外伝 お嫁さん探し 2
「そう言えば、レオンもやたら狭い場所が好きだったな」
思わずアモンが頬を緩めると、リレイシアが楽しそうに聞いてきた。
「隙間に挟まって出られなくなった事はありませんでしたか?」
「ああ、一度あった。ソファーの隙間に入り込んで出られなくなり、哀れっぽく鳴いていた」
どうしてわざわざ出られなくなるようなところに入り込むんだと呆れた事をよく覚えている。
その後は猫談議に花が咲き、アモンと母とリレイシアの三人で大いに盛り上がった。
どうやらリレイシアは、リリーの尻尾の動きで気持ちが何となくわかるらしい。
リリーの気がのらない時に無理やり構っても嫌がるだけなので、遊んで欲しがっている時に思い切り甘やかしているとリレイシアが言うと、「わかるわ」とアモンの母が笑った。
「気まぐれでマイペースで時々甘えたがりで、こちらを振り回してくるけど可愛いのよね」
「そう言えば、レオンが前足の方に向かって尻尾をくるっと巻き付けている時があるんだが、あれはどういう気持ちなんだろう」
アモンが疑問を口にすれば、「その時は余り構わない方がいいと思いますわ」とリレイシアが微笑んだ。
「一人の時間を楽しんでいるみたいなので、わたくしは邪魔しないようにしています」
その後もお茶を飲みながら楽しく歓談し、帰る間際にレオンを呼んで二匹を引き合わせてみた。
二匹は互いに警戒していたが、レオンがふんふんと匂いを嗅いだ後にちょっとずつ近付いていき、一度だけ体をこすり合わせた。
それ以上仲良くする事はなかったが、どうやら初顔合わせは成功のようだ。
その後も、アモンのお休みに合わせてリレイシアはリリーと一緒にアントーレ家を訪ねてくるようになり、二匹はぼつぼつと距離を縮めている。
アモンの母も安堵したのか、三回目以降はリレイシアとリリーの相手をアモンだけに任せてくるようになった。
猫好きのアモンにとっては至福の時間である。
勿論二人きりではなく、部屋の隅には必ずボルガ家の侍女が控えていた。猫がいるとはいえ、未婚のリレイシアを男性と二人きりにさせる訳にはいかないからだ。
じゃれ合う二匹を見ながらリレイシアと過ごす時間は、アモンにとってひどく心地よかった。
互いの事を少しずつ話すようになり、時々擦り寄ってくる猫達を可愛がり、会話が途絶えてもそれが気まずいとは感じなかった。
いつの間にか、リリーよりもリレイシアが来る事の方が楽しみになり、アモンはある日勇気を出して、リレイシアを皇都ミダスのサロンに誘ってみる事にした。
「実は一度も行った事がないんだ」
正直にそう告白すると、リレイシアは「そうなのですね」と微笑んだ。
「わたくしは友人同士で何度か訪れましたけれど、そう言えば男性の姿はそれほど多くありませんわ。
サロンはお喋りやデザートを楽しむところなので、どうしてもそうなるのでしょう」
「貴女も甘いものが好きなのか?」
アモンがそう尋ねると、
「はい。でも、甘すぎるものは却って苦手ですの。ですから注文する時は、なるべく甘さが控えめのものを選んでいるんです。あと、フルーツコンポートはどれも好きですわ」
「砂糖水で煮たやつか。私もあのデザートは好きだな。果実の食感や風味が残っているから、辛党の私でも美味しく食べられる」
「では、ティエラのサロンに行ってみませんか。あそこはフルーツに拘っていますから、きっとアモン様のお口にも合うと思います」
そうして、ひとしきりお互いの好みについて語り合った後、アモンはずっと気にかかっていた事をリレイシアに伝える事にした。
「初めて会った時、リリーに夢中で貴方を蔑ろにするような態度をとってしまった。本当に申し訳ない」
アモンが頭を下げれば、いいえ……とリレイシアは笑った。
「それだけ猫がお好きなのでしょう? 気にしておりませんわ。
それに……、あの、気分を悪くされないで下さいね。あの時、わたくしは男の方を初めて可愛らしいと思いましたの。アモン様は令嬢の方々に大層人気があって、手の届かない遠いお方だと思っておりましたけれど、あの時わたくしはアモン様を身近に感じる事ができて、本当はとても嬉しかったのです」
恥じらうように頬を染めるリレイシアを見て、アモンは心の中に温かいものが広がっていくのを感じた。
そして、リレイシアの優しさに甘え、態度を曖昧にしたまま女性をサロンデートに誘った己の軽率さを改めて恥じ入った。
二人でサロンを訪れれば、口さがない貴族らの間で噂になる事はわかりきっている。
