何度でも、君と
「つまり七年間も会わなければ私が『恭也さん』の顔を忘れると思っていた。そういうことですか」
その通りという意味で頷くと、鹿ノ子さんは悔しげに僕を睨む。
僕の狙い通り鹿ノ子さんは僕の顔を見ても思い出さず、『川神恭也』と名乗った恭也をタイムリープして会いに来てくれた男だと信じた。
もちろん僕も二十歳の頃の恭也に似せるため前髪を伸ばして目を隠すなどの小細工もした。前髪が長い恭也はそういう意味でもうってつけといえる。
目の印象というのは大きいからそれを隠すだけでもずいぶんカモフラージュの役には立ったはずだ。
二十歳の頃の僕が太っていたのも正体を隠すのに追い風だった。
「結局鹿ノ子さんを幸せに出来なかったことは、申し訳ないと思っている」
「私がそんなことで怒っていると思っているんですか?」
「いや、それはまあ……違うと思うけど」
過去を変えた僕が名乗り出ず、それを全て恭也がしたことと嘘をついたから鹿ノ子さんは怒っている。いくら馬鹿な僕でもそれくらいは分かっていた。
さすがに長く寒風に晒されていたから身体が冷えてきた。寒さは心臓にも負担がかかる。
でもこの想い出の場所でこうして二人で並んでいられるのが嬉しくて、平気な振りをしていた。もちろん鹿ノ子さんの方は嬉しいはずもなく、ただ戸惑っているだけなんだろうけど。
このままここで心臓が止まってしまったら、どれだけ幸せだろう。
愛する鹿ノ子さんと、想い出の場所で逝ける。それ以上の願いはない気さえした。
「こんな馬鹿げた話、ないですよ」
「ごめん」
「だって私は……ずっと片想いしたままだったんですよ。あの日の、『恭也さん』と名乗った石川さんに」
陽の落ちた薄暗さでも、鹿ノ子ちゃんが目を赤くさせていることは見て取れた。
それくらい怒らせることを、僕はしてしまったのだと改めて自覚する。
「ごめん。謝って許されることじゃないけれど、本当にごめん」
「結局脚の傷は作ってしまっても、実家を捨てて飛び出しても、他の男の人に触れられていない体だけは守れたと思っていたのに」
嗚咽で聞き取れないくらい、鹿ノ子さんの声は滲んでしまっていた。
鹿ノ子さんの人生を幸せにするつもりで、僕は何をしてきたのだろう。いま隣で泣いている鹿ノ子さんが幸せだとはとても思えない。
「謝って済む問題じゃないかもしれないけれど、ごめん」
「許しません。私は石川さんのせいでどれだけ大切な時間を無駄にしてきたと思っているんですか?」
自分が悪いとはいえ、そう言われると胸が張り裂けそうだった。
「初めて会った七歳の頃から約二十年間、人生を無駄にさせてしまっていたんだね」
口にすると、改めて自分の罪の重さを実感する。
鹿ノ子さんは「はあ」まうんざりしたため息をついた。
「まだそんなこと言うんですか? 本当になにも分かってないんですね」
「え?」
「無駄にさせられたのは、六年間でしょ?」
「六年?」
「二十歳の私と再会してからの年月です」
鹿ノ子さんは苛立ったように声を荒げる。
「本当に悪いと思っているなら」
そこで一度言葉を切り、震える目で僕を睨んできた。
「私と結婚して下さい。たとえ何十年も一緒にいられなくてもいい。私は石川さんと生きたい。私を危機から救い、心から愛してくれた石川さんと」
鹿ノ子さんは僕の手を握る。その手は冷たいのに、触れられた僕の体の芯は燃えるように熱く滾った。
「私を、石川さんのお嫁さんにして下さい」
「鹿ノ子さん……」
鹿ノ子さんの幸せのためなどと言って、僕は逃げていただけなのかもしれない。彼女の生涯を背負えないことを怯え、悲しませたくないと逃げていた。
もう鹿ノ子さんを残して逝くことも恐れないと決めた。命ある限り、僕は鹿ノ子さんを愛したい。
僕と鹿ノ子さん、どちらが先に泣いたのかは分からないけど、気がつけばお互いに涙を流しながら見詰めあっていた。
「ありがとう……鹿ノ子さん。僕の、お嫁さんになって下さい」
「はい。喜んで」
互いの背中に腕を回し、強く抱き締め合った。
薄暗やみの中、泣きながら笑い、唇を重ねる。
長い時間をかけ、ようやく鹿ノ子さんは僕の腕の中に帰ってきてくれた。
────
──
鹿ノ子さんの故郷の役所で婚姻届を提出した帰り道、僕たちは例の川沿いの土手を歩いていた。
子鹿のように跳ねたり、僕の顔を覗き込んだりと、鹿ノ子さんは終始浮かれ気味だ。新婚のお嫁さんというより、まるで少女時代に戻ったように天真爛漫に見えた。
タイムスリップしたのは今の時間軸の僕じゃないから見てはいないけど、きっと少女時代の鹿ノ子さんはこんな少女だったのだろうと思った。
