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まだ僕を知らない君と、二度目の初恋  作者: 鹿ノ倉いるか


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便箋に綴られた拙い想い

 全身ずぶ濡れで今さらという気もしたが、取り敢えず僕たちは雨を凌ぐために近くの公園の東屋へと移動した。

 一つしかないベンチに並んで腰掛け、やまない雨を意味もなく見詰める。自分が怪我をするハプニングにも見舞われたが、鹿ノ子さんを守れたという達成感で心の緊張が解けて安らいでいた。


「なんか記憶の中とちょっと違うし」


 鹿ノ子さんは僕の顔をじぃっと見て、明らかにガッカリした声でそう言った。歯に衣着せない子供の言葉だと割り切っても、やっぱり少し傷付いた。


「そう?」

「もっと格好良かった気がするのに」

「ガッカリした?」

「そりゃガッカリするでしょ。だって結婚相手だよ? 出来ればイケメンがいいでしょ、普通」


 悪態をつきながらも結婚相手として否定しなかったことが嬉しくて頬が緩んでしまった。十一歳の女の子に心をいいように転がされるなんて、やはり僕はチョロい男だ。


「あの時はまだ七歳だったから、よく分からなかったけど……助けてくれてありがとう。そのお礼がずっと言いたかった。それに今回も……」


 少し頬を赤らめながら僕にお礼を言ってくれた。憎まれ口を叩いても素直なところは可愛い。

 この様子を録画して未来の鹿ノ子さんにも見せてあげたいものだ。


「鹿ノ子さんは未来のお嫁さんだからね。これぐらいは当然だよ」

「おじさんってロリコンなの?」

「そんなわけないだろ。僕が結婚するのは二十六歳の鹿ノ子さん。その頃は魅力的な女性になってるから」


 売り言葉に買い言葉の返しをすると、鹿ノ子さんは「はあ?」と不服そうに僕を睨みながら笑った。


「小学六年生の夏休み初日。鹿ノ子さんは友達と遊んでいる最中に脚に大きな傷を負うことになっていたんだ。僕はそれを阻止するためにこの時代にやって来た」

「そうなんだ……でもそれでおじさんが」


 そこまで言って物言いたげに僕の目を見た。名前を訊きたいんだなと態度で察した。七歳の頃、一度聞いただけの名前なんて覚えてなくて当然だ。


「川神恭也。恭也でいいよ」

「うん。恭也が怪我してたら意味なくない?」

「好きな女の子を守るために傷を作るのは、男にとって勲章だから」


 柄にもないことを言って笑いを取りに行ったつもりだったが、鹿ノ子さんは恥ずかしそうに俯いて「うん。ありがと」と呟くのでなんとなく引っ込みがつかなくなってしまった。とはいえこのキャラを通すのはちょっと厳しい。


「本当は鹿ノ子さんは川じゃなく、山で怪我をする予定だったんだ。男子と一緒に山遊びをしてて雨で滑って転げ落ちて」

「男子と? ないない。私は男子と遊ばないし」

「そうなんだ? じゃあ七歳の鹿ノ子さんの運命を変えたことで歴史が変わってきてるんだね、きっと」


 自分の行為が鹿ノ子さんの未来を変えていることに満足して嬉しくなったが、彼女の方は不安げに視線を地面へと落としてしまった。


「どうしたの?」

「よく分かんないけど、未来とか変えたらマズいんじゃないの?」

「え? うん、まあ、そうなのかな? 僕もよく分からないけど」

「だって未来を変えたら……たとえば、ほら……結婚相手とかも……変わったりするんじゃないの?」


 不安げにぽそっと溢したその一言に胸が打ち抜かれた。既に恋をしているのに、更に激しく恋心が上書きされた。思わず十一歳の鹿ノ子さんを抱き締めそうになって、慌てて自重した。


