護衛騎士の呟き 11
アンシェーゼの皇弟殿下ご危篤……!
信じ難い知らせが皇宮を駆け抜け、異例の速さで意図的に皇都からその先の州、更には他国へと流されようとしていた。
本来なら秘されて然るべき情報が凄まじい勢いで広がっていく事に何らかの作為を感じた者も少なからずいたのだが、そうした者達の疑念を他所に、政権の中枢部らは効率よく噂をばらまく事に余念がない。
目星をつけていた他国の密偵らに積極的に情報を渡し、できるだけ早く、できる限り遠方までその情報を届けるよう、あらゆる手を尽くしていた。
ヴィア妃をおびき寄せるためにこの騒動を仕組んだが、皇弟殿下の健康不安説が列国の間で確定してしまうのは避けたいところである。
なので、なるべく短期間にこの件にけりをつける必要があった。
さて、一方のサイスは、皇弟殿下危篤説が流される前日にアモン副官に呼び出されていた。
「ヴィア妃殿下を捕獲する?」
いきなり言われた言葉にサイスは目を白黒させた。
そもそも捕獲とは、皇族に向かって使う言葉ではなかった筈だ。
「そうだ。以前ヴィア妃がお前を探しに来た騎士団御用達の店に、お前は終日待機しろ。
弟君がご危篤になったという噂を耳にした妃殿下は、何をおいても弟君に会いたいと切望されるだろう。
そこで是非とも殿下を捕獲……」
そこまで言って、副官はようやく言葉選びを間違えた事に気付いたようだった。
「げふん。とにかく逃げ出されないよう身柄を確保して欲しい」
そこは確保ではなく、保護すると言うべきではと、サイスは頭の隅でちょっと考えた。
それはそれとして、命を受ける前にサイスはどうしても確認しておきたい事があった。
「……あれほど弟君を慈しんでおられた妃殿下です。ご危篤と耳にしたら、おそらくお戻りになるでしょう。
けれど、戻られた後はどうなさるおつもりなのでしょうか」
命令には絶対服従が騎士の基本だが、徒にヴィア妃の人生を歪めるような真似をサイスはしたくなかった。
だからこそ勇気を振り絞って問い掛けた訳だが、それを聞いた副官は安心させるように眼差しを和らげた。
「詳しい事情は今は言えぬ。だが、この件にはセルティス殿下が関わっておられるのだ。
あの方がヴィア妃の不幸に繋がる事をむざむざ許すと思うか?」
という事で、それから毎日サイスは店近くの路地で張り込みを続けたが、生憎ヴィア妃殿下はこちらには来られなかった。
サイスを頼って直接アントーレ騎士団に向かわれたようで、予め網を張っていたアモン副官がすぐにヴィア妃を保護され、陛下のところにお連れしたと言う。
巷では、セルティス殿下危篤の報を聞いたヴィア側妃殿下が静養先のガラシアから急遽戻って来られ、皇弟殿下の容態が安定したのを確かめて、以前のお住まいである水晶宮に入られたと専らの噂になっていた。
ヴィア妃が戻られる数日前からヴィア妃付きの侍女達が水晶宮を整えてお待ちしており、サイスもすぐに護衛騎士に再任されたが、何故かその時、ヴィア妃殿下に目通りを願う事は禁じられた。
「何でですか?」
ようやく皇宮に戻られた主に会うのが許されないなんて、余りにひどい仕打ちである。
思わず涙目になって抗議すると、アモン副官はどんよりとした顔で溜息をついた。
「陛下がまだお会いできていないんだ。それより先に、お前を会わす訳にはいかないだろう」
「お会いできていない?」
サイスは思わず首を捻った。
「どういう事でしょうか?」
「つまりだな……」
渋々と口を開いた副官の説明に、サイスはあんぐりと口を開けそうになった。
どうやら妃殿下は体を壊すほど必死になって皇宮に戻られたのに、それが狂言であったと知らされて激怒なさったらしい。
しばらく陛下の顔も弟君の顔も見たくないと宣われ、水晶宮に籠ってしまわれたのだという。
一見理が通っているようだが、本当にそうか? とサイスは考え込んだ。
ヴィア妃だって腹を立てられる事はあるだろう。
けれど、それを根に持っていつまでも不貞腐れているなんて全くヴィア妃らしくない。
