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世界塔からの眺望

 そう決意してスマホを手にした瞬間。


「ごめんごめん。お待たせ」


 恭也さんは息を切らしてやって来た。冬なのにじっとりと額が湿っているところをみるとよほど急いで駆け付けてくれたのだろう。


「打ち合わせが長引いちゃってさ。鹿ノ子さんの誕生日なのに待たせちゃって本当にごめん」

「ううん。平気だよ」


 明るく活き活きとした恭也さんを見て、溜まりかけていた毒が全て浄化された。

 恭也さんと逢える時間が減ったのは辛いけど、音楽の仕事は今が大切なときだということは分かっている。私のワガママなんかで邪魔をしてはいけない。


「恭也さんを待っている最中にね──」

「さあ、行こうか」

「あ、うん」


 離しかけた言葉を遮られ、私は慌てて席を立つ準備をする。少し寂しく感じたけれど、予約しているレストランの時間の関係なのだろう。

 どうでもいい感情なんて文庫本と共にしまい込んで、急いで恭也さんの背中に駆け寄っていく。


 恭也さんが予約してくれたレストランは夜景を見下ろせるロケーションの、高級感溢れるレストランだった。

 恭しく席まで案内してくれるウエイターさんも、飾られた花も、抑えられた薄明かりライトも、踏み締める絨毯の毛足の柔らかさも、崩した字体のフランス語のメニューも、田舎育ちの私にはロマンチックというより気後れする要素でしかなかった。


「こんな高そうなとこ、悪いよ」

「なに言ってるんだよ。鹿ノ子さんの二十二歳の誕生日だよ」


 運ばれてきたシャンパングラスをチンッと合わせる音も、左右のグラスでは音色が違って聞こえた。

 恭也さんはいつの間にかこういうところに慣れてしまったのだろうか。

 それが不安となり、私の心に渦巻いた。


 鮮やかな色の割にぼやけた味のスープや、お皿に絵を描くことに執心したような料理が運ばれてきても、私は粗相がないかばかりを気にして口に運んでいた。

 眼下の景色に視線を落とす。

 沢山の光の粒が散らばり、遠くまで続いている。私はその光のつぶての中から初めて恭也さんと行った居酒屋の灯火を探そうとしていた。


「綺麗でしょ」


 夜景に見惚れていると勘違いした恭也さんが笑う。

 その光の創造主でもあるかのような笑顔が嫌で、イルミネーションに夢中な振りをして視線を逸らした。


「ねえ、あの辺りじゃない? 二年前に私と恭也さんが出逢ったライブハウス」


 指を差そうとしたとき、恭也さんのスマホが鳴る。「ちょっとごめんね」と断ってから恭也さんはスマホを耳に当て席を立ってしまった。

 私はそのままライブハウスを指差す。


「ほら、たぶんあの辺。十三歳の私を口説いた恭也さんが、二十歳になったらあそこで再会しようって言ったんだよ」


 独り言に答えるものはもちろんいない。

 曇り一つなく磨かれた窓ガラスが急に憎たらしくなり、私は人差し指を押し付け、つつーっと滑らして指紋を擦り付けた。


 仔羊だか仔牛だか知らないけれど、食べ物が子供の肉であることを自慢するセンスが理解できなかった。

 数年前に作ったとか自慢気に紹介されたワインをがぶっと飲み、偉そうな蘊蓄うんちくの末に結局は古い製法で作ったことが自慢のパンを囓った。


 恭也さんはまだ戻ってこない。

 離れた席では髭を生やしたスーツ姿の男が娘と思われる女性と食事をしていた。よほど仲のいい親子なのか、お父さんは娘さんの髪を撫でている。そのうち父親の方は娘に指を絡めはじめた。口の動きで「愛しているよ」と伝えているのがわかった。


 こんな高級レストラン、たかだかデビュー作で少し人気が出たからって来られるはずがない。分不相応だ。

 私の誕生日だから無理してくれたのは分かるし、その気持ちは嬉しい。でも別に高いところに連れて来てもらいたかったわけじゃない。

 恭也さんのいなくなった椅子を見詰めながら、そう思った。


「ごめんね、仕事の電話で。料理が冷めちゃうよね」


 ようやく恭也さんが帰ってきた頃には、料理よりも私の心が冷めてしまっていた。


「仕事、大変そうだね」

「まあ嬉しいことだけどね。でもやっぱり気楽にやっていた頃と違って大変だよ」


 自慢気に昔を懐かしむ姿が鼻についてしまう。


「そうなんだ」


 私がどんなに沈んだ声を出しても、恭也さんは気付く様子もない。もちろん気にしてもらいたくて、声が沈んでいるわけじゃないんだけれど寂しかった。


「ボカロに歌わせている時は文句なんて言われなかったのに、生身の人間だと文句言ってくるからなぁ」

「歌わせる? 恭也さん、そんな言い方しなかった」


 苛立たしげにナイフを置くと、ようやく恭也さんは私の目を見た。


「合成音声を使ってるときも『ボカロに歌ってもらってる』って言ってた。なに、歌わせるって? そんな言い方、好きじゃない」

「それはただの言葉の問題で」

「曲だってなんであんなに変えちゃったの? 『誰も知らない少女の脱皮』はあんな曲じゃなかった」

「それは前にも説明しただろ。クライアントの意向って言うのもあるし爽子に合うようにもしないと」

「爽子? 呼び捨てなの?」


 こんな言い争いがしたいんじゃない。そう思っているのに脳の奥に籠もった熱が、私の冷静さを奪っていく。

 あの曲は地味で目立たない、どこにでもいそうな特長も自信もない子がひっそりと大人になっていく歌だった。

 それが今や自分の美しさをあざとく惚ける女の子の歌になってしまった。


「一番許せないのは、間奏のポエムをカットしたところです」


 あの部分だけは弄って欲しくなかった。

 いや、弄れるはずがないと思っていた。私の恥ずかしい詩をそのまま歌に組み込んでくれた、あの部分だけは。


「仕方ないだろ。これは仕事なんだ」

「仕事って……恭也さんはあんな歌を作りたくて音楽を仕事にしたのっ!? 違うでしょ!」


 周りの客はなにごとかと私たちのテーブルに視線を向けてくる。

 ウエイターさんが困った顔をして「お客様?」と声を掛けてきた。


「出よう、鹿ノ子さん」


 恭也さんは私を見もせず、テーブルに数枚の一万円札を置いて席を立つ。

 そのあとを追いたくはなかったけれど、ここに居残る意味もなくついていった。

 エレベーターでも、ビルを出ても、恭也さんは振り返ることなく歩いて行く。

 私は先ほどまでいたレストランを仰ぎ見る。

 澄んだ冬の夜空を背景にビルは煌々と光を放っていた。


 恭也さんはなにも悪くない。私が喜ぶと思ってレストランを予約してくれたんだし、曲を作り直すのも仕事上仕方のないことだった。仕事の電話なら食事中でもしなくちゃいけないのも分かる。


 ただ私は何か不安だった。

 恭也さんが、子供の頃に私と出逢った恭也さんからどんどん離れていく気がして怖かったのだ。


「ごめんなさい」


 背中に謝ると、恭也さんは溜め息をつきながら振り返った。


「なにが気に入らないの?」

「なにって……それは、なんか、恭也さんが遠くに行ってしまう気がして」

「僕がどこに行くの? ここにいるよ?」


 投げ遣りにそう言われた。

 それも私の記憶の中の恭也さんとはかけ離れたものに感じた。


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