二人の愛の結晶
恭也さんが淹れてくれたコーヒーを飲むと、ようやく落ち着くことが出来た。
思えばお風呂に入ってからずっと感情の波に揺さぶられていた。
恭也さんはパソコンを操作して『誰も知らない少女の脱皮』をかけてくれた。
出会った頃の刺々しく毒気のある音楽とは違うが、この曲にはこのメロディーが合っている。
「私のためにこんな素敵な歌を作ってくれてありがとうございます」
「むしろ僕の方が鹿ノ子さんに感謝してるよ。鹿ノ子さんと出逢わなければこの曲は創れなかった」
二人の間に生まれた子供のように言われて、こそばゆい喜びを感じて思わずもぞっと身体を動かした。
そして曲が例の恥ずかしい詩に差し掛かる。
子供丸出しの夢見がちな言葉の羅列を聴いていると冷や汗と苦笑いが自然と溢れてしまう。
でもこの詩が私と過去に会ったという証拠だ。なにも言ってくれないけれど、自作にそれを挿しこむことでそれを伝えてくれたのだろう。
「私はこの詩、恥ずかしくてなんか嫌です」
惚けてそう言うと、恭也さんは意地悪そうににやりと笑った。
「そう? 僕は好きだな。このいかにも小学生の女の子が書いた初心な感じがいいと思うけど? 鹿ノ子さんの子供の頃、きっとこんな子だったんだろうなって」
「意地悪……」
私は視線を斜め下に泳がせながらマグカップのコーヒーを飲む。
「もう就職ですね」
恥ずかしいから無理矢理話題を変える。しかしあまり気の利いた話題ではなかったというのは、恭也さんのリアクションを見て分かった。
「そうだね。なんか不安だよ」
「大丈夫ですよ。恭也さんは人当たりもいいし、真面目だし、一生懸命ですもん。サラリーマンとしてもやっていけますって」
「だといいけど」
やはり社会に出るというのは不安なことなんだろう。
私は高校卒業と同時に働きたかったけど、恭也さんと確実に出逢えるために東京の大学に進学した。
働いていたら何かどうしようもない理由で、二十歳の誕生日に待ち合わせの渋谷のライブハウスに行けない可能性があるかもしれないと怖れたためだ。
ただそれだけの理由で、私は大学に進学することを決めた。
「恭也さんは将来きっと音楽関係の仕事をすると思います」
「僕が音楽関係の?」
「ええ。だから『ひとまずサラリーマン』くらいでいいと思います」
「無理でしょ。働きながら音楽なんて出来るかな?」
「そういう真面目すぎるところですよ」
そう指摘すると恭也さんはぽかんとした顔で私を見た。
「会社勤めをするのも、音楽のことも、もっと楽に構えた方がいいですよ。才能があって、夢に向かって努力していたら、必ず誰かが拾い上げてくれるって。昔そう言っていたミュージシャンの方がいました」
「へぇ……でも才能あるかな?」
こういう慎ましくて奥ゆかしいところが恭也さんの魅力だ。でも時には自信を持って欲しいと思うこともある。
「大丈夫ですよ。恭也さんは才能あります。私なんかが言わなくても、既に恭也さんには沢山のファンの方がいらっしゃるじゃないですか」
「でもそれは無料で楽しんでいるだけで、お客さんではないし」
私は恭也さんの手を握り、首を振った。
「ファンに無料も有料もないですよ。みんな恭也さんの創る音に共鳴している人です」
強く視線を絡ませてそう伝えると、恭也さんは小さく頷いた。
「そうか……うん。そうかもしれないね。ありがとう鹿ノ子さん」
「でも一番のファンは、私ですからね」
視線を絡めたまま腰を浮かし、盗むように唇を重ねる。チュッというリップ音をわざと大きく立てたのは照れ隠しだ。
「やっと……やっと今日、本当に恭也さんに逢えた気がするんです」
「なにそれ? また新しい曲のフレーズでも提供してくれてるの?」
眩しそうに笑った恭也さんもお返しのキスをくれる。
こんなに輝いた、愛おしい時間がいつまでも続くきますように。
出し惜しみしない愛を、二人で育てていけますように。
心の底から、そう願った。
それから半年をかけ、『誰も知らない少女の脱皮』は再生回数を十万回にまで伸ばした。
そしてその重さに堪えきれず、運命の歯車が軋み始めてしまった。