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まだ僕を知らない君と、二度目の初恋  作者: 鹿ノ倉いるか


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脱皮の抜け殻の少女

 元々要領が悪い上に愛想がよくない私は、入社一ヶ月で期待外れの新入社員というレッテルを貼られつつあった。特に課長は出来の悪い私に苛立っているのがよく分かる。

 そんな私の唯一の救いは入社二年目の先輩京谷きょうたに亮二りょうじさんだけだ。京谷さんは根気よく駄目な私を助けてくれる。

 今日も自分のミスで招いた残業に京谷さんを巻き込んでしまっていた。


「すいません。私のせいで京谷さんまで残業させてしまって」

「気にしないで。そもそも入社一ヶ月の社員に責任ある仕事をさせすぎなんだよ、うちは。まあ人が少ないからしょうがないけれど」


 京谷は書類の束をトントンと机で揃えながら笑った。見た目はひょろっとしていてどこか頼りなく見えるけれど、人当たりがよくて顧客からも人気の営業マンだ。

 建築材料の下ろしをしている会社だが、私はこの業界にほとんどなんの興味も持っていない。だが京谷さんはよく専門誌を読んで勉強をしている。こんないい加減な気持ちで働いているのも何となく申し訳なかった。


「さあ、これで終わり。安斎さんもお疲れ様。ありがとう」


 私のせいなのに嫌味なく気を遣ってくれる。こういうところが京谷さんの人から愛されるところなのだろう。


「ありがとうございました。ではお先に失礼します」


 荷物を纏めて帰ろうとすると、慌てて京谷さんも鞄を手に取る。

 それを見てそそくさと立ち去ろうとしたが、遅かった。


「よかったらこれから軽く飲みに行かない?」

「あ、いえ。すいません。今日は、ちょっと」

「そっか。じゃあ駅まで」


 京谷さんはにっこり笑ってオフィスの電気を切った。

 誘われるのはこれで三回目だ。

 自惚れかも知れないけれど、京谷さんは私に女性としての興味を持ってくれているのかも知れない。

 こんなにお世話になっているのに誘いを断るのは申し訳なくて気が引ける。けれど適当に誘いに応じてしまうと更に気を持たせて傷付けてしまうかもしれない。

 思い過ごしであることを祈りながら二人で駅までの道を歩く。


「慣れないことばかりだろうけど気にしないでね。誰だって最初はそうなんだから」

「ありがとうございます。でも私は本当に要領悪くて飲み込みも悪いんで、皆さんに迷惑をかけちゃうと思うんです」


 すぐに「そんなことない」というような返しが来ると思っていたが、そうではなかった。


「昔発注書で桁を間違った人がいてね。百個でいいものを千個も仕入れちゃった人もいるんだよ」

「百個と千個じゃえらい差ですね」

「そう。しかも相手は海外のメーカー。輸送費用も馬鹿にならないし、返品も出来なかったんだ。その時はもう、目から火が出るくらいに怒られたよ」

「京谷さんもそんな失敗があったんですね」

「えー? 僕だと入ってないんだけどなんでバレたんだろう」


 簡単に励ますのではなく、自らの失敗談を聞かせて安心させる。そんな優しさに触れ、微笑んだ。

 恭也さんのことがなければ、きっと私はこんな人を好きになっていたんだろう。

 優しくて、相手に気を遣わせない、気取らない。一緒にいても疲れない安らぎをくれる、そんな人だった。


 でも私には恭也さんしかいなかった。

 少しでも京谷さんに対してそんなことを思ったのが罪のように感じ、それから駅まではひと言も喋らなかった。


 恭也さんは今でも私を心配して、見守ってくれている。そう信じていた。

 たとえば電車を待つ向かいのホーム。素知らぬ顔して私を見てくれて気がする。

 流れる車窓のどこかにいるような気がして、視線で追ってしまう。

 駅前のコンビニのレジを打つ人だったり、二人で散歩をした公園をランニングしてる人だったり、つい一人ひとりの顔を確認してしまう。

 でももちろん一度も恭也さんを見つけたことはない。


 掻きすぎて治らない傷口をまた掻くように、スマホで『凶屋』『ミュージシャン』『楽曲』と検索してしまう。私と別れた後も恭也さんは爽子さんをはじめ何人かに楽曲を提供したり、ネットCMの曲を手懸けたりと順調に仕事をこなしていた。私はそれをこうやって毎日何度も検索してしまっている。


 恭也さんは三年以内に必ず迎えに来てくれる。だって二十六歳の恭也さんは過去の私に逢いに来てくれたのだから。

 そんな根拠と呼ぶにはあまりに滑稽な理由に、必死でしがみついていた。


 アパートに着く直前、寄り添って歩く一組の恋人と擦れ違った。

 自分たちの恋がその辺に溢れる恋とは違うと信じて疑わない、人生を謳歌する笑顔だった。

 カップルの男の人は、恭也さんではなかった。


 恭也さんに出逢う前の私は恋人と擦れ違おうが、友達に恋人が出来ようが気にしなかった。自分には定められた運命の人がいる。そう思うと人の恋など微塵も羨ましくなかった。


 アパートの部屋は相変わらず人が潜んでいる気配など微塵もないのだが、「ただいま」と声を掛ける。

 学生の頃から今でもずっと住み続けているアパートだ。

 本当は就職と共に引っ越すつもりだったけれど、恭也さんと別れて事情が変わった。

 引っ越してしまったら恭也さんが私の居場所を分からなくなってしまうからだ。


 今の私は抜け殻だ。

 脱皮したと思った少女は、心だけ飛び出して抜け殻になってしまった。

 コンビニで買ってきた弁当を広げ、ダウンロードしている恭也さんの楽曲をかける。

 楽しい曲も、アップテンポなナンバーも、みんな泣ける曲に聞こえるのは恭也さんの才能ではなく、私の精神状態の問題なのだろう。


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