年の瀬の喧騒
子供は想像力が豊かだと一般的には言われている。
しかし僕に言わせれば大人も負けず劣らず想像力が豊かだ。ただプラス方向か、マイナス方向かの違いがあるだけで。
子供はなんでもいい方に想像することができ、大人は勝手に悪いことばかり想像してしまう。
だからまだ子供の『僕の未来のお嫁さん』はこれから悪いことが起きるなんて想像もしていない。
逆に大人の僕は、既に間に合わなくて悲劇が起きてしまったのではないかと想像してしまい、不安で胸が潰れてしまいそうだった。
休日のショッピングモールは年末ということもあって買い物客でごった返していた。
「うわぁ……マジか……」
日時に間違いはないはずだが、この人混みの中から僕の未来のお嫁さんである岳籐鹿ノ子さんを探すのは至難の業だ。いや、この時代だと『かのこちゃん』と呼んだ方がいいのかもしれない。
なんといってもまだこの頃の鹿ノ子さんは七歳になったばかりなのだから。
(とにかく急いで探さなくちゃっ……)
人の数に圧倒されている場合ではなかった。
今この瞬間にも僕の未来のお嫁さんは人生の一大危機を迎えようとしている。せっかくタイムリープできたのに『間に合いませんでした』では意味がない。
見上げるほどに大きなクリスマスツリーが飾られた正面入口から入り、館内案内を目指す。
店内にはお馴染みのクリスマスソングが流れ、至る所に赤と緑のデコレーションがなされている。この付近は化粧品売場が近いらしく、暖房と人の熱気で温められた空気に化粧品の匂いが籠もり、鼻から呼吸をすると気分が悪くなりそうだった。
「おもちゃ売場は四階か」
鹿ノ子さんはそこにいる。約二十年後の本人から聞いていた。
行列のせいで動きが鈍いように感じるエスカレーターで四階へと向かう。
館内アナウンスでは先ほどから何度も迷子の案内放送が流れていた。一応『岳籐鹿ノ子ちゃん七歳』の名前が呼ばれないことを確認していたが、辺りが騒がしくてよく聞き取れない。
子供を叱る母親の声、何がおかしいのか大きな笑い声、「エスカレーターを下りたところで立ち止まらないで下さい」という係員の呼び掛け。雑音の荒波に大切なアナウンスは飲み込まれてしまっていた。
雑踏に揉まれながらなんとかおもちゃ売場にやって来た頃にはうっすらと汗までかいていた。普段の運動不足が祟ったようだ。
ここまでも充分騒々しかったが、この一角の騒ぎはその比ではなかった。
「うわぁ……」
走り回る子供や泣き喚く子供、喜んではしゃぐ子供。サンタクロースの存在を信じていようがいまいが、クリスマスは子供たちにとって特別なものなのだと改めて感じさせられる。
動物のお人形やプラスチック製のブロックなどに興味を示す鹿ノ子さんじゃない。
僕の狙いは奥の方にある誰も寄りつかない深海魚や危険生物のフィギュアコーナーだ。
子供の頃から鹿ノ子さんは個性的な趣味だと言っていた。
それにしてもちょこまかと動き回る子供の顔を一人づつ確認していると目が回りそうだった。羊飼いにでもなった気分になる。
大人になった鹿ノ子さんの顔なら見落とすはずがないから、そこまで注視する必要はない。しかしこの当時の鹿ノ子さんは七歳だ。たとえフィアンセであってもさすがに一目で分かる自信がなかった。
仕方なく一人づつ注意深く確認していく。
(どこだ……どこにいるっ……)
早くしなければ手遅れになってしまう。
気が焦り、手のひらは緊張で汗だくになっていた。
その時不意に耳鳴りがして、脳の奥が熱くなった。
「七歳の誕生日、おもちゃ売場で声を掛けられた変質者に男子トイレに連れ込まれてイタズラされたんだよね」
鹿ノ子さんのあっけらかんとした声が耳よりも更に奥の方で再生された。
もっと辛そうで悔しそうに言ってくれれば、僕もまだ気が楽だったかも知れない。
しかし二十六歳の鹿ノ子さんは、まるで自分の失敗談でも語るように苦笑いしながら僕にそう教えてくれた。
「鹿ノ子さん!」
なかなか見付からなくて苛立った僕は、大きな声で子供たちの群れに呼び掛けた。何事かと思った子どもたちは一斉に振り返ったが、その中に僕のお嫁さんとなるべき少女はいなかった。
(早く……早く見つけないと!)
売場の奥まで辿り着いたが鹿ノ子さんは見当たらなかった。
慌てて振り返り辺りを見回す。
擬人化した動物のドールハウス、有名なキャラクターのジグソーパズル、模型の電車が走るジオラマ、ポータブルゲーム機のソフト売場。
「くそ……どこにもいない……」
戦艦のプラモデルやラジコンなどのコーナーのその先に、少女と手を繋ぐ男を見つけた。
男の方は父親と呼ぶには若すぎる。
(あれかっ……)
僕は弾かれたようにそちらへ駈けた。ミニカーを並べた棚にぶつかり、ジグソーパズルの箱を落としながら、必死に駆け寄った。
「鹿ノ子さんっ!」
大きな声で呼びかけると、男とその男に手を繋がれた少女が振り返る。
色素が薄いから少しブラウンがかった瞳も、細くて長い首も、不思議そうに首を傾けるくせも、僕の知る鹿ノ子さんだった。
僕の未来のお嫁さんはまだ肩より短い髪を二つ括りに結い、あどけない顔立ちをしていた。
男は慌てて鹿ノ子さんから手を離す。
変質者野郎は、僕が想像していたよりずっと『普通』の容姿だった。中肉中背で目は一重。髪は少し短めで、服装はファストファッションのチラシモデルを思わせる、ありきたりなカジュアルさだ。
擦れ違っても目を惹かない、二秒後にはほくろの位置も思い出せない、そんなどこにでもいそうな、少し気の弱そうな男だった。
「おじさん誰?」
まだ僕を知らない鹿ノ子さんは不思議そうに首を傾げる。その一瞬の隙を衝いて男が逃げだした。
「おい待てっ!」
追い掛けたかったが鹿ノ子さんを一人にするわけにもいかない。大切なのは変質者ではなく、鹿ノ子さんだ。
一応警察に届けようかとも思ったが、既にあいつの顔の特徴は思い出せなかった。
鹿ノ子さんは不思議そうに僕の顔を見上げていた。
「大丈夫だった?」
視線の高さを合わせるために屈むとミニチュア版のような鹿ノ子さんはコクンと頷く。
「変なことされなかった?」
「変なこと?」
無垢な彼女は「んー?」と言いながらまた首を傾げた。
「トイレの場所を教えて欲しいって。教えたらアイス買ってくれるって。それからおもちゃも」
まるでせっかくのチャンス逃したのだから、あなたが代わりに買ってくれと言わんばかりの目つきで僕を真っ直ぐに見ていた。
そんな舌足らずの脅迫者が可愛くて頭を撫でた。
鹿ノ子さんは目を細めて擽ったそうに笑う。その癖もこの頃からあったんだと思うと胸が熱くなった。