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まだ僕を知らない君と、二度目の初恋  作者: 鹿ノ倉いるか


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醜い刻印

 今年の冬の寒さは異常だ。毎年思っている気がする。

 夜十時過ぎにバイトを終えると、その帰り道は地獄だった。まるで冷凍室のような寒さの中、私は自転車で家へと急いでいた。

 部屋に入って寒風の猛威から逃れると、それだけで暖房に当たったくらい温かさを感じる。


 濡れているんじゃないかと疑いたくなるほど冷気が染み込んだコートをハンガーに掛け、そのまま浴室に行き湯張りを開始した。

 お湯が溜まるまで綿入りのどてらを羽織って身体を丸くして炬燵で暖を取る。

 見た目はダサいけれど部屋着は見た目より実用重視だ。とはいえこれは恭也さんが来るときは隠しておこう。


 エアコンはつけない。どれくらいの電気代がかかるのかは知らないけれど、使わない以上の節約はないはずだ。

 ちなみにテレビをつけないのは節約じゃなく単に興味がないからだった。

 そんなものを見る暇があるなら恭也さんの曲を聴いたり図書館で借りた本を読んでいたい。しかし今は手がかじかんでいるのでそれすらままならなかった。


 解凍された指がようやく自分の意志動くようになった頃、お湯が溜まったことを報せるアラームが鳴る。

 とにかく身体の芯を温めたくて、すぐに浴室へと向かった。

 湯船に浸かるとまだ冷えていた身体の内部まで熱が伝わっていく。


 「ふぅ……」と息を吐き、目を細める。無防備に心も身体も弛緩させたのが、よくなかった。

 お風呂に入るとき、普段は決して見ないように注意していた内ももの醜い傷に視線を落としてしまった。

 ゆらゆらと揺らぐ水面の上から見下ろしたそれは、蠢く巨大ムカデにさえ見えた。


「ひっ……」


 水の中というのが、余計によくなかった。封印していた記憶が溢れ出してくる。


(大丈夫……この傷のことを、恭也さんは許してくれた)


