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護衛騎士の呟き 7


 その日は唐突に訪れた。

 倉院に立て籠もっていたレイアトーの騎士が、飢えに耐えかねて降伏を申し出たのだ。

 

 これによりアレク殿下の皇帝即位が可能となり、形ばかりの選定会議を開いた翌日、新皇帝は即位を宣言された。

 レイアトー騎士団は降伏を申し出、ロマリス皇子は蟄居ちっきょ、母君のマイアール妃は牢獄に収監された。

 こうして前皇帝の死去から凡そひと月半、アンシェーゼの混乱はようやく収束した。


 皇帝となられたアレク陛下は皇帝宮に移られ、多くの廷臣がその目に留まろうと必死になっていた。

 その即位に尽力された皇太后は宮廷内で一大勢力を築き、若き皇帝は母后の助言を聞き入れながら堅実な人事を進めていると聞く。


 新しい時代の到来に宮廷中が興奮し、この先への期待と不安に誰もが胸をさざめかせていた。

 貴婦人らは皇太后のサロンに招かれようとご機嫌伺いにいとまがなく、一方で皇帝の唯一の側妃であるヴィア妃の許を訪れようとする貴族は皆無に近かった。


 すでに水面下では、アレク帝の皇后選びが始まっている。

 権力基盤を安定させるために重臣の娘を皇后に迎え入れるか、あるいは国益重視で他国の王女を選ぶのか、政権の中枢部の見解は分かれているようだが、いずれにせよヴィア妃の出る幕がない事だけは確かだった。

 ヴィア妃は体調不良を理由に公的な場への出席を控えるようになり、訪れる貴族のいない水晶宮は以前の賑わいが嘘のようにひっそりと静まり返った。


 そうした中、思わぬ災いが国を襲った。

 アレク陛下の最大の後ろ盾であり、宮廷内で絶大な権力を有していた皇太后陛下が、乗馬中の不幸な事故により急死されたのである。

 パレシス帝が崩御されて僅か三月みつき

 発足したばかりの若い政権にとっては致命傷に等しい打撃となった。


 臣下らは浮足立ち、足場を大きく揺るがせた皇帝はこれまで以上に難しい政治運営を強いられた。

 ちまたでは新皇帝を貶めるような流言まで飛び交うようになり、政権の中枢部は人心の掌握に躍起となっているようだ。


 そうした状況を憂えられたか、ある日ヴィア妃は、皇帝の懐刀と言われているグルーク・モルガン卿を秘かに水晶宮に呼び出された。

 扉を大きく開けて続きの間に侍女を待機させ、しばらく二人きりで内密の話をされていた。


 ヴィア妃が貴族と面会されたのは、それが最後だった。


 皇帝は時折、思い出したように水晶宮を訪れるが、夜のお召しはなく、皇后選定が声高に叫ばれる中、貴族らはヴィア妃との関わりを断とうと必死になっていた。

 ヴィア妃付きの侍女であった者たちも、一人また一人と櫛の歯が欠けるように辞めていった。 


 今、ヴィア妃の傍に残っているのは、侍女頭であるレナル夫人と、夫人の遠縁の娘に当たるシシリア・ゼオン嬢、そしてリントー夫人とエイミ・ララナーダ嬢だけだ。

 いずれも家の格は高くなく、けれど心からヴィア妃を慕っていた。


 すっかり人の途絶えた水晶宮であったが、そんな中でもヴィア妃自身は明るく日々を過ごされていたように思う。

 庭園の花を愛で、吹き渡る風や初夏の香りを楽しんで、穏やかに微笑まれていた。


 この心地良い時間がいつかは終わりを迎える事を皆、気付いていた。

 知りながらもそれを口にする者はいない。

 ヴィア妃もまた迫りくる不穏な気配を肌で感じながら、それを微塵も周囲に見せる事はなかった。




 ある日、女主人の気分を少しでも引き立てようと思ったのか、レナル夫人が馴染みの宝玉商を呼ばれてはとヴィア妃に申し上げた。

 それを聞いたヴィア妃は大いに乗り気になり、それならば皆で揃いの装身具を作りたいとおっしゃった。


 宝玉商を招いた部屋に侍女四人とサイスを呼び集め、アカシアの花を主題モチーフにして、女性には髪飾りの、サイスにはタイ留めの意匠を考えるように、いきなりお命じになる。


