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側妃になる前、お忍びに出掛けます 2

 適当なところで馬車を降りたヴィアは、早速両替商の一つを界隈の一角に見つける。

「この場所での待ち合わせでよろしいでしょうか?」 

 声を弾ませて離れていこうとするヴィアの腕を、アレクは慌てて掴む。

「お前一人で出歩く気か?」

「いえ、一応エベックを連れて行きますけれど」


 当のエベックはと言えば、下級騎士が身に着けそうな自分の出で立ちに、慣れぬ様子で服を触っていた。


 ちなみにエベックの家は、アンシェーゼの中でも上位となる名のある貴族だ。嫡男でないため、アントーレ騎士団に残っているが、育ちも血筋もヴィアよりはよほどいい。

 もちろん身分を隠して下町を歩くなど初めてで、落ち着かない様子で辺りを見渡していた。


「面倒事に巻き込まれると困るから、私の傍を離れるな」

 ヴィアは下町を自由に歩けないことにがっかりはしたが、こうして連れ出してもらえるだけでもありがたいので、アレクの言に素直に従う。

 仕方なく隠しから翡翠のネックレスを取り出し、これをお金に換えてきてとエベックに頼むと、エベックは思わぬ無理難題に悲痛な顔をした。

「自分が、ですか?」


 質草を兼ねた両替商を訪れるなど、育ちの良いエベックには初めてのことだ。

 手の中の翡翠と上官であるアモンの顔を交互に見やり、頼みの上官に、行けと顎をしゃくられたエベックは、すごすごと両替商へと向かった。心なしか、広い背中が丸まっている。


 興味深そうに後を付いて行ったのは、それを許可したアモン自身だ。有事が起こった時、アントーレの騎士がどれだけ市井で役に立つか見てみたかったのだろう。

 案の定、換金などしたこともないエベックは店主に足元を見られ、瞬く間に安く買い叩かれる。

 さすがにその値段は詐欺だろうと、ヴィアは思わずエベックの傍に駆け寄った。


「値段を一桁間違っていない?」

 庇おうとするアモンの手をそっと押しとどめ、ヴィアはぞんざいに店主に笑いかける。

「何だ、お嬢ちゃん、文句でもあるのか?」


 クレームをつけてきた相手がまだ少女ともいえる年齢であるのを見取った店主は、悪びれずにすごんできた。

 折角ぼろもうけをするところだったのだ。邪魔されて、嬉しい筈がない。


「四十カペーなんて、この店は石を見る目がないの?

 この翡翠なら、五百は下らないはずよ」

 表通りの両替商でも、五百五十~五百六十はいけるだろうと、ヴィアは素早く計算する。

 四人家族がゆうにひと月暮らせる額だ。


「お嬢ちゃんなら、いくらをつける?」

「五百八十」

「馬鹿言うな。せいぜい五百三十だろう」

「五百六十」

「いや、五百四十だ」

 用心深く店主が言う。

「傷一つない逸品よ。箱を作って売り出せば、六百でも買い手がつくわ」


 何と言っても、皇帝が側妃に贈った品物だ。本来なら、箱も鑑定書もあるのだが、そんな足がつきそうなものを持ってくる訳にはいかない。

「五百五十だ。それ以上は出せない」

 妥当な額だ。ヴィアはすぐに手を打った。

「十分よ、いただくわ」


 渡された金子は高額なので、そのままエベックに持たせた。

 皇帝の直轄地である首都ミダスとはいえ、すりや強盗はいくらでもいる。

 因みにヴィア一人で来る時は、こんな裏道の店は選ばない。どんな揉め事に巻き込まれるかわからないからだ。


「いつもこんな事をやっているのか?」

 呆れたように小声で聞いてくるアレクに、ヴィアは楽しそうに頷く。

「貴婦人たちが目を見張るような高価な装飾品は、かえって困るのですわ。わたくしには捌きにくくて。

 だから母も、自分の主にものをねだる時は、なるべく安価で小ぶりなものを頂いていましたし」


 誰に話を聞かれるかわからないので、皇帝と言う言葉は使わない。

「そう言えば、そんなところが慎み深いと主には好意的に解釈されていましたけれど、まあ、本当の事は言えませんものね」


 聞けば聞くほど、模範的寵妃であったツィティー妃の偶像が壊れていくようだ。アレクはがっくりと肩を落とした。

「まあ、いい。あまり傍を離れるなよ」

 

