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二十歳の再会

 ダラダラと続く坂道を登りながらライブハウスへと向かっていた。

 渋谷とはいえこの辺りは落ち着いた雰囲気のバーや個人経営のセレクトショップなどが並び、大人の気配が漂っていた。


「しかしまあ鹿ノ子がライブとはねー。それもパンクバンドの」


 隣を歩く琴葉ことはがまたからかい気味に笑った。確かに私にパンクロックを聞く趣味があるようには見えないだろう。

 正直私だってビックリしている。まさか恭也さんが教えてくれたバンド『アグレッシブレモン』がパンクバンドだとは思わなかった。


 「前から聴いてたの?」と琴葉はまるで万引き犯に初犯か常習者か確認するように訊いてくる。


「うん、まあ。念のため」

「念のため?」


 思わず口が滑って本音を言ってしまい、琴葉は不可解そうに語尾を上げた。

 アグレッシブレモンの音源は一応入手して聴いていた。もちろん予め聴いておいてライブでノれるようにするためではない。恭也さんが好きな音楽がどんなものなのか興味があったからだ。


「もしかしてそのメンバーの誰かが好きだとか?」

「ち、違うからっ」

「ほんとかなー? なんか焦ってない?」


 当たらずとも遠からずなことを言われて少し取り乱してしまった。

 バンドのメンバーに興味はない。私が逢いたいのはメンバーではなく観客の方だ。

 琴葉は意外と鋭い。心を読まれないためには目を逸らせばいいのだろうか、それとも逆に目を見ればいいのか。迷った挙げ句、視線はあちらこちらに散らかってしまう。


「二十歳の誕生日にパンクバンドのライブとは思わなかったよ、あの鹿ノ子が」

「あの鹿ノ子って、どの鹿ノ子よ」

「馬鹿が付くくらい真面目で、男とは話しもしない。コンパはおろか女子だけの飲み会に誘っても二回に一回は断る、『あの鹿ノ子』よ」


 反論しようとしたがライブハウスについてしまい言いそびれる。壁にはべたべたとポスターが貼られている。品もセンスも感じられない。なんとなく西部劇に出てくるお尋ね者の手配書みたいだった。

 貼られているのは今日出演するバンド、アグレッシブレモンのポスターが多い。

 人のかたちをしているけど頭部だけレモンになった生き物がギターを弾いているという、品もセンスもないポスターだった。


 既に会場には観客が沢山詰めかけており、照明も暗いのでこの中から恭也さんを探すことなんて出来そうもなかった。

 それでも一応私は周囲を見回す悪あがきをしていた。

 道中は琴葉と話していたから気も紛れていたが、会場に入ると緊張で心臓が全力疾走後のように暴れてしまう。


(この中に恭也さんがいる……)


 心臓が必要以上に高速で血液を循環させるから摩擦で沸騰するんじゃないかと怖くなる身体が熱かった。

 緊張しすぎて朝から何も食べてないのに吐き気もこみ上げてくる。


「ちょっと鹿ノ子大丈夫? すごい顔色悪いよ」


 会場の熱気や客層の柄の悪さで、琴葉は早くも帰りたそうな顔をしていた。


「ごめん。大丈夫だから」


 開演前からアグレッシブレモンの曲が流れている会場は大声で怒鳴らないと聞こえないほど騒音で満ちていた。

 しかしそんなものはまだ序の口だった。

 実際に演奏が始まるとけたたましいギターやドラム、そしてボーカルに圧倒された。


 当たり前だけどバンドメンバーはイラストのようなレモンのかぶり物などしていない普通の人だった。

 メンバーの中ではギターの人が人気なのか、ギタリストが煽ると会場はよりヒートアップしていく。

 頼むからあの人には演奏に専念してもらいたい。そう願ってしまった。


 私たち以外はみんなノリノリで、狭い会場が揺れるくらいの興奮に包まれていた。私は酸欠になり倒れそうになって、琴葉に支えられて一度外に出た。

 ロビーにある椅子に座り、ようやく息をつく。


「無理そうだね。帰ろう」

「駄目っ! お願い琴葉、最後までいさせて」

「鹿ノ子の顔、真っ青だよ。そんなにこのライブ聴きたいわけ?」


 防音壁を打ち破る勢いで会場の音が漏れ聞こえてくる。汚い言葉を連呼し、人々がジャンプする振動が伝わってきた。音楽鑑賞というよりは怪しげな団体の集団催眠という雰囲気だ。


「中に入らなくてもいい。ここでいいから終わりまでここにいたいの」


 そう懇願すると琴葉は顔をしかめながらだけれど、隣に座ってくれた。


 ここで恭也さんと再会できなければ、二度と逢えない。最初で最後のチャンス。そんな気がしていた。地上百メートルで命綱なしの空中ブランコを練習なしで一発本番で決めなくてはいけない。それくらいの緊張感だ。

 十三歳の春から今日まで、この日を待ち侘びて生きてきた。ここで帰るわけには絶対にいかなかった。


 さすがに髪には付けられなかったけれど、ポケットの中に忍ばせていた子鹿のヘアピンをぎゅっと握り締める。

 これさえあれば恭也さんは私を見付けてくれる。半ば本気でそんな子供みたいなことも考えていた。


 家から持ってきた保温タンブラーに入れたお茶を開けると、ほわっと湯気が上がった。

 ふーふーと息を吹きかけ、ゆっくりと飲もうとした時、会場の扉が開いた。

 そして中から二人組の男性が出て来る。


「ッッ──」


 金属製の何かが遠くで落ちる音がした。その音の原因が自分の落としたタンブラーと気付いたのは、隣で琴葉が慌てながら指摘してくれたからだ。


 会場から出て来た二人の男性も音に驚きこちらを振り返った。


 目が隠れるほど長い前髪、ひょろっとした体型、やけに白い肌。


 恭也さん。


 声に出したのか、心の中で呟いたのかは分からない。

 頭が真っ白だった。

 なぜか恭也さんだけが色付き、その周りが白黒の景色に見える。


 中学二年生の春に別れたままだった初恋の人は、本当に未来で私のことを待っていてくれた。


「ちょっと大丈夫なの?」


 琴葉がハンカチで濡れた私の手や服を拭いてくれていたが、それどころではなかった。

 私は立ち上がり、足許のタンブラーを誤って蹴飛ばしながら恭也さんの元へと歩み寄った。

 記憶の中の恭也さんに比べると少し若々しい気がする。年齢というよりは社会人と大学生という立場の違いを感じさせる若々しさだった。


「あのっ……」


 呼び掛けると恭也さんはたじろいだように後退る。

 避けられたようで少し悲しくなる。でもそんな恭也さんのリアクションも仕方ない。私と恭也さんは初対面で、しかも私はいつの間にか涙を流してしまっていたのだから。

 初対面の泣いている女性が迫ってきたら誰でもそうなると思う。


 そう、私と恭也さんは初対面だ。


 これが長年待ち続けた私の運命の人との、はじまりの瞬間だった。



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