⑥終幕
久々の出張で遠出した。プライベートでゴタゴタが続いて疲れきっていたので、仕事とはいえ遠出したのはいい気分転換になったようだ。仕事も早めに終わり、軽く飲んでから寝よう、と宿泊先の近くのバー入った。
「いらっしゃいませ」
まだ早い時間だったが、先客がいくらかいた。
手のあいていたらしい女性バーテンダーが相手をしてくれた。
「何になさいますか」
「ええと、ビールで」
髪を一つにまとめた彼女の顔が、記憶を刺激した。
「前にどこかでお会いしたことありますか」
「いえ」
即答されたが、答えるのが早すぎるように感じた。心なしか緊張しているようにも見える。
「すみません、ナンパとかじゃないんですけど」
「はい」
女子は視線をおよがせるが、彼女にとっては不幸なことに、もう一人いる眼鏡をかけた男のバーテンダーは、酔いの回ったらしい太りぎみの女性客の接客で忙しそうだった。ロマンスグレーの男性客も女性をなだめている。
「この前、不思議な出来事があったんですが、聞いてもらえませんか」
「なんでしょうか」
私は、妻の従姉妹の結婚式の話をした。
「というわけで、途中からすっかり記憶がなくなっておりまして。気がついたら式のおこなわれたホテルの一室で寝てました。料金は既に支払われていてそのままチェックアウトしてきたんですが」
「はあ」
他のバーテンダーや客の注意をひいてしまったようだが、私は話し続けた。
「家に帰ったらさらにびっくりで。妻がどこにもいなくて、荷物がすっかりなくなっていて、テーブルに弁護士の名刺が一枚置いてあるだけでした。電話もメールも通じなくて、ただ離婚したいの一点張りで、しかも私は暴言やヒステリーがひどいから話したくないとかで、あの日から弁護士としか話していないんですよ」
「はあ」
「思うにですね、あの結婚式自体、仕掛けだったんじゃないかと。私に引越準備を邪魔されたくなかった妻が、私を足止めしようとしたんじゃないかと。どう思います?」
「さあ」
「だってあの時いましたよね」
女性がこちらをにらみかえしてきた。
「私が意識を失う直前まで話していた人ですよね。ほら、あの時の、ああ」
私は辺りを見渡した。
「みんないるじゃないか。あんた、スタッフだ。あの、変なコーヒーを運んできた。それに、新郎上司に、親に、なんだよ、なんでいるんだ」
私は立ち上がったが、スタッフと新郎の上司に取り押さえられた。ハンカチを口に押し当てられ、また気が遠くなった。
「我ら名もなき劇団
どこにでも現れ
何者にでもなりうる
我ら名もなき
名もなき我ら」
そんな声が聞こえた気がした。