 ヴィアに釘を刺して、アレクはグルークらと下町を歩いて行く。

 店主らに話しかけるのは、下町に一番馴染みが深いグルークだ。

 治安状況や衛生面、物の価格に変化はないかなどと、上手に店主らの口をほぐしていく。


 一方、大人しく後ろをついて歩いていたヴィアは、カピタと呼ばれる庶民の食べ物を見つけて目を輝かせる。

「エベック、あの食べ物を買って来て下さらない?イチゴのカピタがいただきたいわ」


 カピタとは、アーモンドを潰したものを生地に練り込んで、中に果物の餡を包んで焼き上げたお菓子だ。

 そのまま食べられるよう、葉で巻いてある。

「毒見も済んでいないものを食べられるおつもりですか?」


 下町に慣れていないエベック一人に護衛を任せるのは躊躇われ、後をついてきたアモンは、皇女が市井の食べ物を平気で口に入れようとしているのを見て、思わず声を掛ける。


 基本的に、殿下を連れて市井に下りる時は、持参した水嚢の水しか口にしない。万が一のことがあったら、困るからだ。


 だが、市井の食べ物に慣れているヴィアには、アモンのその微妙な牽制が理解できない。

 ならば、と、ヴィアは買って来てもらったばかりのそれを半分にちぎり、エベックに差し出した。

「食べてみて?」

「自分が、ですか?」

 さっきも聞いたセリフねと、ヴィアは思う。

「毒見だそうよ。いいから食べて」

 困惑して押し黙る上官を横目で見ながら、エベックは命じられるままにカピタを頬張った。

 悪くない味だとゆっくり味わいながら嚥下すると、皇女はにっこりとアモンに言った。

「何ともないようね」


 わかりきっている事だが、必要な手順だと言われるなら仕方ない。

 ヴィアはわくわくと更に包みを開き、楽しみにしていたカピタを小さな口で一口齧った。


 アモンは止めるタイミングを失い、困り切って傍に突っ立っていた。

 エベック以上に寛いで、街歩きを楽しんでいる皇女に、何と声を掛けて良いものかわからない。


 一方のヴィアは久々のカピタに大満足だった。

 紫玉宮で作ってみた事もあったのだが、専用の窯がないと、やはりこのさっくりとした感じは出せない。


「ここはいいイチゴを使っているのね」

 若い店主に話しかけると、男はヴィアの美貌に呑まれたようにさっと顔を赤くし、どぎまぎした口調で話しかけてきた。

「マンゴのもどうだい?

