護衛騎士の呟き 12
ヴィア妃の周辺は俄かに慌ただしくなった。
ロフマン卿を含め、円卓会議に名を連ねるような重臣は、ヴィア妃立后についてグルーク・モルガン卿から内々に話を受けていたが、その他の貴族らにとってはまさに寝耳に水の話である。
ヴィア妃が静養地から戻られた事は知っていたが、どうせ皇后を迎えるまでの間に合わせだろうと高を括り、挨拶に伺う事さえせずに放っていた。
そこに飛び込んできたのが、ヴィア妃立后という信じ難い一報である。
耳にした貴族らは一様に肝をつぶし、今までの自分達の所業を思い出して赤くなったり青くなったりしていたが、これではまずい! と思い立ち、一斉に動き始めた。
身の不徳を恥じ入って言動を慎むなどという選択肢は端からない。
流れが変わったのであれば素早くその波に乗る事が肝要で、皆、我先にとヴィア妃が住まう水晶宮へと押し寄せる事となった。
いっそ清々しい程の掌返しである。
そうした貴族らの厚顔さはヴィア妃も心得たもので、夜の明かりに集る蛾のごとく周囲に群がってくる貴族達に嫌な顔一つ見せず、にこやかに祝福の言葉を受けていた。
「あそこまで露骨に媚びへつらわれて嫌じゃないですか?」
ある日サイスがそう聞いてみたところ、「笑顔は無料よ」とにっこりと言い切られた。
さて、水晶宮には未来の皇后陛下とお近づきになりたいと願う輩から山のような贈り物が連日届けられて、目録を作るだけでも大層な手間である。
それでなくても立后の準備で猫の手も借りたいほどであるのに、そうした貴族らの対応にも時間がとられ、侍女頭のレナル夫人はたおやかな笑みを浮かべたまま、額に青筋を立てていた。
現在ヴィア妃の許には上級侍女が四人しかおらず、これでは到底仕事が回せない。
実を言うと、今現在、多くの者が皇后陛下の侍女に名乗りを上げていたが、ヴィア妃の傍近くに侍る者であるため、選定については慎重を期していた。
侍女頭であるレナル夫人が皇帝宮のラフィール侍従長とも相談しながら、派閥のバランスや家柄、人格なども考慮の上、候補を選定している状態である。
ただしこれはあくまで候補に過ぎず、侍女の選定についてはヴィア妃の意思が最優先される事は間違いなかった。
多くの貴婦人や令嬢らが直接ヴィア妃にその地位を懇願してきて、その中にはヴィア妃が権力の流れから弾かれていた頃、見捨てるように侍女の座を辞した者達もいた。
ヴィア妃の情に訴えかけ、もう一度お仕えしたいと涙ながらに訴えたが、ヴィア妃がそれを許す事はなかった。
「家の事情は分かるし、責める気はないの。
でもここであの者達を受け入れたら、苦しい時期にわたくしを支えてくれた者達に余りに申し訳が立たないわ」
ヴィア妃は寛容で寛大な方だが、そこらあたりの線引きはしっかりとされていた。
不遇な時代を共にした者達への信頼をヴィア妃は周囲に隠そうとせず、侍女を選ぶにあたっても、侍女頭のレナル夫人と次席侍女のリントー夫人の地位は取り上げないと明言された。
皇后の侍女を願う者は、家柄がさほど高くないこの二人の下で仕える事となり、それができない者はそもそも侍女になる資格がないという事だ。
結局ヴィア妃は、レナル夫人が推薦してきた中からご自分の侍女を選ばれ、新たに選出された四名はこの条件を受け入れた。
いずれも聡明で穏やかな気質の貴族女性で、うち二人は既婚者である。
サイスもヴィア妃の筆頭護衛騎士としてこの四人と顔合わせをしたが、おそらく人柄を重視して選ばれたのだなというのが一目でわかるような人選だった。
とはいえ、サイスにとっても人選びは他人事ではなかった。
皇后の筆頭護衛騎士となる事が決定していたサイスは、自身も配下の騎士を早急に選ばなければならない。
先日、三大騎士団に公募をかけたところ、信じられないような数の騎士が護衛に名乗りを上げてきて、どうやってふるい落としていけばいいのか頭を悩ませているところである。
結婚式を間近に控え、水晶宮は目の回るような忙しさにあった。レナル夫人を筆頭とした八人の侍女達が生き生きと立ち働き、明るい活気に満ちている。
「そうそう、シシリアの結婚が決まった事はカミエ卿はもうご存知かしら」
ある日、回廊で出会った次席侍女のリントー夫人にそう言われ、
「ああ。先日、本人から聞きました」
ヴィア妃が不遇であった頃から仕えてきたシシリア・ゼオン嬢は、外見はちょっと地味だが誠実で優しい人柄の女性である。
ヴィア妃の立后が決まって半月後に辺境に住まう格上の貴族との結婚話が突如浮上し、シシリア嬢の遠縁であるレナル夫人がその貴族の身辺を調べていた。
その貴族はシシリアよりも十ほど年上で、中央とのパイプを求めてシシリア嬢との縁を望んだらしい。
本人に特段の瑕疵はなく、一度シシリア嬢と顔合わせしたところ相性も悪くなかったため、縁談が調ったと聞いていた。
「結婚前にご両親と過ごす時間も欲しいみたいだったから、妃殿下はシシリアに暇を取らせて領地に返す事もお考えになったの。
でも、どうせなら皇后の侍女をしていたという箔をシシリアにつけてやりたいとおっしゃって。
だから後もうしばらく勤めてもらう事になったわ」
「確かにその方がいいでしょうね」
格の違う相手に嫁ぐというならば、その経歴は様々な側面からシシリア嬢を守るようになる。
それはともかくとして、シシリア嬢と仲の良かったもう一人の未婚侍女、エイミ・ララナーダ嬢の方はどうなのだろうとサイスはふと考えた。