 自分にそう言い聞かせ、息を飲む。落ち着こうと息を整えながら目を閉じたが、もう遅かった。

 陰鬱な記憶の扉が開いて、私を飲み込んでいく。



 ──母が再婚したのは私が高校一年生の時だ。父と離婚したのちに母は私を連れて自らの故郷に引っ越しした。

 細かい事情は知らないが、再婚相手である七瀬さんとは職場で知り合った人らしい。何度か勝手に顔合わせの場を設けられ、四回目のレストランでの食事の時のことだった。


「母さん再婚しようと思うの」


 急に再婚することを一方的に伝えられた。

 ドラマなどでは連れ子がいる人の再婚は、なんとかその子供に認められようと大人たちは必死になるものだが、そんなものはなかった。


 ただ数回顔を合わせ、さして美味しくもない高級な食事を食べさせられて、必要のない鞄などをプレゼントされて、それで半ば私も承認したということにさせられていた。

 それなのになぜか母とその再婚相手は、私がテレビドラマの連れ子のように喜んで賛成するのを待つような顔をして私の顔を見ていた。


「そう。いいんじゃない?」


 仕方なく私は微笑んだ。窓ガラスに映った私の顔は、自分で思うよりもずっと自然な笑顔だった。


 異変に気付いたのは母が再婚してから半年ほどした、高校一年生の冬頃だった。

 私の下着がたまになくなることに気付いた。

 二人ともまだ仕事から帰ってこない時間帯に寝室に忍び込み、机やタンスの中を調べると──


「ひっ……」


 その中に私の下着があるのを見つけ、血の気が引いた。

 ギンガムチェックや水玉のそれは、どう見ても母のものと間違う代物ではない。

 ましてやそこは母の下着をしまう引き出しではなく、あの男の着なくなった古い衣服をしまっている棚だった。


 気持ち悪くて、目眩がした。

 もはやそれは穢らわしいものとしか移らず、虫の死体や腐った野菜のような扱いをしてゴミ箱に捨てた。

 身の危険を感じたのは自意識過剰なのかもしれない。でも両親が働いているから洗濯などの家事は私がしている。自分の下着をあの男の衣装ケースにしまうはずがなかった。


 母に相談しようかとも思ったが、それは思い留まった。

 それは別に母のためだけを思ってのことではない。自分のためである。

 それが原因で家の中が気まずくなるのも嫌だったし、自分の下着が穢らわしいことに利用されたかもしれないことを知られるのも嫌だったからだ。


 その出来事があってから母の再婚相手を警戒する日々が始まった。

 気のせいかも知れない。間違いかも知れない。

 そう思い込もうとした。しかし時おり彼の視線に下卑た熱を感じてしまい、嫌悪感は募る一方だった。

 一日でも早くこの家を出ていきたい。毎日そう思って暮らしていた。

 私の身体は髪の毛一本まですべて恭也さんのためのものだ。他の男には絶対に触らせたかなかった。


 ──そして高校二年の夏に、悲劇は起きた。

 普段は家族行事を全て断ってきたが、その夏のキャンプだけは執拗に参加を要求されてどうしても断れなかった。

 来年は受験でその翌年からは家を出て大学に通う。今年の夏が家族で出掛けられる最後のチャンスかも知れない。強くそう言われ、断ることが出来なかった。

 そもそも私は母の再婚相手を家族と思ったことなどないのに、最後の家族旅行なんて滑稽な響きだ。


 キャンプの場所はそれほど遠くない、車で一時間ほど走った山中だった。大きな石がゴロゴロと転がる河原でバーベキューをする。

 七月の強い陽射しを反射させた川面は眩しく、周囲の深緑の木々が作り出した影とのコントラストが美しい。


 半強制的に連れて来られた私だったけど、その美しさに沈んでいた気持ちが一気に晴れた。

 豊かな自然にふるさとの懐かしい記憶が刺激されたからかもしれない。

 バーベキューをする前に泳ぐこととなった。

 あの男に水着姿を晒すのを躊躇わないほど、私は浮かれてしまっていた。


「きゃっ……冷たい」


 足をつけた瞬間、思わず独り言が漏れた。

 プールや海と違い、熱せられる暇もなく流れ過ぎていく川の水はキリッと冷たかった。

 私に遅れて母とあの男が水着に着替えてやって来たので、避けるように川下の方へと移動する。


 川には大きな岩がゴロゴロと転がり、鋭いナイフのように流れる川の水を切って飛沫を上げていた。


「おーい、鹿ノ子ちゃん! あんまり流れの急なとこに行くなよ」


 あいつが注意する声が聞こえた。私は振り向きもせず、聞こえない振りをして逃げるように更に距離を取ろうと歩いて川を上る。

 流れは急だったが、私の意識は前方や足許より背後に尖らせてしまっていた。


「そっちは危ない」


 あの人はそう言って慌てた様子で水飛沫を上げる足音で追ってきた。

 人の下着を盗んで不潔なことをして親面するなんて許せない。

 嫌悪感と怒りが爆発し、私は振り返ってあの男を睨みつけた。

 その時、藻でぬめった石に足を取られた。


「きゃあっ!?」


 転んだときはすぐに立ち上がれると思った。ところが立ち上がろうと踏み込んだ足も滑ってしまう。


「わっ!?」

「鹿ノ子ちゃんっ!」


 流されていたが、まだ浅瀬だった。落ち着こうとしているときに、あいつが駆け寄ってくるのが見えた。助ける振りをして身体を触られる。そう思った。


 「来ないで!」と叫ぼうとして水を飲んでしまい、軽くパニックになった。そしてそのまま激しい激流に身体が飲まれてしまった。

 水の中で揉みくちゃにされた時はどちらが上で、どちらが下かも分からなかった。身体があちこちの岩にぶつかるが頭は打たなかった。恐らく本能的に頭部を守っていたのだろう。

 しかし頭よりも守らなくてはいけないのは、脚だった。


「がはっ!!」


 物凄い衝撃を足に受け、水中でもがいた。

 川の流れに蹂躙された時間は、恐らく僅か数秒だったのだろう。

 しかしその数秒は恐怖で濃厚に煮詰められた、生涯忘れられない数秒となってしまった。

 記憶だけではない。身体にも、一生刻まれる数秒となってしまった。

 岩にぶつかった私の内ももには、深く大きな傷が出来てしまっていた。

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