プロの仕事
「でも恭也、それでいいのか? お前はしっかり働いて鹿ノ子ちゃんを幸せにしてやるんじゃなかったのか?」
石川さんはなおも恭也さんを揺さぶった。しかもその言葉は核心を衝くものだったらしく、恭也さんは瞬間的に顔を歪めた。
(そんなっ……)
私は恭也さんの枷になってしまっていた。
本当は嬉しい音楽事務所からの打診なのに、私という存在が苦しいものに変えてしまっている。
恭也さんの夢を私のせいで駄目にしたくない。そんな焦りで頭に血が上った。
「私は幸せですからっ。恭也さんがやりたいように生きて、その結果がどうであろうと幸せなんです! 石川さんには関係ないじゃないですか!」
重荷になっていたという自分への怒りを、石川さんに転嫁して声を荒げてしまった。私は本当に最低だ。
恭也さんには夢を貫いて欲しかった。たとえ恭也さんが売れなくてもいい。その時は私が恭也さんを支える。精神的にも、経済的にも。
夢を捨て、あったかもしれない可能性を捨て、割り切れない思いを抱えて生きていくなら、悔いなくやり切って欲しかった。
人生のうち、たかだか数年くらい夢に費やしてもいいはずだ。それで取り返しがつかないことになどならない。
私がその邪魔になるなんて、堪えられなかった。
「恭也さん、やりましょう。恭也さんならきっと成功します。私は、そう思います」
「鹿ノ子さん……ありがとう。石川も、ありがとう。本気で心配してくれて」
「いや。お前と鹿ノ子ちゃんのことまで口を挟んですまなかった」
石川さんはまだ納得はしてなさそうだったけど、そう言ってくれた。
夢に向かって走る人というのは、夢を見てない人から見れば手製の翼を持って崖へと走り出すように見えるのかもしれない。
そんな無謀なこと、友人なら当然止めるだろう。
でも運命を共にした恋人なら、飛べるかもしれないと見守りたい。落ちたら私が助ければいいのだから。
「やるからには成功してよね。鹿ノ子を泣かせたら許さないから」
「琴葉……ありがとう」
琴葉はぶすっとした顔で恭也さんを睨む。琴葉も恭也さんを、そして私を心配してくれている。
みんながみんなを思い遣る。そんな素晴らしい仲間に囲まれたことを誇りに思った。
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──
恭也さんが正式に音楽事務所と契約して始めに手懸けた仕事は、やはり同じようにネット上で人気があった歌い手の『沢良木爽子』さんのメジャーデビュー曲のプロデュースという仕事だった。
恭也さんも最初からそんな大きな仕事をするとは思っていなかったようで、興奮した様子で教えてくれた。
曲は『誰も知らない少女の脱皮』のリテイク版だ。Webの海を漂う歌姫のデビュー作として相応しいと思って貰えたらしい。
爽子さんが歌う『誰も知らない少女の脱皮』は派手な宣伝の効果もあり、ダウンロードチャートでいきなり好スタート発進となった。
もちろん世間一般では爽子さんしか話題になっておらず、その作詞作曲が誰かなんて話題の端にも上がらなかった。しかし音楽関係者たちは歌い手よりもむしろ恭也さんのほうに関心が集まったらしい。
最初の仕事でいきなり成果を上げた恭也さんはすぐに次の仕事が舞い込み、忙しくそれをこなしていた。
それは嬉しいことのはずなのに、私の心はずっと靄がかかったままだった。
「凄いね、恭也さん」
キャンパス内の喫茶店で琴葉はスマホを片手にそう言ってきた。
「うん。『誰も知らない少女の脱皮』、人気みたいだね」
「タイミングとか、運とか、宣伝とか、そう言うのもあるんだろうけど、やっぱ才能あったんだ」
「えー? 今さら気付いた?」
惚気るように言ってみたが、芝居じみたぎこちなさは隠せなかった。
「でも私はリミックス前の方が好きだったな」
琴葉は力ない笑いで応える。さり気なく私を慰めてくれているということは気付いていた。でも私は鈍感な振りをしてそれをサラッと流す。
『誰も知らない少女の脱皮』はアップテンポで可愛らしく、お洒落でカラフルな曲に生まれ変わっていた。
原曲のもの悲しさも、妖しさも、儚さも全てなくなっていた。
「最近の流行とかもあるだろうし、歌い手の沢良木爽子さんに合わせるようにアレンジもしたらしいよ」
どこか言い訳めいた口振りになっている自分に気付いた。
「爽子にあわせたアレンジねぇ……でもこれって鹿ノ子のために作った歌でしょ?」
「そりゃはじめはそうでもプロだもん。オファーに合わせるでしょ」
物分かりがいい彼女という口振りで答えた。でもそれは全て恭也さんが言った台詞だった。不服そうな私の質問に対して少し面倒臭そうに答えた恭也さんの言葉だ。
言われたときは一応納得したけれど、自分で口にしてみるとやはり取り繕った台詞に感じた。
「ふぅん。そういうもんなんだね。でも恭也さんはプロになってそういうことがしたかったの?」
「それは……」
答えられなかった。それは私が訊きたくても訊けなかった質問だった。もし私がそう訊いたら、恭也さんはなんと答えたのだろう。
「今夜会うから訊いてみるね」
なんとか平然を装って、苦し紛れにそう言った。今でも頻繁に会っているということをアピールする意味合いもあった。
でもそんな噓、全て見抜いているかのように琴葉は目許を鋭く尖らせて微笑んだ。
「鹿ノ子、泣かされてないよね?」
「まさか。なんでそんなこと思うわけ? 今日も忙しいのに私の誕生日だから時間作ってくれているし」
幸せなとき、私はどんな風に笑っていたのだろう。
必死で思い出しながら作った笑顔が窓ガラスに反射して映る。
それは孤独だった少女時代の顔によく似ていた。
待ち合わせの時間から三十分が過ぎていた。読んでいた文庫本を閉じ、氷の溶けた薄いアイスコーヒーを飲む。
年の瀬の喫茶店は買い物疲れをした人たちで賑わっていた。
少し早めに着いてしまったからもう小説もかなり読み進めてしまっていた。でも本を閉じた途端に主人公が初々しい女学生だったか、世の中の全てを恨んでいる中年の男性だったかすら覚えてないほど上の空だった。
急かすようなメッセージは送らない。そう心掛けていたが、誕生日の今日くらいわがままを言ってみたくなる。
こうしているうちにも恭也さんと過ごせる時間が一秒づつ削られていくのが辛かった。