彼女を大事に思うならば、アモンにはサロンに誘うよりも先にまず想いを伝えるべきだったのだ。
「リレイシア」
アモンは自分を落ち着かせるように大きく息を吐き、真っ直ぐにリレイシアに向き直った。
語調が変わった事に気付いたのか、リレイシアがはっとしたように居住まいを正す。
「私は貴女の事を心から大事に思っている。
私は堅物で、面白みのない人間だが、貴方の事は一生大切にすると胸を張って言える。
どうかこの気持ちを受け入れてもらえないか」
唐突な求婚にリレイシアは呆然とアモンの方を見つめた。
やがてその瞳が僅かに潤み、喘ぐように喉を震わせたリレイシアが返事をしようと口を開きかけた時、部屋の隅から駆けてきたリリーがリレイシアの膝に乗っかってきて、アモンに向かって「なおん」と得意そうに大きく鳴いた。
「まあ、リリー」
リレイシアは目尻に滲む涙を指の先でそっと拭った。その口元が笑んでいる。
「わたくしより先に返事するなんて、困った子ね」
そしてリレイシアはアモンを真っすぐに見上げ、「はい」としっかりとした声で答えた。
「アモン様。ずっとお慕いしておりました。どうか幾久しくお傍に置いて下さいませ」
「リレイシア……」
二人はいいムードで見つめ合ったが、生憎リレイシアの膝の上には、まだリリーが乗っかっていた。
自分をそっちのけで何やら盛り上がっている二人を邪魔するようにリリーはいきなりふわあっと大欠伸をし、呆気にとられた人間を横目に悠々と毛づくろいをし始めた。
情緒も余韻もあったものではない。
やがて気が済んだリリーはレオンの方へと駆けていき、残された二人はややぎこちなく互いを見やった。
「あー……、レオンとリリーの仲も順調だな。あの子達の子どもが生まれるのが楽しみだ」
気まずさをごまかそうと、アモンは果敢に話題転換を試みたが、すぐに話に乗ってくれると思っていたリレイシアは何故か押し黙ったままだ。
困惑してリレイシアを見下ろすと、リレイシアもまた、どう答えていいかわからないと言った顔でアモンを見つめていた。
「あの、アモン様。リリーはオスですけれど……」
「は?」
アモンはぶったまげた。
「し、しかし、母上は確かレオンの結婚相手を見つけると言っていて……」
「そうなのですか? 変ですわね。リリーがオスである事は、おば様はご存じであった筈なのですけど……」
首を傾げるリレイシアの傍で、アモンは母が言った言葉を改めて頭の中で反芻した。
『今度、お嫁さん候補を招こうと思うの。レオンとの相性を貴方も見て頂戴』
アモンの背中をつーっと汗が流れていった。
お嫁さん候補の主語はレオンではなく、もしかして私の事だったのか……?
その晩、母の居室を訪れたアモンに、母はにっこりと微笑んだ。
「リレイシアをサロンに誘ったそうですね。気に入って良かった事」
満足そうな口ぶりから察するに、母は最初からアモンの結婚相手としてリレイシアを紹介したという事なのだろう。
気心の知れた一族筋の娘で、武に生きるアントーレ家の役割もきちんと心得ている。
同じ猫愛好家として親しく交わるうちにこの娘ならばアントーレの嫁にふさわしいと母が判じ、アモンと相性を確かめるために家に呼んで二人の様子を見ていたようだ。
結局は母の掌でいいように転がされていたという訳か……と脱力する息子をちらりと見やり、アモンの母はふと思い出したように口を開いた。
「リレイシアは根っからの猫好きですけれど、わたくしは本当は猫より犬の方が好きだったのですよ」
「猫より犬……? け、けれど母上は仔猫を連れてアントーレ家に嫁いできたと聞いておりますが……」
戸惑いつつもそう言葉を返せば、母親は軽く肩を竦めた。
「アントーレの男達は、揃いも揃って可愛いもの好きなのです。
けれどあんな大きな図体と厳つい顔をしてにゃんこが好きとは死んでも言えず、お願いだから猫を連れてお嫁に来てくれないかと、婚約時代に貴方のお父様から頼まれましたの。
妻を隠れ蓑に、あの人はずっと代々の猫を夢中で可愛がっておりますよ」
「……」
思いもかけぬ形で、男の中の男と思っていた父の秘密を知ってしまったアモンだった。
お読み下さってありがとうございました。また、活動報告へのコメントや感想をありがとうございます。色恋とは無縁そうに見えるアモンですが、きちんと恋をして、愛する女性を妻に迎えました。
本日、環先生による「仮初め寵妃のプライド」の一巻が発売されました。よろしくお願い致します。