子鹿のフィアンセ
昼時を外れているので、フードコートはショッピングモール内の人混みから考えれば比較的マシな混雑だった。
「なんで知らない人からアイスをもらったら駄目なの?」
僕が買ってあげたアイスを食べながら鹿ノ子さんは小鳥のように首を傾ける。『鹿ノ子』だからなのか、子鹿のキャラクターが施されている髪留めを付けていた。子供だから子供っぽいのは当たり前だが、あの鹿ノ子さんが子鹿のヘアピンを付けていると思うと失礼ながら少し愉快だった。
「そういう甘い言葉で騙してひどいことするからだよ」
優しく教えてあげると鹿ノ子さんは伸ばしかけた舌をピタッと止めて口の中へと引っ込めた。アイスに毒を仕込まれているのかと警戒するリアクションがおかしくて、声を出して笑ってしまった。
「大丈夫。僕は知らない人じゃないから酷いことはしないよ」
「ううん。カノコ、おじさんのこと知らないよ」
「今はね」
「今は?」
「今はまだ僕のことを知らないだろうけど。僕は未来の鹿ノ子ちゃんの花婿さんなんだ」
「えっ!? カノコ、おじさんと結婚するの? いつ!?」
鹿ノ子さんは嫌そうな顔はせず、ただ驚いた顔をした。
「ずっと先。鹿ノ子ちゃんが大人になってからね」
「ふぅん……」
分かったような分からないような顔をしてから、鹿ノ子さんは短い舌でアイスクリームの中に埋まっている星形のラムネをほじくり出していた。
鼻の頭や口の周りにライムグリーンのアイスクリームをつけていたので紙ナプキンで拭ってあげる。
この状況を親に見られたら、僕こそが変質者だと思われるに違いない。ましてや鹿ノ子さんの未来の旦那だなんて言ったら間違いなく警察に突き出されるだろう。
フードコート内を見回し、まだ鹿ノ子さんの両親がやって来ていないことを確認する。
本来ならばすぐに両親を探して送り届けるべきだったのだろう。しかしこの時代の鹿ノ子さんと話がしてみたくて、つい連れて来てしまっていた。
「おじさんの名前は?」
「おじさんの名前は川神、恭也だよ」
「ふぅん……じゃあカワカミカノコになるの? なんか変!」
違和感を覚えたのか苦笑いする。僕は少しだけ胸が鈍く痛んだ。
「そうかな?」
「そうだよ。カワカミなんて。タケトウの方がいい」
「じゃあ僕が岳籐になろうかな」
「え? いいの? そうしなよ」
そんなことが嬉しいのか鹿ノ子さんは脚を椅子の下でぶらんぶらんと振る。
見た目も仕草も、どう見ても小学生低学年の女の子だ。しかし僕にはもはや『婚約者の鹿ノ子さん』にしか見えなかった。
もちろん性的な意味で見てるわけではない。でも小さくても、彼女は鹿ノ子さんであって、僕の特別な人だった。
「おじさんは未来から来たの?」
「そうだよ。未来の世界では僕と鹿ノ子ちゃんは結婚をするんだ」
「ふぅん。しあわせなの?」
「ああ。もちろん……しあわせだよ」
少し言い淀んでしまったがそう答えると、鹿ノ子さんはまるで明るい未来が約束されたかのように喜んだ。
そう。僕は鹿ノ子さんに明るく楽しく幸せな未来を届けに来た。
そのためだったらどんなことでもする。
「んー? でも本当かなぁ?」
さすがに七歳でもおかしな話だと思ったのか、鹿ノ子さんは疑った目で僕を見た。
「そりゃ信じられないよね」
「未来から来たって言うなら未来の道具出してよ」
どうやら僕と結婚することではなく、未来から来た方を疑っていた。別に僕との結婚を了承した訳ではないのだろうが、少なくとも拒絶されなかったことが嬉しかった。
「未来っていっても二十年後だからね。そんなにすごい変化はないんだよ」
そう言いながらポケットに入っていたスマートフォンを見せる。もちろん電波など入るはずもなく圏外だ。
「なにこれ? おもちゃ?」
「うーん。まあ、そんなとこかな」
七歳の子に説明は難しいし、そもそもその解釈はあながち間違ってもいない気がした。
「写真も撮れるんだよ」
「え? 撮って撮って!」
鹿ノ子さんは歯を出して笑い、ピースサインを向けてきた。なかなかおてんばな感じが出て、可愛い写真が撮れた。
その時、若いお母さんが不安げにキョロキョロと見回しながらフードコートの入口付近であたふたしているのが視界に入った。
「あれ、もしかして鹿ノ子ちゃんのママじゃない?」
「あ、ほんとだ!」
鹿ノ子さんはぴょんと椅子から飛び降りて「ママー」とはしゃぎながら母の元へと駈けていく。
その隙に僕も席を立ち、行き交う人の群れの中に身を隠して鹿ノ子さんの様子を見ていた。
鹿ノ子さんを見つけた途端にお母さんは叱りつけていた。それでも鹿ノ子さんは気にした様子もなく母に何か言っている。
娘がアイスを持っていることに気付き、母は訝しげに訊ねる。鹿ノ子さんは先ほどまで僕たちが座っていた席を指差し、ようやく僕がいなくなったことに気付いた。
母子はキョロキョロと辺りを見回すが、その表情は対照的だった。
多分「知らない人について行っちゃ駄目でしょ」と叱ったのだろう。母は険しい表情で鹿ノ子さんの手を引いて立ち去っていく。
「じゃあね。鹿ノ子さん。また会いに来るよ」
何度も振り返るお下げ頭にしばしの別れを告げ、僕はその場を立ち去った。
こうして未来の僕のお嫁さんに起こる過去の悲しい出来事を一つ阻止した。
あと二つ。僕は鹿ノ子さんの悲しい過去を『なかったこと』にする。
僕が過去に戻れるという不思議な力を手に入れられたのは、きっとそれをするためだ。