。

 その瞬間、木部が「ぐえっ」というカエルの鳴き声にも似た悲鳴をあげた。木部がうずくまると、その背後から青色のスーツに身を包み、顔には目出し帽にも似たこれまた青いマスクを装着し、肩には赤色のマントを掛けた男が現れた。背が高く、筋肉質な身体がスーツに浮かんでいる。昔観たヒーロー映画が、すぐに脳裏に映し出された。

 周囲にいた名前も分からない木部の友人達が「誰お前?」「ふざけてんのか?」と大声で男をまくし立てるのが聞こえ、僕ははっとする。木部の友人達が男に殴りかかっていた。

 男は軽々と身体を回転させてそれらを避けると、右手に拳を作った。そのうち1人の腕を掴むと、顔面をめがけて右手を振った。そんなほぼ一方的とも言える闘いを繰り広げ、あっという間に立っているのは僕とその男だけになった。

 ふいに、男の右手の甲から血が垂れているのが見えた。見ると、倒れている1人の手に、小型のサバイバルナイフのようなものが握られている。

 男は最後に木部に向って、「次は無い」と言い放った。その声におや?と思ったが、声が出ない。お礼を言わなければ、と思いながらも、憮然として立ち尽くしている僕を横目でちらりと見ると、男は駆け足で去っていった。

 あ、とようやく声が出るようになった頃には、男の姿はもうどこかへ消えてしまっていた。



 数日後、僕は例によって廊下を全力疾走した後、昇降口でもたもたと靴を履き替えていた。

 あれから、木部達が関わって来ることは無かった。しかし、念には念を入れて、合わないのに越した事はない。

 その時、後ろから肩を叩かれた。鼓動が速くなり、額に冷や汗が滲む。しまった、油断したか、という後悔が頭の中を埋め尽くす。

 しかし、振り返るとそこにいたのは京介だった。

「またお前か、びっくりさせるなよ」

「いやー、悪い悪い」

 と、頭をかく彼の右手に目が留まった。その手には、包帯が巻かれていたのだ。

「お前、その手」彼の右手を指差す。

「あー、これ?まあ、料理してたらさ、ヘマしちゃって」

 それを聞いて、僕は友人のあまりにも下手な嘘に思わず吹き出してしまう。どうやったら料理中に手の甲を切ると言うのか。彼は、笑う僕を不思議そうに見ていた。

「どうしてーー」と彼に尋ねる。

「?」

「どうして、そんなにも勇敢になれるんだ」

 彼は少し驚いたような表情になった。しかしすぐに理解したようで、なんの事かは分からないけど、と言い「多分、俺が臆病だからかな」と続けた。

 それを聞いて、それなら自分もあんな"ヒーロー"みたいになれるのだろうか、と考えていると「そうだな、お前も臆病者だから、きっとなれるさ」と彼が言うものだから、驚いた。声に出ていたとは。

「なんだそれ、嫌味か」

「いや、本気だよ。誰だって勇気を振り絞ろうと苦労してる。俺だってなれるなら本物のヒーローになりたいさ。でも、紛い物だからこそ、臆病でいられるのかも知れない」

「よくわからない」本心だった。

 でもーー

「でも、もしそうなら、やってみようかな。僕も。誰かを助けられるような人間になってみたい」

 僕はそう呟いた。そして今度は、さっきからずっと昇降口に響いているセミの鳴き声にも負けていなかったようだ。その証拠に、彼がこちらに親指を立てていた。




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