「石川さんとこの道を歩いてはっきりと分かりました。やっぱり幼い頃の私に逢いに来てくれたのは、石川さんなんだって」
「そうなの?」
「恭也さんを連れてここに来たとき、なんか違和感を感じたんです。本当にこの人とここで歩いたのかなぁって」
きっと理屈ではない、直感なのだろう。
でも見た目や名前の一致という状況証拠で、恭也が未来から来たフィアンセだと疑わなかった。それは仕方のないことだ。それだけ一致しているのに疑う方がおかしい。
「恭也にも悪いことをしたな」
「え? それ、今さら気付いたんですか?」
「いや、まあ。前から思ってはいたけれど。でも鹿ノ子さんみたいな素敵な人と付き合えるんだからプラマイゼロ、いやプラスかなって思ってたよ」
「そんな取って付けたようなお世辞で誤魔化されませんから」
鹿ノ子さんはある程度誤魔化されたような赤ら顔で、僕の隣にやって来る。その手を握ると素知らぬ顔をしたままキュッと握りかえしてきた。
幸せを抽出し、結晶化したみたいに穏やかで温かい時間だった。
「これから天国に行くまで、鹿ノ子さんと暮らせると思うと幸せだよ」
そんな毒混じりの冗談を言うと唇を尖らせた鹿ノ子さんが振り返る。
「石川さんは自分が死んだら天国に行くと思っているんですか?」
自分も『石川さん』になったくせに僕をそう呼び、鹿ノ子さんはじとーっと呆れた目で睨んでくる。
「違うの? 僕は結構真面目に生きてきたつもりなんだけど?」
「私を二十年近くも騙してきたのに、ですか?」
きょとんとした顔でおちょくられ、思わず吹き出してしまった。
「そうだよなぁ。じゃあ地獄でいいや。後から鹿ノ子さんも来てよね」
「道連れ!? 私は天国ですよ」
鹿ノ子さんは連れなく手のひらを翳して首を振った。
「ってそうじゃないんです。石川さんは死んだあと、天国にも地獄にも行きません」
「え? そうなの? じゃあどこに行くの?」
「私の心の中へと行くんです」
そう言って鹿ノ子さんは胸の辺りを抑える。その瞬間、柔らかいものに包まれたように、心が安らいでいった。
「鹿ノ子さんの心の中に行けるんだ。嬉しいね」
「私の中で、石川さんは生き続けます。『昔好きだった人の友達』ではなく、『私の愛した人』として、私とずーっといつまでも生き続けるんです」
それはとても素敵なことに思えた。
そう思うと死への恐怖も少し和らぐ。
取り敢えず今は新婚生活を味わってみよう。
そう思いながら鹿ノ子さんの肩を抱き寄せ、目を見詰めて声を出さずに笑いあった。
僕の初恋は、また実った。何度繰り返しても、きっ僕と鹿ノ子さんは結ばれる。そんな運命なんだ。
そんな訳の分からない自信があった。
『まだ僕を知らない君と、二度目の初恋』 終わり
『まだ僕を知らない君と、二度目の初恋』を最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました。
感じた方もいらっしゃるかもしれませんが、本作品は『時間遡行で学生時代に戻った僕は、妻の恋を成就させたい』のもう一つの可能性として書いた作品となっております。
『時間遡行は何度やり直しても妻と結ばれる物語にした方がいい』
そう仰って下さった方がいました。
とても私が尊敬している、才気溢れる方です。
その方の言葉が、その時の私ははっきりと分かりませんでした。
だから考えてみました。
もちろん時間遡行は既に作品として完成し、書籍として世に出してますので、それを変えることは出来ない。
まったく違う話として、過去に遡り、歴史を変えようとしても同じ人と結ばれる話を書いてみました。
まあ一回目に結ばれているのかは、微妙な話にはなりましたけれど。
このストーリーはそんな可能性を私に話してくれたその方に捧げる物語でもあります。
またTwitterで知り合ったDTMの方の影響も頂きました。
ありがとうございます。
次の作品は私の過去作品『俺、マジ鬼畜』という作品の大幅リメイク作品の予定です。
マジ鬼畜は私が書いた小説の中でも、もっとも自身のある作品です。設定を大幅に変え、まったく違う作品にしております。
そしてその次はコンパクトで可愛らしい夏の冒険のお話になります。
どちらもほぼ完成しているので同時に公開するかもしれません。
いつも読んで頂いて、本当にありがとうございます。
これからも歪だけど真っ直ぐな、自分にしか書けない作品をこれからも書いていくつもりです。それが私の作品を楽しみにして下さる方への唯一の恩返しだと思っております。
これからもよろしくお願い致します!




