外伝 お嫁さん探し 1
以前、アレクの側近のお話が読みたいと言って下さった方がいましたので、アモンの短編を書いてみました。二話の短い物語です。
「そろそろレオンにお嫁さんを探そうと思っているの」
騎士団内の所用を済ませ、母の許に顔を出したアモン・アントーレは、思いもかけない母の言葉に驚いて顔を上げた。
「レオンに嫁……ですか」
アモンに名前を呼ばれたと思ったのか、大きな掌に顔をこすりつけていた一匹の猫が甘えるようになおんと鳴く。
その愛らしさにアモンは厳つい顔をでれっと崩したが、聞いていますかと言いたげな母の視線に慌てて顔を引き締めた。
レオンとは、アモンが今、愛でている母の飼い猫だ。頭や背中、尻尾などが黒く、腹側は真っ白なブチ猫で、性格はマイペースで甘えん坊。濡れたような黒い瞳をした、一歳になったばかりのオス猫である。
悶えるように可愛いのが、レオンの肉球だ。ピンクと黒の斑模様をしていて、初めて見た時、余りの愛らしさにアモンは腰砕けとなった。
ここら辺で何となく気付いたかもしれないが、武人らしい鋭い目つきとアントーレ家特有の鷲鼻をした、いかにも強面のアモンは、実は大の可愛いもの好きである。
長身で鍛え上げられた体はアントーレの団員達がまさに理想とするもので、アモン副官の隣には獰猛な猟犬がよく似合うと皆から思われていたが、そんな事はない。
鼻先が尖り、胸から腰にかけてきゅっと引き締まった俊敏そうなハウンドなんかより、愛らしく鳴いて甘えてくる円らな瞳の猫ちゃんがアモンは大好きだった。
だからこそ、アモンは理由を作っては母親のところに顔を出している。
輿入れの時に仔猫を伴って嫁いできた母は猫を大層可愛がっており、母の傍から猫が途切れた事はない。レオンは確か四代目の猫で、アントーレ家の三兄弟は代々の猫と一緒に大きくなったと言っても過言ではなかった。
勿論、アモンら三兄弟は自分らのこの性癖を必死で隠している。屈強な体躯を持つ、威風に溢れたアントーレの男が実はかわいい猫ちゃんが大好きだなんて、死んでも人に知られたくないからだ。
母が上手い具合に席を外してくれたので、アモンはここぞとばかりにレオンを構いまくる事にした。
ふわふわの毛に手を伸ばし、もふもふとした極上の感触をここぞとばかりに堪能する。
「お前も嫁選びをさせられるんだ。お互い、大変だよな……」
思わずそう呟くのは、つい先日、父から「お前もそろそろ身を固めるように」と言われたからだ。
「結婚か……」
アモンは今年で二十五となる。皇帝が代替わりし、政権の足場が不安定であった時は己の結婚どころではなかったが、アレク帝の治世も三年が過ぎて国もようやく落ち着いてきた。
そろそろお前も身を固めるようにという父の言葉はごく当然のもので、アモン自身もそれに従うつもりでいたが、内心気は進まなかった。
何故ならアモンは女性が苦手であったからだ。
アンシェーゼで十本の指に入ると言われる名門の出であるアモンは、社交界ではそこそこモテていた。
舞踏会などに出席すればアントーレと縁を繋ぎたい貴族らがわっと周りを取り囲み、ダンスの相手に事欠いた事もない。
けれど、いざ女性と二人きりになってしまうとどうにも会話が弾まなかった。
アモンには特段の趣味はないし、流行りの歌劇場に足を運んだ事もない。
芸術分野の一般教養は身に着けているから話を合わせる事まではできるが、興味がないために話していてもちっとも楽しくなかった。
これではいけないと自分でも焦っているところに、追い打ちをかけるような出来事があった。
ある日アモンが庭園で休んでいたら、数人の令嬢らがアモンの事を噂していたのだ。
令嬢らはアモンの事を面白みのない男だと評し、もし結婚すれば、結婚生活は会話の少ない退屈なものになるに違いないと笑っていたのだ。
彼女らとは会話が上滑りするとアモン自身も感じていたが、いかにもお慕いしていますと言いたげに目を潤ませて近付いてきた令嬢らが、内心はそんな風に思っていたのだと知り、アモンは軽い女性不信になった。
そんな女性と人生を共にすると考えただけで未来が灰色に見えてくるし、それ以前に、こんな自分と話が合うような女性がこの世にいるのだろうかと思うにつけて気が沈み、アモンは甘えてくるレオンの喉元を撫でてやりながら、はあっと溜息をついた。
「まあ、なるようにしかならないか」
気を取り直したアモンは、大きな両手で大事そうにレオンを抱き上げる。
体を安定させるように胸元に密着させればレオンは甘えるようになおんと鳴き、アモンは思わず瞳を細めた。
母曰く、すでにレオンのお嫁さん候補は見つけているのだそうだ。