「それは大丈夫。たとえ変わりそうになっても僕たちの未来は全力で阻止するから」


 また喜んでくれるかなと思い強気でそう言ったが、鹿ノ子さんは聞こえていないかのように足許の土を爪先で掘り起こしていた。ちょっとやり過ぎたのだろうか。

 乙女心を掌握するというのは、相手が子供であってもなかなか難しい。いや、子供だから難しいのだろうか。


「でもさっき髪留め落としたときに気付かなかったくせに」


 鹿ノ子さんは非難がましく憮然とした声でそう訴えた。


「髪留めって、あの大切な宝物って言っていたやつ? 気付かなかったってどういう意味?」

「あー、マジで分かんないの? 信じられない。そんなんじゃ結婚とか無理かも」

「そんなに大切なものだったの!?」


 あのヘアピンは一見どこにでもある子供っぽいものだった気がする。とても先祖代々伝わっているようなものとも思えない。


「あれは七歳の時、恭也と初めて会ったときに私がつけていたヘアピンだよ。覚えてないの? 子鹿のキャラクターのヘアピン」

「あっ……そうなんだ。ごめん。忘れてた」

「サイテー……信じられない。今度恭也が来てくれた時、私を見付けやすいようにって目印のためにつけてたんだよ。七歳の頃から顔も変わっちゃってるし」


 七歳の頃から変わらない卵形の輪郭を崩すようにぷっくりと頬を膨らませて、鹿ノ子さんが僕を上目遣いで睨んだ。これは本気で機嫌を損ねてしまっているようだった。


「あ、いや……それは……危険な状況だったし」

「あの子鹿ちゃんのこと『そんなのどうでもいい』とか言ってたよね?」

「それは、その……ごめん……なさい」

「駄目。許さない」


 ぷいっとそっぽを向く仕草は子供っぽかったけど、僕の心の揺さぶり方は大人になった鹿ノ子さんと一緒で巧みだった。

 その時くしゅんっくしゅんと鹿ノ子さんはくしゃみを二回立て続けにした。

 夏とはいえ濡れたままの格好だと肌寒い。風邪を引く前に帰った方が良さそうだ。


「そろそろ帰らないと風邪引くよ」

「えー? 四年振りに会ったのにもうおしまい?」


 鹿ノ子さんは不服そうに眉を歪める。


「大丈夫。またすぐに逢えるよ」

「……別に私はいいけどね。恭也が逢いたいなら逢いに来れば? 来たらまあ、遊んであげるし」


 甘え下手なツンとした態度が鹿ノ子さんらしい。


「うん。また逢いに来る。鹿ノ子さんが困ってるときにね」


 雨が少し小降りになったのを見計らい、僕たちは東屋から飛び出した。

 鹿ノ子さんの家までの帰り道、追いかけっこのように走った。ルールも何もないから、でたらめに走ってタッチをするだけのぐだぐたの鬼ごっこだった。

 急に走るから心臓が爆発しそうだったけど、情けないところは見せられないから気力で追い掛けた。

 僕は年甲斐もなく初恋をした少年のように心が浮かれてしまっていた。

(まるで二度目の初恋をしているみたいだな)

 そんなことを思い、背中の怪我なんて忘れてしまうほど浮かれていた。


「ねえ、ちょっとここで待ってて!」


 家に着くと鹿ノ子さんは僕にそう言った。


「いい? 絶対どこか行かないでね。絶対だよ」

「ああ。分かったよ」


 念を押してから鹿ノ子さんは駆け足でアパートの階段を駆け上がっていく。夏の通り雨は気まぐれで、先ほどの激しさが噓のように雨は上がって空には雲の隙間から青空が見えていた。

 アパート前の小さな公園には水溜まりがいくつも出来ており、雲やら青空を反射させいた。まるで地面に空と雲のパズルのピースが散らばっているようだ。


「恭也!」


 鹿ノ子さんは息を切らしながら階段を二つ飛ばしで駆け下りてくる。

 そのままの勢いで僕の前に駆け寄ってきた鹿ノ子さんは手に持った封筒を僕に差し出す。

 様々な種類のドーナツが水玉模様に散らばった可愛らしい模様だった。


「これ。あげる」

「ラブレター?」

「違うし!」


 はにかんで足蹴にしてくる。


「読んでいいの?」

「えー? いいよ」


 鹿ノ子さんは顔を赤らめながら落ち着かない様子で僕を見る。


 便箋は一枚で、柄は封筒と同じドーナツ柄。

 書かれている内容は手紙と言うよりはポエムだった。


『未来で待っている

 私の運命の人

 でもこの瞬間も

 あなたはいるの

 まだめぐり会わないだけ

 はやく会いたい

 私の運命の人

 ま、たまに未来から会いに来てくれるけど』


 この文章には人を熱くさせる力があるようだった。まあ、熱くなるのは胸ではなく、顔だが。

 それほど長い文章ではないが、丁寧な字で書かれているから今部屋に戻って書いたものではないのだろう。


「これを僕にくれるの?」

「七歳の時に助けてくれたでしょ。将来の花婿さんだって言って」


 失礼だとは思うけれど照れながら話すのがとても可愛らしくて、見ていると自然と笑みが溢れてしまう。


「だから今度会ったらお礼にそれを上げようって思ってたみたい、七歳の私が」


 あくまでそれは七歳の頃の自分が書いたもので、今の自分はそれを届けただけという立場らしい。


「七歳の頃に『瞬間』って漢字で書けたんだ? 賢かったんだね」

「もういい。返して」

「ごめんごめん。冗談だから許して」


 せっかくの手紙を奪われそうになり、慌てて手を上げて鹿ノ子さんの背では届かないところまで避ける。


「ちょっと! 鹿ノ子!」


 怒鳴り声が聞こえ「やばっ! ママだ!」と言って鹿ノ子さんは慌てて階段を駆け戻っていく。

 一階と二階の間の踊り場からひょいと顔を出し手を振ってきた。

 今はまだ、綺麗になる途中の、可愛らしい鹿ノ子さんの笑顔に僕は手を振り返していた。



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