という事で、サイスは早速、ヴィア妃付きの侍女達のところに情報を集めに行ってみた。
妃殿下が不遇の時代に支え合った仲間なので、サイスは彼女らとも仲がいい。なのでどういう事か聞いてみたところ、理由はまさかの乙女じみたものだった。
髪や肌や爪の手入れができていないので、こういう見苦しい姿を最愛の陛下に見せたくないのだと言う。
そんな下らない理由で陛下はお預けを食らっているんだと、サイスは絶句した。
ヴィア妃の思考回路は、サイスには時々意味不明である。
陛下が『待て』を解かれたのは、妃殿下が戻られて二十日以上が経ってからの事で、その少し前にはロフマン卿が陛下に先立ってヴィア妃と面会されていた。
陛下だってもの申したい気分だったと思われるが、サイスだって、何で私よりロフマン卿? としばらく納得がいかなかった。
さて、陛下からのお召しがあった日、皇帝宮へと向かわれるヴィア妃殿下に付き従った時に、サイスはようやくヴィア妃の尊顔を仰ぐ事が叶った。
サイスの顔を見てヴィア妃は嬉しそうに微笑まれたが、この時は侍女に囲まれておられたため言葉を交わす事はなく、皇帝宮で一夜を過ごされた翌日、迎えに伺った時に初めて声を掛けて頂いた。
「エベック。貴方にはいろいろと心配をかけたわね」
改めてそう言葉を掛けて頂き、万感の思いで喉元に込み上げるものをぐっと呑み下したサイスだったが、続ける言葉で、「実はね、エベック家の徽章、売り払っちゃったの。ごめんなさい」とこそっと謝られ、思わずずっこけそうになった。
それ、今言う? と思わず心で突っ込んだサイスである。
「いえ……、別に謝られなくても大丈夫ですよ」
シニヤから貸し馬車を乗り継いで帰られたと聞いた時、サイスも何となくそんな気はしていた。
元々お金に困った時の助けになればいいと思って渡したものなので、どんな使い方をされようと別に構わない。
「殿下に差し上げたものですし、役に立ったのならそれで十分です」
さて、ヴィア妃が皇帝宮からお住まいの水晶宮に戻られる時は、基本的にサイス一人が護衛として従うようになっている。
レナル夫人を始めとした侍女達は、ヴィア妃の身支度のために朝早くに皇帝宮を訪れているが、ヴィア妃が皇帝陛下と朝餐を取られている間に一旦水晶宮に戻っているからである。
なので基本的に二人だけの移動となり、人に話を聞かれないのをいい事に、失踪中の四方山話を色々聞かせて頂いた。
トウアから失踪した後、よく生き延びられましたねと話を振ると、あれはグルーク様のお陰ねとヴィア妃は答えられた。
そもそも宮殿から逃げ出す時、グルーク・モルガン卿は市井で捌きやすい小ぶりの宝玉を袋に詰めてヴィア妃に渡してくれたらしい。
夜逃げした時もそれを持ち出したから当座のお金は賄えたのと笑いながら教えて下さった。
話題は尽きなかったが、幸いにもその日からヴィア妃は夜毎に皇帝宮に召し出されるようになったため、迎えに行く度にいろいろ話を伺う事ができた。
そして、ヴィア妃が皇帝陛下と夜を過ごされるようになって五日目、信じ難いニュースが皇宮内を駆け抜けた。
ヴィア側妃殿下が立后される事が円卓会議で正式に決まったのである。
サイスはもう、夢でも見ている心地がした。
ヴィア妃の今後を心配していたサイスに、「妃殿下の事は心配要らないわ」とレナル夫人が微笑みながら言っていた理由がようやくわかった。
円卓会議で承認されるまでは公にできなかっただけで、そもそもヴィア妃を皇后として迎えるために、政権の中枢部は《皇弟殿下危篤説》をばらまいてヴィア妃の保護に乗り出したという訳だ。
サイスは皇后陛下の筆頭護衛騎士に任命される事となり、それに伴い、世襲を許された貴族位が授与された。
新たな姓はカミエと言い、今後はサイス・カミエとして皇后にお仕えしていく事となる。
因みにこの貴族位授与は、市井に下りておられたヴィア妃に家名入りの徽章を捧げた功績だと、アモン副官からはこっそり説明された。
後1話でおしまいです。お付き合い下さり、ありがとうございました。