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まだ僕を知らない君と、二度目の初恋  作者: 鹿ノ倉いるか


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19/41

一つだけ守れたもの

 冬が始まる直前、十一月三十日。今日で恭也さんは二十二歳になる。

 二十六歳で私と結婚するはずだから、あと四年だ。恋人として付き合っているのも嬉しいけれど、結婚して夫婦として暮らすのはもっと素敵なんだろう。


 来年の今ごろ恭也さんは社会人一年目で、私は残り僅かの大学生活を送っている。学生でなくなった私たちはより一歩結婚に近付いていくのだろう。

 そんないささか先走りすぎた妄想をしつつ、隣に座る恭也さんの横顔を見詰めた。


「なに? そんなにじーっと見て」

「幸せだなぁって思って」

「また鹿ノ子さんの直球がきた」


 笑いながら恭也さんは私の手を握ってくれた。

 車窓は次第に人工物が減り、緑が増え始めてきた。私は恭也さんを連れて生まれ育った町へと向かっていた。


「どんなところなのかな、鹿ノ子さんの故郷って」

「なんにもないよ。本当にただの田舎」

「でも緊張するよ。鹿ノ子さんのお母さんに会うのは」


 眉尻を下げて戯けた顔をする恭也さんを見て、胸がぎゅっと締め付けられた。

 荷物棚には前日買って来てくれたという手土産の袋が乗せられている。


「ごめんなさい」

「なに、急に?」

「私の故郷に、もう母はいないんです」

「えっ……?」


 恭也さんはその言葉に寂滅的なことを想像したのか、悼みを顔に滲ませた。


「あ、母は存命です。今は神奈川の方で……再婚相手の方と一緒に住んでます」

「そう、なんだ」

「ごめんなさい。噓をついて……ただ私の生まれたところを恭也さんに見てもらいたかったんです」

「そっか。お母さんに会えないのは残念だけど、緊張が解けてホッとしたかも」


 優しい恭也さんは私の噓を咎めずに、そう言って笑い流してくれた。

 私の地元を見に来て欲しいとお願いした時、恭也さんは二つ返事で快諾してくれた。

 恭也さんがそれを『私の母への挨拶』と曲解してしまったことはすぐに気付いたけれど、訂正できなかった。

 私の親に挨拶をしてくれるつもりだというのが嬉しくて、言いそびれてしまった。


「じゃあ今度は神奈川の方にも行かないとね」


 あんまりにも私が落ち込むからか、恭也さんは無理に溌剌とそう言ってくれた。

 でもそれは追い討ちとなって私を苦しめることとなる。


「母とは、大学に入学してからほとんど会ってないんです」

「そうなの? 全然知らなかった」


 申し訳なくて、顔を上げることすら出来なかった。故郷に母がいないことを隠していた罪悪感ではない。

 せっかくの恭也さんが私の未来を変えてくれたのを台無しにしてしまったことへの罪悪感だ。


 恭也さんは過去に戻って家出しそうな中学二年生の私を諭してくれた。

 自暴自棄になりかけた私を助けてくれた。一人じゃないと支えてくれた。

 あれがなければ私は過った道に進んでいたかも知れないし、あのまま母を捨て、実家も出て行ってしまったかも知れない。


 恭也さんはそれを防ぎ、ちゃんと一人で生きていけるまで母と暮らすように私を導いてくれた。

 それなのに私は高校卒業と共に実家を出て、母との繋がりを絶った。

 家出をして行方知らずというわけではないが、それでも母を捨てたのには変わりない。

 脚の傷もそうだ。

 せっかく恭也さんに防いでもらったのに、結局私は同じように脚に傷を作ってしまった。


 結局私が恭也さんから守ってもらい、その後も守り通せたのは身体の純潔だけだった。

 変質者はおろか、恭也さん以外の男性には文字通り指一本触れさせていない。

 それが守れただけでも、喜ぶべきなのだろう。


「いつか……いつか恭也さんには母とも会ってもらいたいです」

「そうだね。楽しみだよ」


 きっと母と私の間にある溝に気付いてくれたのだろう。恭也さんはそれ以上そのことには言及せず、ただ握った手をぎゅうっと更に強く握ってくれた。


「もっと……」

「え?」


 私は口を恭也さんの耳許に寄せて言った。


「もっと痛いくらい手を握って下さい」


 なんでそんなことを言ったのか、私にも分からない。でもそうされたかった。

 もっと激しく恭也さんに求められたかった。


 少し驚いた顔をした後、恭也さんは私の手を痛いくらい強く握ってくれた。

 でもそれは数秒で、「鹿ノ子さんの指は細いから折れちゃいそうで怖いよ」と笑って手を離した。


「優しいんですね」


 本当はもっとずっと、痛いくらい握り締めて欲しかったくせに、恭也さんの優しさに感謝するようにそう囁いた。

 二人でいるときは楽しい。ずっと一緒にいたいと思う。

 でもその反面、一緒にいるのに時おりとても寂しくなることもある。


 恋愛をしているときは何もかもすべてがときめいて、輝いて見えるものだと思っていたが、実際はそうではなかった。

 不安で、怖くて、意味もない嫉妬に駆られることもある。

 こんなことを口に出したら、それこそ恭也さんに鬱陶しい女だと嫌われてしまうのだろう。 



 私の故郷に行くためには電車を乗り継がなくてはならない。

 乗り継ぎの駅はこの辺りでは少しだけ開けた街で、駅前には少し背の高いビルもある。

 都会を模倣しようと思って作ったけど途中で諦めて放置した、そんな印象を受ける中途半端で無個性な街だ。


「あのビル」


 駅から見える建物を指差す。都会では特に珍しくもないが、この辺りではかなり大きなショッピングモールだ。

 毎年末にここで誕生日とクリスマスが一緒になったプレゼントを買ってもらっていた。両親が離婚する、中学一年生の年末までは。


「あそこで毎年、年末になると買い物をしていたの」

「へえ。想い出の場所なんだ」

「そうです。とっても懐かしくて、大切な場所」


 毎年来ていたのは私が親にねだったからだ。

 ここに来ればまた恭也さんに会えるのではないか、そんな子供らしい浅知恵が今に思えば微笑ましい。


 乗り換え電車は二両編成のワンマン電車で、駅員のいない駅では降車ドアが一番前の一カ所しか開かず、運転手に切符を渡すというバスのようなシステムのローカル線だ。


 牧歌的な風景を楽しめるのも一時で、いつまでも続く山と畑の景色は山場のないフランス映画のようにすぐに退屈になる。

 私たちは景色など見ずに恭也さんの音楽について話をしていた。

 さすがに『僕の世界の住人の君』の再生回数の伸びは止まっていたけれど、その後にアップした曲もそれなりの伸びを見せていた。




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