「アカシアの花?」とサイスが首を傾げると、

「母が好きだった花なの。ほら、房状の白い花が垂れ下がる姿はとてもきれいだし、香りもいいでしょう?」


「ああ、なるほど」

 確かにいい匂いがしていたなとサイスが思っていると、「あの生命力が逞しくて良いのよね」とヴィア妃は満足そうにおっしゃられた。

 そこかよ! と思わず心で突っ込んでしまったサイスである。


「アカシアは成長スピードが速くて、自生していた他の木をあっという間に押しのけて自分達の林を作ってしまうの。

 だから傍迷惑な木と言われればそうなのかもしれないけれど」


 そりゃあ、庭師にとっては迷惑な木以外の何ものでもないだろう。


「そう言えば、わたくしの実家の庭にはアカシアがありましたわ」

 思い出したようにそう言葉を挟んだのは、エイミ・ララナーダである。


「わたくしの家の場合は、迷惑と言うよりも重宝しておりました。

 アカシアの花は食べられますから。甘酢に漬けたり、揚げ物にしていただいた覚えがありますわ」


 貧乏貴族のエイミは、考え方がちょっぴりヴィア妃に似ている。


「えっ、あの花って食べられますの?」

 驚いたように呟かれるリントー夫人に対し、ヴィア妃がにこにことお答えになった。


「ええ。花自体に味はないけど、季節を頂く感じで美味しいと母から聞いた事があるわ」


「アカシアからは蜂蜜が取れると聞いた事はありますけど、花が食べられるなんて初めて知りましたわ」


 感心したように言うレナル夫人に、「食べられる花って意外とあるものなのよ」とヴィア妃は得意そうにおっしゃり、それから慌てたように付け加えられた。


「あっ、でも花以外の部位には毒があるから気を付けてね。

 果実や樹皮の部分には確か毒があると聞いているわ。もしかすると葉もそうだったかも」


「ああ、それは私も聞いた事があります」

 サイスも頷いた。うっかり馬が食べて中毒症状を起こす事があるので気を付けるよう、騎士団で習った覚えがある。


 そんな風に会話を楽しみながらも、皆、手は忙しく動かしていた。

 取り敢えず、自分の意匠を決めない事には注文もできないので、デザイン画をせっせと紙に書いている状態である。


 とは言え、普段から女主人の衣装に合った小物を日々選んでいる侍女達は迷いなく自分の意匠を描き進めているが、その手の類に慣れないサイスはミミズがのたくったような絵を描いて、アドバイス役の宝玉商の眉を八の字にさせていた。

 結局、八割がた宝玉商に図案を描いてもらい、最後に一つ二つサイスの希望を入れてもらって、ようやく意匠を完成させる事ができた。


 使う宝玉についてはヴィア妃が一緒に選んで下さった。

 サイスは今まで宝玉に余り興味がなかったため、しみじみと眺めた事はなかったのだが、勧められたいくつかを手に取り、光に翳せば、石の表情のようなものが見えてくるのが不思議だった。


 光を反射して七色にきらめく金剛石から、濡れたような輝きを放つ希少な黒真珠、雨上がりの虹を思わせる淡泊石オパール

 青色一つをとっても、灰簾石タンザナイトや青玉、菫青石アイオライトなど微妙に色が異なっていて、自然が生み出した鉱物はどれもこれもくらりとするほど神秘的で美しい。


 一人一人順番に組み合わせる宝玉を決めていき、石言葉を聞いては笑い合い、互いに似合うものを丁寧に皆で選んでいった。


 世間の流れから取り残された宮殿にいる事を、皆忘れていた。

 ヴィア妃や侍女たちの笑い声が明るくさざめいて、窓から見上げる空はどこまでも青く澄み渡っていた。



 

 ヴィア妃が伽に呼ばれたのは、それから半月ほど経ってからの事だった。

 皇帝宮から呼び出しの使者が訪れて、水晶宮は歓喜に包まれた。

 アレク陛下が皇帝に立たれてから閨を共にされる初めての女性で、皇帝陛下はやはりヴィア妃をお忘れになっていなかったのだと、侍女たちは誇らしげに主の尊顔を仰いだ。


 侍女たちは念入りにヴィア妃の体を清めて皇帝宮へと付き従った。

 翌朝は朝一番に衣装一式を持って皇帝宮に伺い、一夜を過ごされたヴィア妃の身支度を手伝い、皇帝との朝餐の席に送り出したと聞いている。


 食事を終えられたヴィア妃を皇帝宮に迎えに上がったのはサイスだった。

 水晶宮に戻られた後は少し休息されるのだろうとサイスは思っていたが、これからすぐに紫玉宮に行きたいとおっしゃったため、再び供をする事となる。


 どうやらこの日はセルティス殿下が紫玉宮に戻ってこられるようで、紫玉宮に泊まる許可を皇帝陛下からいただいたらしい。

「行ってくるわね」とヴィア妃が侍女達に微笑まれ、四人の侍女は晴れやかな顔でそれを見送った。


 紫玉宮に向かわれるヴィア妃の表情は満ち足りて穏やかだった。

 いつも通り朗らかで、後で思えば普段以上に饒舌じょうぜつであられたかもしれない。 


「ところでサイスは何故結婚しないの?」

 いきなりそんな事を尋ねられて一瞬、言葉に窮したのを、サイスは今でも覚えている。 


 兄から縁談話を持ち込まれた時、サイスはヴィア妃への恋情を捨てきれておらずにその話を断った。

 まさかあの話が耳に入ったのかと冷や汗をかきながら、サイスは無難な言葉ではぐらかす事にした。 


「縁がありませんでしたので」

 

