紅茶に砂糖をひとつ ~ 追伸
「アーサー、あなたいつになったら結婚するの?」
姉で銀行員と結婚したサラは弟に厳しく言った。
「一回したじゃないか」
「したけどすぐ別れたでしょう?跡継ぎもいないし、この先どうするつもり?もう40過ぎてるのよ」
「…来月…子供を引き取る…」
「はあ?子供を引き取るって…養子を取るの?なんで自分の子供を作らないの!」
「僕の子供だよ…」
サラは弟を驚いた顔で見つめた。
「相手はどうしたの?なんで子供だけ引き取るの?とんでもない相手に引っ掛かったんじゃないでしょうね!」
「…僕が彼女に酷いことをしたんだ。僕の子供を産んでくれるだけ奇跡なんだよ。彼女を責めないで欲しい」
「酷いことって…」
アーサーは覚悟して姉を見た。
「…犯罪行為だよ」
姉は弟の顔を見て察した。
暫く黙った後、口を開いた。
「なんでそんなバカなことを…」
「…手に入れたいと思ったんだ…。でも彼女は僕の資産や地位等になびく女性ではなかった」
「どんな人なの?」
「日本人で大学を出た後…サラも知ってるような日系の大企業に勤めてる優秀な女性だ。きちんと躾された家庭の可愛い優しい女性だよ」
「…結婚は申し込んだの?」
「…断られた。当然だけど」
サラは深い溜め息をついた。
「なんてことしたの…」
暫くしてサラは弟に尋ねた。
「その女性は子供を産んでくれるっていうの?」
「…最初は当然堕胎するつもりだったらしいよ。でも…僕が引き取りたいと強く言ったので…優しい彼女は子供を殺してしまうよりは…と産んで養子に出してくれることになったんだ…」
「…」
「多分心優しい彼女のことだから、僕に子供を渡した後は苦しむと思う…」
「なんてこと…」
サラは弟が小さく飾っている写真の東洋人の女性が誰なのかと思っていたが、やっと正体がわかった。写真の女性は年若く見え、さらさらの黒髪が綺麗で純粋に育って来たように見えた。
「いくつなの?」
「37…いや38になった」
「えっ!そんなに風には見えないわね…東洋人ってわからないわ…」
「…アーサー…その女性にとってこの妊娠は人生で最初で最後かもしれないのよ。本当に愛しているなら何度でも許しを乞うべきね」
サラはぴしゃりと言った。
生後1ヶ月検診を受けてから飛行機でウェールズへ連れてきた赤ん坊は女の子だった。サラは弟の罪を背負って生まれてきた姪を見に行った。基本弟に似ているが、東洋人とのミックスらしい、いいところ取りのような綺麗な赤ん坊だった。
アーサーが仕事の時はナニーが世話をするが、アーサーはこよなく娘を愛し、自分が仕事でないときは娘アンの世話をした。
アンはすくすくと育った。
「お父さん、アンのお母さんはどこにいるの?」
幼稚園から帰ってきたアンが発した一言にアーサーはたじろいだ。
「遠いところにいるよ」
「…死んじゃったの?」
「いや、生きてるよ」
「じゃあどうして一緒にいないの?」
「…僕が彼女に酷いことをして嫌われたんだよ…。アン、ごめんね」
「…」
「でも彼女はお前のことを心から愛してるよ。それだけはわかっておくれ」
「…お母さんはアンのこと愛してるの?」
「うん、世界で一番愛してるよ」
「会いたいなぁ…」
「でもお父さんが酷いことをしたから会えないんだ。ごめん、アン…」
アーサーはアンを強く抱き締めた。アンは小さいながらも会ってはいけないのだと少し理解した。
小学生になったアンはある日友達が国際電話をかけたと自慢したことで、その子から国際電話のかけ方を教えて貰った。
学校から帰ってきたアンは普段入ってはいけないと言われているアーサーの部屋へこっそり入り、写真の東洋人の女性を見た。目元が自分に似ていた。
父が大切にしているこの写真が母なのだと最初に幼稚園時代に見たときから気付いていた。
お母さん。
自分を世界一愛してくれてるお母さん。
国際電話のかけ方を教わったから、電話をしたらお母さんと話せるかもしれない…と思った。
アンはいけないことだと思いつつ、東洋人の痕跡を探した。
