消耗する愛と、絆が強まる愛
ブレイクするのに一番大切なことは、運だと思う。
それはミュージシャンでも役者でもコメディアンでも、何の世界でも同じだ。しかし運だけでも、成功は掴めない。
運良く注目されてもそのチャンスを活かし切れる実力がなければ、せっかく浮上しかけたところですぐに墜落してしまう。
恭也さんは回ってきた運を逃さないだけの実力があった。いきなり音楽事務所からスカウトとはならなかったけど、再生回数は一時のブームに留まらずにそれまでとは次元の違う伸びを見せ始めた。
一万回を超えてから二万三万と伸ばしていくのは早かった。一度勢いがつくと人気は足し算ではなく掛け算に変わるようだった。
『僕の世界の住人の君』の人気が衰える前に新作をアップし、それも人気を博す。
期待される声が大きくなるほど恭也さんの意欲も高まるようで、更に新曲をアップしては人気が出るという好循環が生まれていた。
ひとまず恭也さんはブレイクへの第一歩目を踏み出したことは間違いなかった。
九月末のキャンパス。広義が終わった後の行動に残り、私は『凶屋』『人気』という検索ワードを打ってエゴサーチをしていた。
「なに? また恭也さんの歌を聴いてるの?」
琴葉が呆れた顔をして私の隣に座った。
「ううん。今日は恭也さんの曲を聴いた人の感想を調べてるの」
「はぁ……あんたも好きだねぇ」
「もちろん。恭也さんのこと大好きだよ」
「はいはい。訊くんじゃなかったよ」
面倒くさそうな顔をして琴葉は机に突っ伏す。寝不足なのか彼氏と別れたのかよく分からないが、とにかく私の恋を応援する気分ではないことは間違いなさそうだった。
「ところで鹿ノ子。まさか恭也さんの家に入り浸ってないでしょうね?」
「してないよ、そんなこと」
「気を付けなさいよ。女は重すぎると嫌われるんだから、体重も、想いも」
否定しているのに念を押され、ちょっとムッとしてしまった。琴葉が心配してくれているのは分かる。けれど恋愛には色んなかたちがあることも知って欲しかった。
傷のことも話せて、ようやく結ばれてからは私の恭也さんへの気持ちはより加速してしまっていた。琴葉の目にはそれが行き過ぎに見えたらしい。
「あまり好きな気持ちを前面に押し出して恭也さんに纏わり付くな」という忠告をしてくれた。
琴葉曰く、男の人は一度関係を持つと冷めやすい人も多いらしい。そこまで極端じゃなくても、ほとんどの男性はあまり女性の方からぐいぐい来られると引いてしまう生き物だと私に説いてきた。
だからお泊まりデートなんてしてはいけないし、頻繁に世話を焼きに行くのも駄目。
「電話とかメッセージはどれくらいしてるわけ?」と訊かれたから答えたら、三分の一にした方がいいとまで言われた。
琴葉には実際の回数の半分を答えていたから、実質六分の一に減らさないといけない計算となる。
恋愛感情というのは消耗品で磨り減っていくものだから、上手にコントロールしていかないといけない。
それが琴葉の理論だ。
しかしそれは琴葉の思う、今まで経験してきた恋愛を元にしたアドバイスだ。私と恭也さんの恋に当て嵌まるとは限らない。
磨り減ってなくなってしまうのは『取り敢えずの恋』だからだ。
私と恭也さんは違う。愛し合うほどに絆が強まっていく本物の愛だ。
別に琴葉のこれまでの恋が悪いとか、安っぽいといいたいわけじゃない。
ただ琴葉はそういう『運命の人』と出逢えていないだけだ。
「あっ、まただ」
エゴサーチをしているとまた恭也さんの音楽について悪く言う人を発見してしまった。
琴葉は昼寝中の猫のように、面倒くさいけど興味はあるという様子でひょいと首を上げてスマホを覗いてきた。
「『チープな感じがする。昔はもっと攻めた曲を作っていたのに残念』……なるほどね」
「なるほどね、じゃないよ。失礼だよ、こんな感想」
「まあね……でも個人の感想だし、いちいち目くじら立てても仕方ないでしょ」
「そうだけど。でもわざわざ否定的なことを書かなくてもよくない?」
琴葉はこれ以上そのことについて話し合いをして言い合いをするのを避けたいのか、「色んな人がいるよね」と愛想笑いを浮かべた。
気持ちが収まらなかった私は一人で恭也さんのアパートへ向かった。
突然やって来た私に、恭也さんはちょっと驚いた顔をする。
「今ちょうど鹿ノ子さんのことを考えていた。なにしてるのかなぁって」
恭也さんの優しい笑顔と嬉しい言葉に触れ、感情が激しく揺さぶられた。こんな優しく素敵な恭也さんに対してネットで陰口を書き込む顔の見えない悪意に更なる怒りが募る。
私は色んな感情がぐちゃぐちゃに交ざってしまう。絵の具も感情も色んなものが交ざると黒くなるんだと知った。
「恭也さん……」
感極まって恭也さんの胸に飛び込むように顔を埋めた。
「え? どうしたの? 鹿ノ子さん?」
困った声で狼狽えながらも恭也さんは私の頭を撫でてくれた。
琴葉は頻回に逢っていると想いが磨り減るなんて言っていたけど、やっぱり噓だ。
こうして恭也さんは私を受け入れて、愛しんでくれている。
私が逢いたいと思ったときに、恭也さんも私のことを考えてくれていた。
運命的な愛は、その絆を確かめ合えば確かめ合うほど強くなっていくものだと思う。
「突然来てごめんなさい」
「ううん。嬉しいよ」
恭也さんは何も訊かず、コーヒーを淹れてくれた。インスタントではなく、近所の喫茶店で挽いた豆のコーヒーはその湯気からして香ばしくて奥深い。
おかしな様子の私を見ても落ち着くまで待ってくれる。そんな優しさも好きだった。
甘えるように寄り掛かると恭也さんの匂いがした。この匂いも好きだ。とても心が落ち着く。
未だに私は恭也さんの前だとまるで年端もいかない子供のようだ。
ただ寄り掛かり、玩具で遊ぶ仔猫のように大きな恭也さんの手を弄っていると、麻酔注射のようなキスをされた。
甘い毒で痺れて動けない私の身体の上を、恭也さんの大きな手が這い蠢く。
指先で求められると、私の身体はすぐにそれに応えようと反応してしまう。
「まだお昼ですよ……?」
「じゃあ夜まで待とうか?」
「それは……無理かも、です」
昼間に身体を一つに繫げると、ほんの少しだけ罪の味がした。