近い内に、母が親しくしている猫愛好家の貴族の一人がアントーレ家を訪れる予定だとも聞いている。
そしてその場にはアモンも同席する予定になっていた。レオンとの相性を見て欲しいと母から頼まれたからだ。
どんな猫なのだろうと、アモンは今からその日が楽しみでならなかった。
レオンと同じ白黒のブチ猫も愛らしいが、先日街中で見かけた三毛猫も賢そうで悪くない。
そう言えば、叔母上の家にいたショートヘアのブラウンタビーもやんちゃで可愛かったなとにまにましていると、構ってもらえなくなったレオンが不満そうに尻尾でアモンを叩き、さっさと離れていった。
母から話があって数日後、一人の令嬢がアントーレの城塞を訪れた。
令嬢の後ろには、籐製の籠を大事そうに抱えた侍女が従っており、蓋のついたその籠の横部分には小さな穴が開いている。
時折その穴から猫が顔を出し、みゅうみゅうと愛らしい声を響かせて、回廊を行き交う侍女達の視線を集めていた。
今日来る猫は少し警戒心が強い子らしく、いきなりレオンに会わせるのではなく、まず場所に慣れさせたいと母は言っていた。部屋の中で少し遊ばせて落ち着いたところで、レオンと引き合わせる段取りになっているようだ。
妄想を色々と膨らませながら客間に向かうと、すでに猫と飼い主は到着していた。
ちょうど部屋に通されたばかりのようで、お目当ての猫ちゃんはまだ移動用の籠の中だ。
「アモン。こちらはボルガ家のリレイシア嬢よ。小さい頃に会った事がある筈だけど、覚えているかしら」
部屋に入ったアモンに母がにこやかに話しかけてきたが、生憎アモンは母の言葉など聞いちゃいなかった。
何故ならちょうどそのタイミングで、籠の穴から真っ白な猫が頭を覗かせたからだ。
雪のように真っ白なその子は甘えるようにみゅうと鳴き、呆けたように立ち尽くす息子に気付いたアントーレ夫人は、すさかず鋭い肘打ちを息子の脇腹にお見舞いした。
平素は優美な貴婦人として名高い夫人だが、美しく優しげな外見に反して性格は豪胆である。
息子が礼を失した振舞いをしたとあらば渾身の一撃を見舞う事もやぶさかではなく、思いっきり息子を小突いてやったのだが、平素から体を鍛えている息子の方は女性からの肘打ちなど痛くも痒くもなかった。
どちらかといえば攻撃をした夫人の方がダメージを受け、痛そうに肘をさすっていた。
とは言え、母に小突かれた事でアモンもようやく自分の非礼に気付き、慌てて飼い主の方に目を向けた。
視線を向けられた令嬢ははにかむように小さく微笑んだ。
年は十七、八といったところだろうか。
女性にしてはやや背が高く、均整の取れたすらりとした体つきをしていた。
顔立ちも整っており、理知的な黒い瞳と、顔を縁取る柔らかなウエーブの褐色の髪を確認したところで、アモンはようやく彼女が一族筋にあたる女性だと思い出した。
ボルガ家と言えば、確かひいおじい様の妹君が嫁がれた家だ。
女性が手を差し出してくれたので、アモンはその手を取って甲にそっと口づけた。
「アモン・アントーレです。お見知りおきを」
「リレイシア・ボルガと申します」
簡単に名乗った後、リレイシアはすぐに籠の蓋を開けて、中から小さな白猫を抱き上げた。さっきから猫が気になって堪らない様子のアモンに気付いていたからだろう。
「こちらがリリーですわ」
抱き上げられた白猫の余りの愛らしさにアモンは腰砕けとなった。
母上の飼っているレオンも可愛いが、真っ白な猫ちゃんの可愛らしさは言葉では言い表せない。
「七か月の子ですの。繊細な子で、人や他の猫に慣れるまで少し時間がかかるかもしれませんが、よろしくお願い致します」
リリーの鼻先と耳の内側は薄いピンク色で、他は全てふわふわとした白い毛で覆われていた。
瞳は神秘的なブルーをしていて、ちょっと警戒するようにアモンの方を見つめている。
ああ、ここに猫じゃらしを持って来ていれば……!
アモンは自分の迂闊さを心から悔やんだ。
自分はレオンの結婚相手を見定めるためにここ呼ばれたのだ。ならば、猫じゃらしを持ってきたとしてもおかしくはなかったのに。
アモンはそっとリリーに手を伸ばしてみたが、リリーは怯えたように毛を逆立てて小さく唸ってきた。
やはり初めて会ったばかりのアモンが怖いようだ。
「リリー、大丈夫よ」
怖がるリリーを優しく宥めた後、リレイシアは「申し訳ありません」とアモンに頭を下げた。
「すこし警戒心が強い子なんです。場所や人に慣れるまで、少し待っていただけますか?」
リリーを部屋に放してやると、リリーはソファーと家具の狭い隙間を見つけてそこに入り込んだ。どうやら狭い場所が落ち着くようだ。