「そうなの? いくつか縁談が持ち込まれているという話をレナル夫人から聞いたけど」


 そっちの件かとサイスはようやく思い当たった。

 ヴィア妃の侍女頭をしているレナル夫人はいろいろと顔が広く、サイスは何人かの貴族令嬢を夫人から紹介されていた。


 レナル夫人曰く、サイスは上背もあってどこか愛嬌のある顔立ちをしているため、皇宮の侍女らから結構モテているらしい。

 アントーレ騎士団に所属しているため一応貴族位を持っているし、サイスの生家は徽章を持てるほど歴史のある家柄だ。

 だから、縁を結びたいという女性がそこそこいるのだという。


「何と言うか、今は結婚願望が余りないんですよね……」

 仕方がないのでそう返したら、ヴィア妃は幾分わくわくした目でサイスの方を見つめてきた。

 

「因みにサイスの好みってどんな女性なのかしら」


 きわどいところをついてこられるお方である。

 これがもし恋心を抱いている時だったら、確実に心を抉られていただろう。


「好みのタイプとかは特になくて、好きになった女性が好みという感じでしょうか」

 当たり障りなく返してみたが、恋バナが好きなヴィア妃はいよいよ瞳をきらめかせた。


「じゃあ、一番新しい恋の相手はどんな女性?」


「一番新しい……ですか」

 さすがに、目の前にいるんですとは言いにくい。

「そうですね。ものすごく美人でした。こう気品に溢れていてちょっと儚げな感じで……」


「あら、サイスって意外と面食いなのかしら」

「男なら大抵そうじゃないですか?」


「そう言えば、先ずは外見から恋に落ちるというパターンは多いわね。で、内面はどんな感じの方なの?」

「……何と言うか、外見と中身がまるっきり違う方でした」


 ヴィア妃は先ほどサイスが言った言葉を頭の中で反芻されたらしく、腑に落ちない様子でぽつんと呟かれた。


「……がさつで元気?」

 そう言い切られると身も蓋もない。サイスは小さく咳払いした。

 

「まあ、多少は。敢えて表わすとしたら、がさつというよりお転婆といった方がいいかもしれませんね」


 何と言っても、下町散策を普通に楽しまれる方だ。

 いきなり宝玉を換金してと言われた時も驚いたが、ぼったくられようとしていたサイスを横目に、テンポの良い掛け合いをしてその十倍額をもぎ取ったのは今も記憶に新しい。


「好きになった女性が好みというのなら、レナル夫人に見知らぬ女性を紹介されてもなかなか心は動かないかしらね」


 そう言葉を落とされたヴィア妃に、サイスは苦笑した。

「そうかもしれません」


 それからしばらくヴィア妃は無言でおられ、ややあってからゆっくりと口を開かれた。


「でもまあ、お相手については焦らなくていいかもしれないわ。

 貴方はそう言うところは不器用だもの。誠実で真っ直ぐで、上辺だけを取り繕って小賢しく生きるなんてきっと性に合わないし。

 そういうエベックだったから、わたくしも安心して背中を預けられた気がするわ」



 最後まで私たちは笑って話をした。


「ではまた迎えにあがります」

 別れ際にそう申し上げると、ヴィア妃はにっこりと微笑まれた。


 今思えば、「ええ」とは言われなかった。頷く事もなさらなかった。

 一拍置いてから、「ありがとう」と言葉を落とされて、サイスは迎えに伺う事への礼だと受け取ったが、そうではなかった。

 これが今生の別れになると知って、最後の言葉を渡されたのだ。


 別離を気取らせるような真似は一切なさらず、最後まで笑みを浮かべられていた。

 残される者たちの嘆きに心を揺らがせる事なく、鮮やかなまでの潔さで国に殉じられた。





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― 新着の感想 ―
[一言] ドラマチックな展開も面白いですが、こういう何気ない日常のやり取りに見える部分が一番好きです。 サイズ君ってホンマにエエお子ですねー。 紀伊國屋オンラインで予約注文した書籍は発売日の翌日に店頭…
[一言] サイス君は皇后を称える会のナンバー何番ぐらいだろう? 10番台、遅くとも20番台にはいますよね。
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