外伝 ルイタスとケイン
ヴィアとシアがほのぼのと語り合う一場面を外伝にしてみました。
「皇帝陛下の側近でいらっしゃるラダス卿と、ケイン様って似ていますよね」
ある晴れた日の昼下がり、義妹のシアからそう話を振られたヴィアは、「そう?」と柔らかく微笑んだ。
シアの言うケインとは、皇弟セルティスの側近であるケイン・リュセ・カルセウスの事だ。
カルセウス家の養女となったシアにとっては義理の兄に当たるが、これまでの関係上「お義兄様」とは言いにくいらしく、私的な場では未だにケインの事を名前で呼んでいる。
「そうね。貴女の言う通り、あの二人にはいろいろな共通点があるわね」
二人はどちらも人当たりが良く、他人に警戒心を抱かせない。多角的な視野と何でも器用にこなす要領の良さを持ち合わせ、何より貴族としてのバランス力に優れていた。
そういった面では二人は確かに同類だと言って良かったが、本質的な部分は正反対ではないかしらと、ヴィアは密かに心の中で呟いた。
名門カルセウス家の嫡男であるケインは、両親からの愛情をたっぷりと受けて、のびやかに育ってきた御曹司だ。
皇后になって間もなく、セルティスから友人としてケインを紹介されたが、眼差しが真っ直ぐで、性格の歪みというものが全く感じられなかった。
おそらくはその家庭環境がケインをそうさせたのだろう。
父であるカルセウス卿は家族の事を心から大事にしていて、妻であるアンナ夫人は良妻賢母という言葉がぴったりと当てはまるような女性だった。
ヴィアも何度か個人的にアンナ夫人を皇后宮に招いているが、ヴィアの目から見てもアンナ夫人は大層好ましい女性だ。
穏やかな性格で気配りに長け、子ども達の事も心から愛していた。
そのアンナ夫人から語られるケインの子ども時代の武勇伝はとんでもなく面白かった。
ごく私的な茶話会であったので、ヴィアは人目を憚る事なく笑い転げたものだが、アンナ夫人がこうした身内のエピソードを明らかにするのにはそれなりの理由があるのだという事を、ヴィアはきちんと理解していた。
当時ケインはセルティスと騎士団の同室であったため、やんちゃな気性が殿下に悪影響を与えはしないかと、アンナ夫人は心底気を揉んでいたのだ。
アンナ夫人が案じていた通り、セルティスに対するケインの影響力は半端なかった。
乾いた土が水を吸うようにセルティスはみるみるケイン色に染まっていき、そして存分に準騎士生活を満喫した。
消灯が過ぎた後に他の部屋の仲間を呼び、酒盛りをするくらいは序の口だ。
縄を使って木から木へ移る事ができるかを実証しようとして池に落っこちて大風邪を引いたり(冬にやるなとヴィアは思った)、度胸試しをしようと一個だけ下剤の入った飲み物を用意して皆で飲み合ったり(セルティスが見事に引き当て、勇者だと後で称えられたそうだ。それのどこが勇者なのだろうかとヴィアは首を捻った)、ヴィアの想像もつかぬ事をいろいろとやらかした。
ヴィアはセルティスがここまでやんちゃな子だとは思っていなかったので、少しばかりびっくりした。でもまあ、その様子がとても楽しそうだったので、そのまま微笑ましく見守る事にした。
ケインのお陰で準騎士の日々を謳歌したセルティスは、軟禁されていた幼少時の鬱憤をすべて昇華させる事ができたようだ。
正騎士の叙任を受ける頃にはすっかり落ち着いて、今は品行方正な皇弟殿下としてその役割を過不足なく果たしている。
国にとっても、大変喜ばしい事だった。
一方のルイタス・ジリオ・ラダスは、アレクの側近だ。
ケインと同じく財ある有力貴族の家に生まれ、容姿にも文武の才にも恵まれた。
何でもそつなくこなし、およそ苦手という分野が見当たらない。社交性にも優れ、優美で洗練された振舞いの中に適度な道化を演じて、人に警戒させる事なく望む情報を様々な相手から引き出した。
国内外に豊富な人脈を持つルイタスは、皇帝であるアレクにとってまさになくてはならない存在だ。皇后であるヴィアもまた、このルイタスを大いに頼みにしていた。
朗らかで人当たりが良く、いつも大勢の人間に囲まれている。
そんな印象を与えるルイタスだったが、そのうちヴィアは彼が見かけ通りの、ただ物腰が柔らかいだけの洗練された貴公子だけではないと気が付いた。
考えてみれば当然の事だった。ただ優しく誠実なだけでは貴族として生きていけないし、皇帝の側近であれば尚更、他者を切り捨てる酷薄さも必要となる。
ただルイタスにはそれ以上に、何か別の鬱屈が付き纏っているようにヴィアには感じられた。
はっきりとそれを感じたのは、ルイタスが最初の妻を事故で喪った時だった。