ララナーダ家の家格は低い上、経済的にも裕福でないと何かの折に本人から聞いた事がある。
「実はね、エイミにもいくつか縁談が来ていたのよ」
サイスの心を読み取ったように、夫人がそう言葉を続けた。
「でも、どの話も勧められないとレナル夫人が言われて。
エイミの家柄が低い事を陰で蔑んでいたり、身持ちが悪かったり……。中には愛人に子を産ませていた男もいたと聞いているわ」
「それはひどい」
思わずサイスが眉を顰めると、
「そんな男に大事なエイミは任せられないとレナル夫人が大層お怒りだったわ」
その姿が容易に思い浮かび、サイスは思わず口元を綻ばせた。
「まあ、縁談については焦る事はないんじゃないですか。
エイミ嬢は人柄もいいし、何より妃殿下の信頼も厚い。
焦らなくても、そのうちいい縁談が入って来るような気がします」
そんな最中、ヴィア妃の弟君であるセルティス殿下が水晶宮に顔を出された。
ある事を思いつき、姉君が儀式の打ち合わせで不在にしている時間帯を狙ってやって来られたのである。
因みにその場には侍女全員に加え、サイスまでが呼ばれた。
皇弟殿下が私に何の用? と思わずサイスは首を傾げたが、そんなサイスら九名の顔を楽しげに見回して、セルティス殿下はいきなり訳の分からない事を言い放たれた。
「皇后陛下の崇拝会みたいなのをお遊びで作ってみないか?」
「崇拝、会……ですか」
ヴィア妃の弟君だけあって、その思考回路はサイスには時に理解不能である。
「ほら、以前から姉上に仕えている者は、皆お揃いでアカシアの花をモチーフにした装飾品を持っているだろ?
立后に合わせて、姉上を称える秘密の会みたいなものを作って、その証として、姉上が好きなアカシアの花を意匠としたものを何か持つようにしたら楽しいと思ってね」
「素敵なお考えですわ!」
真っ先に声を弾ませて賛同したのは、侍女のエイミである。
「妃殿下の素晴らしさを語り合えるような場があったらと、わたくしも常々思っておりましたの」
「わたくしもぜひ、作って頂きたいです。
お傍を離れるようになる事がひどく寂しくて……。もしそのような会に入れて頂けるのならこれほど嬉しい事はありません」
シシリアが目を輝かせてそう続け、リントー夫人もまた、「秘密めいたところがまたよろしいですわね」と大きく頷く。
それを聞いたサイスは、ふむ……と考え込んだ。
妃殿下を敬愛する者達だけで作る秘密の集まり……。
確かに考えただけでわくわくしそうだ。
新参の侍女たちもすっかり乗り気となり、自分たちも何かアカシアにまつわるものを身につけたいと算段し始めた。
その様子を眺めていたレナル夫人が、
「では、名称は《皇后陛下を称える会》で如何でしょうか」
と、セルティス殿下に申し上げる。
「会則はおいおい決めるとして、初期会員は今集まっている十名でよろしいかと」
「十名とは確かにキリがいいな」
満足そうにセルティス殿下が頷き、こうしてあっという間に皇后陛下を称える会の創設が決定した。
因みに発足日は、ヴィア妃が立后される日である。
会員番号一番はセルティス殿下で、二番が侍女頭のレナル夫人、三番から九番までは残りの侍女七名で、十番が筆頭護衛騎士のカミエだ。
初期会員はこの十名としたが、レナル夫人より、皇帝宮のラフィール侍従長を十一番目の会員に推薦したいという申し出があり、侍従長にその意思があれば自己推薦状を書いてもらうという事で話が落ち着いた。
余談であるが、会の存在を知ったラフィール侍従長は大喜びで入会を希望し、アカシアの花を模った品のいい襟留めを早速注文したという。
その後、セルティス殿下から会の事を聞いた紫玉宮の仕え人が入会を希望したり、侍女達がそれぞれ伴侶や家族などを会員に推挙したりして、瞬く間に人数が膨れ上がっていく訳であるが、それはまた別の話である。
そしてヴィア妃殿下は晴れてアンシェーゼ皇国の皇后となられた。
国内貴族を招いての晩餐会が二日続けて執り行われ、式典翌日からは列国の王族や公子らが続々とアンシェーゼに到着して華やかな披露宴が催された。
ミダスの街はもうお祭り騒ぎで、仮装に身を包んだ若い男女らが街に繰りだして歌い踊り、華やかな祝宴の締めくくりはボルベーゼ川で打ち上げられた一万五千発の花火だった。
美しく聡明な皇后の人気は止まるところを知らず、その翌年、待望の男児をアンシェーゼにもたらせた事で、皇后はその地位を揺るぎないものとした。
さて、サイス・カミエは今や誰もが認める優良物件である。
筆頭護衛騎士となるくらいだから腕もたち、何より皇后陛下から絶大な信頼を与えられている。
顔立ちには誠実さが透けて見え、性格も温厚、何より世襲が許された貴族位を持っていた。
今のところ領地は持っていないが、いずれその職を辞する時にはそれまでの功績を認められて皇家から領地を賜る事はほぼ確実である。
なのであちこちから縁組が舞い込んでいた。
ただし、サイスの心情としては、今は取り敢えず職に専念したい。
主に仕える事が無上の喜びで、今はその幸せに浸っていたいので、頼むからそっとしておいてくれないかというのが、今のサイスの偽らざる心境である。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
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