 普段は滅多に手に入らないんだ」

「そう。じゃあ、それもいただくわ」


 どうしていいかわからなくなったアモンは、取りあえず主にこの行状を伝えておくことにした。

 ヴィアはアモンが離れて行ったのにも気付かず、エベックに、買って、と目で頼む。

 アレク達はまだ、さっきの露店で何やら話をしているようだ。自分達ものんびりしていて構わないだろう。


 買ってもらったマンゴ味のカピタをエベックに差し出すと、今度は文句も言わずに口に入れた。

「さっきのと比べてどう?」

「私はさっきの方が好みです。こちらは甘いので」

「甘いものは苦手?」

「はい」


 ヴィアもカピタに口を寄せ、一口味わう。イチゴと違って酸味がないだけ、確かに甘い。

 ヴィアはこの程度の甘味なら平気だわと、ゆっくりカピタを咀嚼する。あっさりとしたクッキーも好きだが、時々、とても甘いお菓子を食べたくなるのだ。


「甘いものが苦手なら、お酒を飲むの?騎士団の食事にお酒がつくのかしら」

 まだ十二歳のセルティスも飲まされるのか聞くと、騎士の叙任を受けるまではお酒は禁じられておりますと、エベックは答えた。


「お酒を飲むと、踊る人がいるって本当なの?」

 聞かれて、エベックは思わず唸る。妙にピンポイントをついた問いだ。

「踊る……人もいる事はいます。あと、やたら泣いたり、笑ったりというのは、よく聞きますね」

 ついでに服を脱ぎたがる奴もいるが、とエベックは心の中で付け足した。

「お酒を飲むって、怖い事なのね」


 しみじみと呟いたヴィアは、ふと美味しそうな匂いを嗅いだ気がして、後ろを振り返る。

 覚えのあるこの匂いは、多分、炙り肉だ。ヴィアは目を輝かせ、楽しそうに辺りを見渡した。



「あいつらは何をしているんだ?」

 いつの間にかいなくなったヴィアに気付き、アレクが辺りを見渡すと、向こうの路地からヴィアが目立たない程度に軽く手を振ってきた。


 皇女が立ち食いという姿にも驚いたが、騎士のエベックと仲睦まじく食べ物を分け合っている姿は、まるで恋人同士のようだ。


「毒見なしで物を召し上がってはいけないと注意申し上げたら、エベックに毒見させるようになりまして」

 弱り切った口調でアモンが報告する。

 見ていると何やら会話も弾んでいるようだ。

 色気のない会話のようだが、楽しそうな様子がアレクには面白くない。


「ヴィア」

 近付いて手を引くと、串の肉に口をつけていたヴィアは、あらと慌てて小指の先で口元を拭った。


「お話が弾んでいらっしゃるようでしたから、邪魔をしてはいけないと思いましたの」

「こんなところで物を食う…」

 叱責の途中で、口の中に肉を入れられる。

「毒見済みですわ」 


 側近たちが何か言う前に、ヴィアは言葉を封じてしまう。そしてアレクを振り返った。

「好みではありませんか?」

 仕方がないので咀嚼するが、元々肉は嫌いでないし、歩いて腹も減っている。 


「うまい」

 アレクがそう答えると、ヴィアは嬉しそうな顔をした。

「これは塩だれをつけて焼いたものなのですって。簡単な料理なのに、家で食べるよりずっと美味しいのが不思議ですわね」


 この場合、ヴィアの言う家とは、宮殿の事だろう。

 手は掛かっているが、冷え切った上品な料理ばかり食べていれば、こういう出来立ての簡素な料理が美味しく思える気持ちは、十分理解できる。

 アレクも騎士団では、こういった料理をよく食べていた。


「他も試したのか?」

 聞くとヴィアは首を振った。

「こちらが一番のおすすめと聞いて試してみたのです。でも、他の串も美味しそうですわね」


 ヴィアは食べる気満々で、色々な串を見ている。

 その中でも、香辛料のたっぷりかかった串肉が、特に気になるようだ。

「あの赤いのが美味しそうですわ」


 アレクは仕方なく、その串を買ってやった。

「あら、一緒に食べて下さいますの?」

 目を見張るほど美しい笑顔で尋ねられて、アレクは思わず、ああと答えてしまった。

 男の本能のようなものだ。


「殿…若君」

 危うく、殿下と言いそうになり、ルイタスは慌てて言い直す。

「滅多なものを口にされては」


「わたくしが味見をして差し上げますわ」

 ヴィアは店主から受け取った串を小さな口で頬張り、味わうように飲み込んだ。

 そしてにっこりと笑い、その串をアレクの口元に差し出す。

 アレクは苦笑しながら、肉を頬張った。人に手ずからものを食べさせてもらうなど何年ぶりだとおかしくなる。


「如何?」

 美味しいでしょう?と言わんばかりの口調に、酒に合いそうだとアレクは答えた。

「殿下もお酒を嗜まれるのですか?」


 ヴィアが何をそんなに驚いているのか、アレクにはわからない。

「飲まない男の方が珍しいだろう?」

「…では、まさか踊られるのですか?」

 声を潜めて問い掛けられて、アレクはまじまじとヴィアを見下ろした。

「何の話だ」

「お酒を飲んだら踊る人がいると、さっきエベックに教わりました」


 こいつとの会話は時々意味不明だと、アレクはこみ上げてくる笑いを噛み殺した。

「私はそんなに酒癖は悪くない。

 それよりお前はどうなんだ。踊るのか?」

 聞いてやると、踊るほど飲んだことはなくて、と、残念そうに返された。

「シール酒なら飲めるのですけれど」

「あれは酒とは言わないぞ」


 あるじ二人が楽しそうに食べ歩いているので、付き従っていた四人は顔を見合わせ、誰からともなく肩を竦める。

「我々も勝手に楽しんだ方が良さそうだな」


 何だか腹も減って来たし、とアモンが呟き、グルークがそうだなと辺りを見渡す。

 二人ずつ交代で食べ歩くか、と言葉を続けたのはルイタスだ。

 いいんでしょうかと口にしたエベックを、お前が言うなと言いたげに、アモンが一瞥した。

「さっきお前も、ものすごく楽しそうに食べていただろうが」


 あれが殿下の闘争心に火をつけたなと、アモンは心の中でそう呟く。

 そんな事に全く気付かないエベックは、こんな行儀の悪い事を町中でしたのは初めてです、と情けない顔で項垂れた。


「それにしても、あんなに楽しそうな殿下を見るのは久しぶりだ」

 屋台を指さしながら、笑いあっている二人を見ながら、そう呟いたのはグルークだ。


 いつのころからか、殿下が声をあげて笑う姿を見なくなった。

 生き残るには帝位を掴むしかないのだと自分の運命を見切り、権力を掴むための暗く長い道を足掻き始めた頃からだろうか。

 取り入ろうとする者、足を引っ張ろうとする者、静観を決め込み、距離をはかる者。そんな者達に四六時中周りを囲まれれば、誰でも嫌になる。


 あの皇女は、そのどれにも入らない。

 型破りで前向きで聡明で、けれど確かな温もりを持った皇帝の養女。


 殿下にとってかけがえのない側妃になられるかもしれないとグルークは思う。

 だが、殿下がヴィアトーラ側妃に心を囚われれば、自分はあの側妃を排除しなくてはならなくなる、グルークは苦い思いで、そう心に呟いた。


 殿下の権力を盤石にするために必要不可欠な皇后の存在。

 皇后はアレク殿下がヴィアトーラ側妃を愛することを決して許さないだろう。

 そして殿下が帝位を着実に掴むためには、強い後ろ盾を持った正妃を娶ることがどうしても必要だった。


 悲しむ殿下の姿は見たくない。


 グルークはため息をつき、殿下があの皇女に心を傾ける事のないようと強く祈った。 

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