一度目のフィナーレ
「そうじゃないの。恭也さん、覚えているんでしょ? 私を助けに来てくれたことも、約束をしたことも」
「約束?」
恭也さんは眉をしかめる。心が斬りつけられる痛みを覚えた。
『未来の僕に過去の話をしてはいけない』
子供の頃に恭也さんに言われた注意を今までなんとか守ってきた。
でもそれも限界だった。このタイミングで言うのは最悪だと思いながらも、最後の手段として言わずにはいられなかった。
「私を将来お嫁さんにしてくれるって約束……忘れたの?」
「お嫁さんに?」
恭也さんはほんの一瞬だけど嫌なものに取り憑かれた顔をした。
「過去にタイムリープして、私を三回も助けてくれたでしょ! 私がどうしようもない時、支えてくれた。嬉しかった。あの時から私はずっと恭也さんの子とが好きなのっ!」
昂ぶった感情が暴発し、涙腺が崩壊した。そのまま恭也さんの胸に顔を埋めて抱き付いたけれど、抱き返してはくれなかった。
そんなことを言った記憶は一切ない。その目はそう語っていた。
「悪いけど鹿ノ子さん、何を言っているのか──」
「とぼけないで! こんなの酷いよ! 優しくしておいて、好きにさせておいて受け止めてくれないなら、はじめから関わってもらわなかった方がマシですっ!」
肩を掴まれ、ぐいっと引き離される。恭也さんは困惑した顔をして、目を合わそうとしてくれなかった。
「ごめん。鹿ノ子さん。僕が何か辛い思いをさせてしまったなら謝る」
恭也さんの声はたちの悪い客に対応する銀行員のように他人行儀だった。
「別れよう。このままだとお互いを傷付けるだけだよ」
恭也さんは躊躇いながら私の顔を見た。私の答えを訊く目じゃなかった。
結論を伝える人の、静かな瞳だった。
「違う……そうじゃない……そうじゃないのっ……ごめん、ごめんなさい。許してっ。お願いです。お願い許して」
「許すとか許さないじゃないんだよ。ごめん。僕が鹿ノ子さんをダメにしてしまったんだ、きっと」
「嘘。こんなの噓! 嫌だよ! 私は恭也さんしかいないのっ……お願い! お願いします!」
私は子供のように声を上げて泣いた。
恋人達の行き交う、十二月のイルミネーションに彩られた街で人目を憚らずに泣いた。
恭也さんは唇をキュッと噛み締め、私に手を差し伸べかけ、その手を下ろした。
「さようなら、鹿ノ子さん」
そう言い残して恭也さんは立ち去っていく。駄々を捏ねる子供のような泣き声は、恭也さん以外の人の足を止めさせた。
「可哀相」とか「酷い男」とか声が聞こえ、それを言った人を一人づつ引っぱたいてやりたかった。
私は恭也さんとの愛は誰のどんな恋とも違う特別なものだと思い込んでいた。でもそれは間違っていた。
どこにでもある、ありふれた恋だった。少なくとも恭也さんにとっては。
男に捨てられて泣く私を見て、通りすがりの人はみんな思っているだろう。どこにでもある恋の一つが終わったのだと。
行き交う恋人は皆、ライオンに捕まったインパラを見る生き残ったインパラのような目で私を見ていた。
「こんなはずじゃない。違うの。これは何かの間違いで、私と恭也さんは結ばれる予定なの。だってそう約束したんだから」
周りの人に聞こえない声で呟きながら歩き出す。
今に恭也さんは思い直して駆け戻ってきてくれる。そう信じて、背中から抱き締めやすいように肩を窄め、背中を丸めて歩いていた。
その姿勢のまま何時間もかけて歩いていたら、家に着いてしまっていた。
もしかしたら私の部屋で待っていてくれているのかもしれない。
慌てて階段を駆け上がり、部屋へと急ぐ。
抱きつく姿勢で鍵を開け、部屋に入ると音もない暗闇だけが私を待っていた。
「恭也さん、ただいま」
灯りをつけずにゆっくりと部屋の奥に向かう。
「さっきはごめんなさい。私どうかしてました。きゃっ!?」
廊下を進み、部屋に入ったとき何かに躓いてその場に転んでしまった。
這いずって私を転ばせた原因のクッションを掴み、思い切り顔に当てる。そのクッションに全て染み込ませるよう、私は大声で泣いた。
────
──
こういう考え方も出来る。
私が二十二歳、つまり恭也さんは二十三歳の時に私たちは一度別れる。
でも恭也さんが二十六歳の時に再び恋をして結ばれるという可能性だ。
そう考えると荒れ果てた心が少し楽になった。でもそれはどことなく歯痛を痛み止めで散らすのに似ている気がした。
恭也さんと別れたことは琴葉には内緒にすることに決めた。伝えたところで慰められたら虚しいだけだし、激昂して恭也さんに何かされても困る。
忙しいから滅多に会えないと騙し続けて卒業した。
私の人生など恭也さんがいなければ特に語ることもなく、ただ時が過ぎていくだけだった。
四月からは社会人となり、がらりと変わった環境に対応することに忙しかった。
でも時間はなにも処方などしてくれず、私の心の中には今でも恭也さんが風化せずに生々しい傷として残っている。
当たり前だ。
十三歳の時から二十歳になるまでの約七年間、ずっと想い続けても色褪せなかった思いだ。たかだか半年前で傷が癒えたり、ましてや忘れるなど、あり得なかった。




