初恋の君との婚約
僕は心臓に不発弾を抱えたまま二十五歳になっていた。
いつ果てるとも知らない命を灯しながら生きていると、常に不安に襲われる。
「思えば僕は恋もせずに二十五年間生きてきた。いつ死ぬか分からないと思うと相手に迷惑がかかると思っていたからね」
「石川さんらしい発想ですね」
鹿ノ子さんは合いの手のように嫌味を入れてくる。しかしもっともな指摘なので笑ってしまった。
「急に恋がしてみたくなったんだ。恋をせずに死ぬのは嫌だと、急に運命に抗うようにそう思った。とはいえ実家で事務仕事をしている僕には出会いなんてなかったし、ふらっと街に出て声を掛けて女の人と恋に落ちるほどかっこよくもなかった」
鹿ノ子さんは黙って僕の話の先を促していた。いよいよ核心に近付いてきて、緊張しているようだった。どのようにして僕たちが出逢うのか、気になるのだろう。今のところ僕と鹿ノ子さんの繋がりはゼロだ。
「そこで僕が頼ったのが出会い系サイトだった」
「出会い系サイト……? あんなもの詐欺ばっかりなんじゃないですか?」
「そうとも限らないよ。だって僕はそこで鹿ノ子さんと知り合えたんだから」
「出会い系サイトで、私と?」
「そう。身の程を知らなかった僕はサイトの中でも取り分けて美しい女性に一目惚れをした。それが鹿ノ子さんだ」
「はぁ……そうなんですか」
当然そんなことを言われても喜ぶはずもなく、鹿ノ子さんはあやふやな声で返事をした。出逢いを聞かされてもピンと来ていない。そんな様子だ。
「出会い系サイトはお金でポイントを購入し、相手と連絡を取るシステムだ。どうせお金だけ使わせて会えないシステムなんだろうって思っていた」
しかし鹿ノ子さんとはすぐに会えた。
あんなサイトを使っているとお金ばかりかかるからと言って直接の連絡先交換を提案してきたのは、鹿ノ子さんの方だった。すぐにサイトを介さない直接の連絡先を教えてくれた。
鹿ノ子さんみたいな綺麗な人と知り合いになれるなんて思っていなかった僕は、喜びよりも驚きの方が大きかった。
鹿ノ子さんはいきなりぐいぐいとやって来るのではなく、一週間に一度会い、食事をする程度の中だった。向こうも恋に臆病なんだと言うことはすぐに分かった。
「疑い半分だった僕も、次第に本気で鹿ノ子さんを好きになっていった。情けないことに二十五歳にもなってはじめて恋をしたんだ」
「別に情けなくはないと思います」
「えっ……?」
驚いたことに鹿ノ子さんはあの時と同じ言葉を僕に書けてくれた。やや突き放すような言い方だったけど、でも僕の劣等感を打ち消すようにそう言ってくれた。
「恋をすると心臓がバクバクと震えた。でも僕の場合心臓が弱ってきていたのだから、適度な運動になってよかったのかもしれないね」
「そういう笑えない冗談はいりませんから」
「ごめん。とにかく初めての恋に浮かれた僕は身の程も知らずに鹿ノ子さんに告白をした。もちろんその時には病気のことも話してあったから、断られると思っていた。ただ自分が本気で好きになったことを伝える為に」
鹿ノ子さんを目が合ったがすぐに逸らされた。でも先ほどまでよりは少し怒りは和らいでいるようだった。
「初めて人を好きになった。その相手が鹿ノ子さんでよかった。ありがとうって」
「なんですか、その告白。そんな言い方したら、私に怒られたんじゃないですか?」
「えっ……なんで分かったの?」
先の展開を言い当てられて驚いた。歩んできた歴史は違えど、同じ鹿ノ子さんだから気持ちは同じと言うことなのだろうか。
「だって勝手に自己完結してますから。『はい』とも『いいえ』とも答えられないじゃないですか、そんな告白じゃ」
呆れた目で睨まれる。
今の鹿ノ子さんは控え目で大人しく自己主張も少ない。出会い系サイトで出会った時の鹿ノ子さんとは正反対のような性格だ。
しかし根幹の部分はやはり一緒だった。それがやけに嬉しかった。
僕の鹿ノ子さんは、やっぱり優しくて素敵な人だ。
「同じこと言われたよ。そして鹿ノ子さんは僕の手を握り、僕の目を見て、言ってくれた。『私と結婚して下さい。私を石川さんのお嫁さんにして下さい』って」
「えっ……それはずいぶんと急な話ですね」
さすがにこの展開は予想外だったらしく鹿ノ子さんは目を丸くした。
「『恋を知らないで死ぬなんて許さない。結婚をしないで死ぬなんてもったいない』鹿ノ子さんはそう言ってくれた。初恋の人がはじめての恋人。そしてその人と結婚する。そんな幸せなことはないよね」
愛に包まれた日々を夢想すると心が安らかになる。
「それで私と石川さんは結婚した。そういうことですか?」
ここで話を終えられたらどれだけ嬉しいか。しかしそうもいかない。十年近くも騙してきたのだ。せめて今は嘘も隠しごともなく、全て正直に伝えなくてはいけない。
「結婚に向けて話し合うことはあったけど、すぐに結婚とはいかなかった。結婚する前にしなくてはならないことがあったから」
「しなくてはいけないこと?」
すうっと息を吸い、鹿ノ子さんの目を見て、周知の事実のように僕は言った。
「鹿ノ子さんの弟さんだよ。重い病に苦しむ、弟さんのことだ」
「えっ……お、弟……?」
聡い鹿ノ子さんは瞬時に悟ったのかもしれない。この物語の結末を。鹿ノ子さんは震える声で言った。
「私、一人っ子なんですけど……」




