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想い出の川

 驚いたことに中には恭也さんの歌を自ら唄ってアップするファンまで現れた。私と恭也さんは片耳づつイヤホンを挿し、その見知らぬ人の歌声を聴いていた。

 画像は固定されたイラストなので歌っている人の顔は分からないが、艶のある美声だった。


「この子、結構いい声してるよね」

「そうですか? なんか作ったような声で歌ってて私は好きじゃありません」

「作ったような声って。僕の歌は元々合成音声に歌ってもらってるからある意味正解なんじゃない?」


 恭也さんが歌い手を擁護するので余計に面白くなかった。


「それともただ嫉妬してるだけ?」

「恭也さんのそういう意地悪なところは好きじゃないです」


 上目遣いに睨むと恭也さんは擽られたように笑った。


「今度の曲は少女が大人になる過程を描くつもりなんだ」


 そう言いながら恭也さんは親指の腹で私の唇をなぞった。触られたのは唇なのになぜか背筋がぞわっと疼いた。


「鹿ノ子さんのルーツを見るというのは、きっとその歌作りにも役立つ。僕の創作物は今やみんな、鹿ノ子さんに根ざしている。それでも不満?」

「なんか騙された感じ。不満なんてないですよ」


 笑って誤魔化したけど、心には不満ではなく不安が涌き起こっていた。

 それは別に誰かに対する嫉妬から来るものではない。

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 以前の恭也さんはあんな簡単に唇など触って私を手懐けるようなことはしなかった。もっと内面的で、思慮深く気遣いを見せてくれた。


 それは過去に会いに来てくれた恭也さんのイメージとも重なる。しかし最近の恭也さんは先ほどのような、私の心をざわつかせることをよくしてきた。


「どうしたの?」

「ううん。なんでもないです」


 歴史が変わり、恭也さんも変わってきた。そういうことなのだろうか。

 でもこうして出逢えて、愛し合えている。なにも怖れることはないはずだ。

 そう言い聞かせるように私は恭也さんの手を握った。



 私の生まれ故郷は記憶の中のものと大きく違いはなかった。

 駅前の通りも、広告入りのベンチが並ぶ野晒しのバスターミナルも、人通りが少ない駅前の『ふれあい通り』も、昔とほとんど変化がない。ただ全てが少し錆びたようにくすんでいた。

 でもそう見えるのは私が都会の景色に慣れただけなのかもしれない。画質のいい映像に馴染むと昔の映像がやけに古ぼけて見えるのと同じ原理だ。


「いいところだね」


 駅舎から出た恭也さんは、はじめからそう言うことを決めていたかのように大雑把な褒め言葉を口にした。なんて返すのが正解なのか分からず、とりあえず「ありがとうございます」と違和感を感じながらお礼を述べた。


 ふれあい通り商店街は、思ったよりは営業している店が多かった。

 オープン当初は商店街を潰すんじゃないかと怖れられていたスーパーマーケットも、今は他の個人商店と同じくらい看板も雰囲気も風化させながら営業していた。


 商店街の中程にあったコンビニエンスストアは今も健在だった。都会にでもあるそれを見つけると、恭也さんは海外で日本語看板の店を見付けたときのような足取りで店内へと入っていった。

 そこで温かい缶コーヒーと、持ってくるのを忘れたと言っていたハンドクリームを買い求める。どちらもここに来る途中の個人商店でもう少し安く買えるものだった。


 私の通った小学校からはじまり、途中で転校した中学校、よく遊んだ公園、部活で走った地獄の坂道、小学生の頃は怖かった底なしひょうたん池などを紹介して歩く。


 そして住んでいたアパートの前にやって来た。

 私が住んでいた三階の左から二番目の部屋には灯りがついていた。

 ここからでは中の様子はうかがえないが、誰かが住んでいることは洗濯物が干されていることでも分かる。

 若い夫婦が住んでいるのか、黄色い保育園児の帽子も吊されていた。


「ここで鹿ノ子さんは育ったんだね」

「うん」


 住んでいた頃は好きじゃなかった地の色が分からないくらいに汚れた外壁も、三号棟を意味する『Ⅲ』という冴えない標識も、今は何だか愛おしい。

 急に泣き出したいほど心細くなり、隣にいる恭也さんの手を握った。


「いつか恭也さんの故郷にも行きたいです」

「僕もいつか連れて行きたいよ。鹿ノ子さんを僕の地元に」

「嬉しい。約束ですよ」


 私たちは手を繋いだまま最後の目的地、河原へと向かった。

 私が子供の頃よく遊んだ、恭也さんに助けてもらった、そして中学二年生の時に恭也さんとはじめてキスをした、あの河原だ。


 明日から師走というこの時期に、川で遊ぶ子供などもちろん一人いない。

 辺りには建物もなく、小高い丘とも小さな山ともつかない雑木林から風が吹き下ろしてくる。


「寒いね」


 当たり前だけど恭也さんはここがどこなのか知る様子もなく、繋いだ手を離してコートの襟を立ててマフラーを巻き直す。

 再び繋いでくれるものだと思って手はそのままにしておいたが、恭也さんの手はそのままポケットの中へと納まってしまった。

 私は風を掴むように、宙に浮いた手を握る。


 ──なんでここに恭也さんを連れて来ちゃったんだろう。


 独り善がりの感傷で恭也さんを連れ回してしまったことを、今さらながら後悔した。

 こんなつまらない景色を見ても、恭也さんは退屈なだけだ。何も思いだしてくれた様子はない。

 私を助けてくれた記憶がなければ、ただの小さな川にしか見えないだろう。

 自分の大切な想い出にも傷をつけてしまった気持ちになる。


「帰りましょうか?」

「そうだね。寒くなってきたし」


 踵を返し、三歩進んでから立ち止まった。


「この場所、私の特別な場所なんです」


 何を言ってるのだろう。そう思いながらも溢れる言葉を止められなかった。


「一番大切な場所だから、恭也さんに見せたかったんです」


 痛い子だと思われてる。面倒くさいと幻滅されている。

 そう思うと冷気とは関係なく身体が震えてしまった。


「そうか……ここが、鹿ノ子さんの大切なところか」


 恭也さんは嫌な顔をせず、土手の上から振り返って川の流れを見詰めていた。

 鋭く尖った冷たい風が吹き、短くなった恭也さんの髪を搔き乱した。


「目に焼き付けておくよ。僕の一番大切な人を育み、見守ってくれたこの景色を」

「ありがとうございます」


 私を助けてくれたあの時のことは思いださなくてもいい。でも、この景色を忘れないでね。

 私は心の中で恭也さんにそうお願いした。


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