アーサーの引き出しに英国らしくない不思議な住所、電話番号を見つけた。明らかにこの国の物ではなかった。最後にJAPANとあったので日本だとアンは理解した。住所の前にはMINORIとだけ書かれていたが、この発音がアンにはわからなかったが直感で母の名前だと思った。
でも日本の国番号がわからない。
アンは電話番号を控えて自室へ戻った。
アンはロバートに図書館へ連れていって欲しいとお願いした。何も知らぬロバートはアンを車で図書館へ連れていった。
アンが図書館でしたことは日本の国番号を知ることだった。ガイドブックを調べたが、難しい英語ばかりでやっと簡単な英語の読み書きが出来る程度の小さなアンには大変だったが、絵本に隠してガイドブックの中の電話をかけるページを見つけて番号を控えた。でないとロバートにバレると思ったからだ。
一人旅を気軽にする行動派の母みのりの血を引いていることは間違いない。
日本の国番号を知ると、再びこっそりとガイドブックを棚に戻し、絵本を何冊か借りてロバートと一緒に家に戻った。
早く掛けたかったが、その日は父が早く帰ってきていたので、翌日学校から帰るとすぐに実行した。
時差などアンは考えていなかった。
『はい、もしもし?』
優しい女性の声がした。でも返ってきたのが日本語でアンは動転した。
『もしもし?もしもし?』
「お母さん…?」
母は自分のことを名乗らなくともわかってくれた。
しかし…アンはアンが昨日アーサーの引き出しを勝手に触ったことにアーサーが気付いていたことを知らなかった。
「アン!」
父の声でアンは慌てて受話器を置いた。
「…どこへ掛けてたんだ?!」
父の声は厳しかった。
「…みのりに掛けたのか?」
「お母さん…お母さ~ん」
アンは泣き出した。
アーサーは愕然とした。赤ちゃんだったアンがまさかみのりに電話をかけた?つながったのか?
「つながったのか?」
「うん…」
「…相手はなんて言ってた?」
「私のこと、アン・ウィルチャム?って聞いた…。アンのことすぐわかってくれたの。でね、私はみーり・やまかーですって言ってた」
「…」
電話はつながってしまったのか…。
アーサーは呆然とした。
「アン…お母さんには掛けちゃいけないんだよ」
「どうして?」
「お父さんが昔酷いことをしてしまったからだよ」
「やだ!アンは何もしてないのに!アンは何もしてないのに!」
…そうだ…アンは何もしていない…。アーサーの頭は真っ白になってしまった。
アンは大泣きし、そのまま泣きつかれて少し遅いお昼寝に入ってしまった。
「みのり…」
掛けるまいと思っていながら消せなかった携帯電話の登録番号へアーサーは掛けた。
「夏にみんなでウェールズへ帰ろうと思うんだけど…」といつもの年のようにサラは弟へ電話した。
「あ…僕達はロバートと一緒に日本へ行くから…申し訳ないけど好きなように過ごしてくれるかな?」
「えっ、日本って!彼女のところへ行くの?許してくれたの?」
「いや…アンが…」
アーサーはいきさつを話した。
「それはあなたのミスねぇ…でもアンに会ってくれるなんて…彼女いい人ね。本当に…身を切られるような思いだと思うわ」
サラはまたズバリと弟の傷に入り込んだ。
「彼女にもし会うことがあれば、何度でも赦しを乞うことね」
そして一息ついて付け加えた。
「まだ愛してるなら何度でもプロポーズしてらっしゃい」
ベッドの中でアーサーに優しく抱き締められながらみのりは尋ねた。
「あなたはご両親は亡くなられたと言ってたけど…お姉さんは今どちらにお住まいなの?」
「姉はシティ近くに普段住んでるが…今ドリンズ・コートにいるよ」
「えっ」
「君が来ている間は親子3人水入らずの方がいいからって食事もそっちでとってくれてる。甥達は大きいから今年は来ていないんだ」
「やだ…私ご挨拶してないわ…」
「…姉は僕の罪も全部知ってる…」
「え…」
「明日帰国前に会ってもらえるかな?君がプロポーズを受けてくれたことを喜んでくれると思うんだ」
「勿論!…お姉さん…あなたのお姉さんね。優しい気配りしてくださるなんて…」
「姉が姉じゃなかったらプロポーズしていたと思うよ(笑」
「ふふ、明日が楽しみだわ」
「もっとも…今の僕には君が一番だけどね」
アーサーは優しくみのりにキスをし、再び強く抱き締めた。