当時のルイタスは妻の死を受け止めきれずに呆然としていたが、その眼差しには悲しみよりも困惑が勝っていて、その途方に暮れたような表情にヴィアは初めて危うさを感じた。
夫婦の関係はそれなりに良かったと耳にしていたが、きっと愛情を育むまでには至っていなかったのだろう。
そもそも家族の情愛というものを理解できていたかどうかも怪しかった。
ルイタスが親から与えられてきた愛情は、ヴィアの目から見てもひどく薄っぺらいものだった。
彼らはルイタスを大切にしているが、その根底には打算が見える。
もしルイタスが期待を裏切れば――、例えば重い病にかかったり、皇帝の信頼を損なったりする事があれば、二人の愛情は瞬く間に薄らぐだろう。
現に、アンシェーゼ皇家の流れを引く自慢の嫁が不慮の事故で亡くなった時、彼らはあからさまに失望していた。
尊い血を引く孫がいずれ生まれる筈だったのにと残念がり、葬儀の翌日には、別のいい縁を繋ぐようにと、再婚を息子に仄めかしていたと聞く。
それを知った時、ヴィアはこのまま放ってはおけないと思った。
家長の命令は絶対で、親が用意する結婚をルイタスは拒む事はできない。
勿論、何事にもそつのないルイタスであれば、優しい夫君を演じる事くらい朝飯前だろう。
けれどこのまま親の言いなりで結婚させてしまっては、ルイタスは誰かを心から愛するという事を知らぬまま、心に虚ろさを抱えて日々を送るようになる気がした。
だからヴィアはアレクに頼み、ルイタスの再婚話をしばらく見合わせてもらう事にしたのだ。
ただ、具体的な縁組を用意しているというならともかく、皇帝の気まぐれで臣下の結婚を遅らせるなど、本来ならばあり得ない話だ。
アレクから話を受けたラダス卿夫妻も最初は渋っていたが、皇帝直々の言葉という事もあり、最終的に三年待ってくれる事になった。
一年の喪が明けると、ヴィアは様々な出会いの場をルイタスのために用意した。
といっても、相応の家格の令嬢はすでに婚約が決まっている者が多く、候補者自体が限られる。
だからせっせと国外に行かせ、幅広い出会いを期待してみたのだが、ルイタスは国のための人脈を順調に繋ぐばかりで、色恋の話が一切出て来なかった。
ルイタスの心を掴むような奇特な女性はこの世にいないのだろうか。
ヴィアが諦めかけた時、ルイタスはシーズ国で一人の女性と出会いを果たした。
それが、シーズで寡婦となり、不幸な生活を送っていたアレクの異母妹セディアだった。
信仰に篤く、誠実で愛情に溢れた女性で、まさに申し分ない。
二人が互いに惹かれ合っている事を確認して、ヴィアは直ぐに話を進める事にした。
最愛の女性を妻に迎えたルイタスは、翌年には継嗣となる嫡男を得た。
父親となった事で人としての幅も広がったのか、以前に比べてルイタスの表情も柔らかい。
以前は感情を取り繕う事があまりに上手すぎて、笑みを見る度に案じられていたが、もうその心配も要らないだろう。
そうした経緯を思い出しながら、ヴィアは改めてルイタスとケインを比べてみた。
ケインは心に歪みを持たず、根っから朗らかな性格をしているが、ルイタスは違う。
ではケインの方がルイタスより優れているのかと言うと、そうとは言い切れなかった。
ケインは優秀で、これといった瑕疵を持たぬ貴公子だが、国を背負う覚悟までは持っていない。
セルティスが皇帝となる気概を持っていないように、ケインもまた皇弟の側近にしかなり得ぬのだ。
そしてそれは、とても重要な事だとヴィアは感じている。
自分の主こそが皇帝にふさわしいと思うような貴族が皇弟の傍にいれば、いずれ国に災いをもたらすだろう。
そう言った意味では、野望を持たない事こそがケインの一番の美点であるかもしれなかった。
そんな事を思いながら、ヴィアは柔らかな目で傍らに座すシアを優しく見つめた。
この子もまた、害意や野心をいったものを一切持たぬ子だった。
皇家に忠誠を誓い、皇弟としてのセルティスを支える事だけを一途に望んでいる。
だからこそ自分が守ってやらればならないと、ヴィアは心に呟いた。
「どうかなさいまして?」
無言となったヴィアを案じるようにシアが言葉を掛けてくるので、「何でもないわ」とヴィアは微笑んだ。
「ラダス卿は申し分ない縁を繋がれたと思っただけ。
そう言った意味ではセルティスも果報者ね。こんなに素敵な女性を妻に迎え入れる事ができたのだから」
そう言ってシアの髪をそっと指で梳いてやると、シアは嬉しそうに顔を綻ばせ、赤くなった頬をごまかすように小さく俯いた。
「活動報告」でも紹介させていただきましたが、明日、「アンシェーゼ皇家物語4 禁じられた恋の果てに」が発売されます。どうぞよろしくお願い致します。