夢と現実の狭間
恭也さんが卒業して半年後の秋。
私たちは四人で久し振りに集まった。
就職してから忙しいのか、恭也さんは一週間に一度のデートも出来ないときもあった。寂しいけれど、負担にはなりたくなかったので不満は口に出さない。
私も琴葉も就職は決まっているので、あとは卒業を待つばかりとなっていた。
職場はもちろん東京だ。引っ越しするとお金がかかるので、社会人になっても今の部屋に住み続ける。引っ越すときは恭也さんと一緒に暮らしはじめるときだと決めていた。
「それにしても凄い再生回数だよな」
学生時代より少し痩せた雰囲気の石川さんがしみじみとそう言った。
太った姿は不健康に見えたけれど、痩せた姿は、それはそれで不健康そうな見えた。
「ほんと! 凄いですよ。鹿ノ子をイメージして書いた曲がこんなに人気になるなんて素敵な話ですよね」
琴葉も賛同して頷く。私は恭也さんの表情を盗み見ながら頷いた。
ここ最近恭也さんはとても言葉数が少ない。
元々雄弁な方ではなかったけれど、昔とは質の違う寡黙さだ。以前は穏やかで落ち着けた物静かさだったけれど、最近は陰鬱で落ち込んだ沈黙だ。
最近の恭也さん何かを必死で堪える。恭也さんだけを見ている私だから分かる微妙な違いだった。
「実は……」
恭也さんは私たちを見回しながらそう言った。
「実は今、とある音楽事務所から声を掛けてもらっているんだ」
「えっ!?」
三人共が驚きで声を上げたけど、一番大きな声だったのは間違いなく私だった。
なんでそんな大切なことを二人の時じゃなくてこんなところで言われたのは、少し裏切られた気分だった。
「まだ検討中なんだけど、向こうはかなり乗り気でさ。あ、別に怪しいところじゃないよ。結構有名なところだし、名刺ももらって向こうの会社にも行ってるから」
全員が呆気にとられているうちに、恭也さんは早口で捲し立てる。まるで詐欺の類ではないと言い訳しているように見えた。
「ちょっ、ちょっと待てよ、恭也」
驚きで声が出せない私に遠慮する視線を送りながら、石川さんが恭也さんの語りを止めた。
「それ、本気で言ってるのか?」
「ああ。もちろん本気だ。突然ダイレクトメールが届いてさ。はじめは僕もイタズラかなと思ったよ」
恭也さんが笑いながら話すので琴葉もつられたように笑った。
「そうじゃなくて。恭也の会社、副業とか禁止だろ?」
「うん、まあ。そうなんだよね」
「だったら無理だろ?」
「会社は辞めるよ」
石川さんの深刻な口調を無視するように、恭也さんは笑い流そうとする口調でそう言った。
何となくつられて笑っていた琴葉も、その顔からスッと笑みを消した。
「それは無謀すぎるだろ」
石川さんは眉をしかめて唸った。琴葉も隣で頷いて同意している。
「無謀? 僕の才能では無理という意味?」
恭也さんは怒っているのか、焦っているのか、乾いた笑い声を上げる。私の知っている恭也さんにはない、どこか卑屈な表情だった。
「才能とかよりああいう世界って厳しいんじゃないのか? そんな簡単に生活できるようにはならないだろう?」
「へえ。ご丁寧に心配してくれるのか?」
「ちょっとやめなよ」
険悪な空気になり、琴葉が二人をなだめる。私は情けないことにどうしていいか分からず、黙って恭也さんと石川さんを交互に見るだけだった。
正直恭也さんが音楽でプロから認められたのは嬉しい。会社を辞めるというのも私は反対ではなかった。
就職してからの恭也さんは学生の頃のように笑わなくなったし、休みの日も用事がなくても疲れたと言って会えない日が多くなった。
かなりのストレスがあることは間違いなかった。
もちろん仕事というのはそういうものなのだろうし、仕方ない面はあると思う。でも今の職場が恭也さんに合っていないのは傍から見ても分かった。
それに二十六歳の時の前髪の長い恭也さんはミュージシャンだったのではないかという私の予想も、反対しない理由の一つだ。
このまま音楽の道へと進むのが恭也さんの本来あるべき姿なのだという直感があった。
ただ一番に私に話してくれなかったことだけが引っ掛かっている。
そんなことを気にする自分が恥ずかしくて、情けなくて自己嫌悪に陥った。
「せっかくそれなりにいい会社に入れたんだ。それを捨てるのはもったいないだろ」
「もったいない? 僕はあんな会社で働くことに人生を使う方がよっぽど勿体ないと思うけど」
「みんなそんなもんだろ。学生時代とは違う。生活というものがあるし、嫌でもしないといけないこともある」
「親が金持ちで実家を継いでる石川にはわからないだろ、サラリーマンの不安も、苦しみも、理不尽さも」
もはや止めることは不可能と思ったのか、琴葉は肩を竦めて溜め息をついた。
二人が言い争いをするところは見たことがあったが、それはあくまで悪ふざけの延長だった。これほどまでに真正面からぶつかるのははじめて見た。
恭也さんの態度も意外だったが、ここまで強く反対する石川さんも意外だった。
かたちだけじゃなく、心から友情を感じているから心配してくれているのが分かった。
「確かにサラリーマンの悲哀は分からないかもしれない。けれど、いきなりそんな無謀な賭けに出るのは賛成できない」
「心配しなくてもこれまでの曲をリリースして稼いだら石川にも金を払うよ。石川が創った映像とか、作詞に協力した分とか──」
「そんな話はしてないだろっ!」
石川さんは急に沸点に達したのか、大声で怒鳴って恭也さんの言葉を掻き消した。
怒鳴る石川さんを見るのは恭也さんもはじめてなのか、唖然とした顔になる。
「石川さん。落ち着いて下さい」
あれほど仲良かった二人がいがみ合うのを見て、ようやく私は仲裁に入った。
「確かにプロの道というのは厳しいのかもしれません。でも挑戦しなければ通用するのか、しないのかはわかりません」
「それはそうだけど……」
私が反論するのは想定外だったのか、石川さんは少し狼狽えた様子だった。
「恭也さんだって考えて出した答えだと思います。夢を否定するんじゃなくて、応援してあげましょうよ」
「鹿ノ子さん……ありがとう」
恭也さんは私の方を向き、頭を下げた。私もそれに応えて、にっこり笑って頭を下げる。




