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まだ僕を知らない君と、二度目の初恋  作者: 鹿ノ倉いるか


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39/41

アメリカ

 鹿ノ子さんの弟さんは肺の病気を患っていたらしい。

 その手術をするのに五千万円もの大金が必要だった。

 鹿ノ子さんも必死に稼いでお金を貯めているが、そんな大金はなかなか貯まるはずもない。

 だから仕事が忙しく、恋人も作らずにこれまで過ごしてきたという。これだけの美人なのに彼氏がいないというのも納得だ。


 結婚後に迷惑をかけるわけにはいかないので弟のことが片付くまで結婚は待って欲しい。鹿ノ子さんにそう言われた。

 鹿ノ子さんは青ざめた顔で僕の話を聞いていた。


「そんな……それって……詐欺なんじゃ──」

「優しい鹿ノ子さんらしい弟思いで素敵な話でしょ。アメリカに名医がいるらしく、そこで看てもらうんだって言っていたよ」


 鹿ノ子さんの言葉を遮り、僕は笑顔で説明した。


「まさかそんな馬鹿な話を信じて、お金を渡したんじゃないですよね?」


 引き攣った顔は笑っているようにも、怒っているようにも見えた。


「五千万円は無理だよ。そんに持ってないからね。でも一千万円くらいならなんとかなった」

「なんでそんなことを!」

「なんでって。愛する人の弟さんを助けられるんだよ。お金の問題じゃない」


 それに死ぬ人間にお金は必要ない。僕は全ての財産を鹿ノ子さんに渡すことにした。

 鹿ノ子さんは両手で顔を覆い、指先で前髪を引き抜くように搔き乱した。


「そんなのっ……そんなの噓に決まってるじゃないですか! 弟なんていない。私は一人っ子です! お金を持って逃げるだけです!」

「あの時の鹿ノ子さんもそう言ったよ」


 そう答えると、目の前の鹿ノ子さんは「えっ!?」と驚き顔を上げた。


「いざお金を掻き集めて渡す時、鹿ノ子さんは僕にそう言ったんだ。『馬鹿じゃないの。騙されてるんですよ? お金は持ち逃げするの。私は一人っ子で弟なんていない。悪い奴らに命令されて詐欺の片棒を担がされてるだけ。だから詐欺に気付いたことにしてお金を持って帰って』と」


 赤い目をした鹿ノ子さんは悔しそうに顔を歪ませる。何かを言おうとしたが言葉にならなかったらしく、嗚咽だけを漏らしていた。


「詐欺のわけないじゃない。短い期間だったけれど、僕たちは本当に愛し合ったんだ。きっと鹿ノ子さんは僕に迷惑をかけたくなくてそんな噓をついたんだ。優しい人なんだよ、鹿ノ子さんは」

「違う……優しくなんてない……最低だよ……」


 鹿ノ子さんは泣きながら僕の胸に顔を埋めた。


「結局鹿ノ子さんはお金を受け取ってくれたよ」

「それから……私は帰ってこなかったんでしょ。連絡も取れなくなって……」

「当たり前だろ。だってアメリカだよ? 一度行ったらそんなにすぐに帰ってこられるわけないじゃないか」

「馬鹿なの? 石川さんは、馬鹿なんですか? 逢えなくても電話とか、メールとか、出来るじゃないですか」

「アメリカだよ? 病院だって携帯電源を切らないといけないんだよ。なんといってもアメリカだからね、そういうところは厳しいんだ」

「アメリカってそんなに万能な言い訳じゃないですからね!」


 少し躊躇ったが、僕は鹿ノ子さんの頭をそっと撫でた。触れた瞬間びくんっと震えたけれど、身体をより密着させて擦り寄ってきてくれた。


「私は、石川さんのお嫁さんなんかじゃなかったんですね」

「そんなわけないだろ。話を聞いてなかったの? アメリカから帰ってきたら僕らは結婚する予定だったんだ」


 鹿ノ子さんは僕の服をギュッと握り締め、「うん」と静かに呟いた。


「それからしばらくして、何故か僕は過去にタイムリープできる力を授かった。神様が僕を憐れんでくれたんだと思う」

「そんな力があるなら、過去に戻って私と普通に出逢って付き合ってくれたらよかったのに」


 ようやく話がそこに戻ってきて、鹿ノ子さんは不服そうに僕を責めた。


「鹿ノ子さんは色々苦しんでいた。過去のトラウマや、脚の傷、そしてお金がないことに。それらの問題さえなければ、鹿ノ子さんの人生は素晴らしいものになったはずなんだ」


 だからその力を使って僕は鹿ノ子さんの悲しい過去をなかったことにした。


「なんで恭也さんの振りなんてしたの。石川さんが本名を名乗ってくれたらいいじゃないですか」

「せっかく過去の辛いことをなくして幸せに育ったんだ。それなのにすぐに死んじゃう人と結婚したら可哀相だろ。鹿ノ子さんが幸せなら、僕はそれで幸せなんだ」

「今の私を見て、幸せそうだと思いますか?」


 泣き腫らした目で笑い、僕を困らせる。やはり鹿ノ子さんは従順なだけじゃなく、こうして僕を困らせてくれるところが素敵だ。


「ごめん。こんなはずじゃなかったんだ。恭也は音楽の道など進まず、真面目に慎ましく暮らしている奴だった」

「そうだったんですか」

「鹿ノ子さんと知り合ったことで、あいつに足りなかったものが手に入ったのかもしれない。そのお陰で才能が開花した」


 歴史なんて変えるもんじゃない。僕はつくづくそう痛感した。


「私のせいなんだ」

「そんな風に思うものじゃないよ。恭也も音楽の世界で一度は勝負できて満足したはずだ」


 鹿ノ子さんは僕の身体にしがみつくのをやめ、ぴたりとくっついて隣に座った。


「あれ? でもちょっと待って下さい。頭がこんがらがってきたんですけど、なんで今の石川さんが私と出会い系サイトで知り合ったこととか知ってるんですか?」

「聞いたんだよ」

「聞いた? 誰にですか?」

「タイムリープしてきた僕自身にだよ」

「えっ……未来からやって来た自分自身に会ったんですか?」

「まあね」


 僕も未来から自分が会いに来るとは夢にも思わなかった。

 絶対に騙されてると思ってけれど、僕にしか知り得ないことを次々と言い当てられて信じてしまった。

 そして鹿ノ子さんの話を教えて貰った。事細かく、丁寧に、すべて教えて貰った。

 そして『鹿ノ子さんの明るい未来のため、僕は未来を捨てて助けなくてはいけない』。

 そう教えられた。


「まあ実際にあのライブハウスで鹿ノ子さんと会うまでは半信半疑だったけどね」

「あ、それも不思議だったんです。なんで二十歳の誕生日にあのライブ会場で再会することにしたんですか?」


 大分落ち着いてきたのか、色々な疑問が湧いてきたようだった。


「歴史は可能な限り変えない方がいいと思ったからだよ」

「え? どういうことですか?」

「実は僕と鹿ノ子さんは出会い系サイトで知り会う前、一度だけニアミスをしていたんだ。それがあのライブハウスだった」


 不思議な運命の糸を一本づつ解きほどいていく。

 初冬の寒さも忘れ、僕たちは過去の答え合わせをしていた。


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