護衛騎士の呟き 5
少し残酷な描写が入ります。
襲撃の黒幕は程なく明らかとなった。
アメリ親子らは水晶宮内の地下室に連れ込まれて尋問を受けたが、エイダムの妹、ユリアが皇后陛下が命じられた事だとすぐに吐いたからだ。
その事実はすぐにアレク殿下に伝えられたが、事件の全容を解明すべく徹底的な洗い出しが始まった。
誰がどこまでこの件を知っていて、皇后の息のかかった者がどれだけこの水晶宮内に入り込んでいるか、これを機に備に調べ上げなければならない。
アメリ夫人は、「皇后陛下の命で動いていた自分達を害すればお前達もただでは済まない」と強気でこちらを脅してきたが、サイスらに言わせれば、最小限の外傷で口を割らせる方法などいくらでもある。
例えば感覚が鋭敏な場所を痛めつけるのも一つの手だ。
人間には他よりも感覚が優れている場所がいくつかあり、舌や唇、指先などがそれに当たる。
指の爪の下に針を刺し込まれれば、余程の訓練を受けている者でない限り、拷問に耐え得る事はほぼ不可能だった。
アメリ夫人は痛みに屈し、得られた情報は速やかにアレク殿下に渡された。
アレク殿下にとって皇后陛下は最大の後ろ盾であると同時に、油断のならない敵手でもある。
潰されぬよう適度に機嫌を取らなければならないが、従順謙黙でありすぎれば皇后の傀儡にされかねない。
これを機に、水晶宮内に入り込んでいた皇后の間諜が特定する事ができたのは、アレク殿下にとって不幸中の幸いと言っていいだろう。
事件についてはそのまま闇に葬られた。
罪を公にすれば皇后陛下は断罪され、その息子であるアレク殿下も連座で罪を問われてしまう。
他に選択肢はなかった。
ヴィア妃は命を取り留められ、日一日と順調に回復されていった。
アメリ夫人は体調不良を理由に侍女頭の職を辞し、現在はラフィール侍従長推薦のレナル夫人がその地位に就いている。
ある程度の事情をレナル夫人は知らされており、ヴィア妃が怪我を負われている事が人の口に上らぬよう、侍女達の配置に気を配っていた。
ヴィア妃が寝台に起き上れるようになってすぐ、サイスも目通りを許された。
と言っても、寝衣のまま身を起こされている妃殿下の姿を見るなど許される事ではなく、天蓋から下がった分厚いカーテン越しに声をいただいたというだけだ。
穏やかな語調で、「心配をかけました」と一言言葉をかけて下さり、サイスは安堵と喜びに胸を熱くした。
その後もヴィア妃は順調に快復され、やがて普通に面会も許されるようになる訳だが、時が経つに連れ、サイスの中でヴィア妃に対するある疑問が日増しに膨らんでいった。
あの襲撃の日、何故ヴィア妃が弟君の危険を察知して駆け戻られたのか、どうしてもわからなかったからである。
エイダムとすれ違ってしばらくして、ヴィア妃はそのジャケットや勲章について呟かれ、それから血相を変えて駆け戻られた。
まるであの衣装を着たエイダムこそが事件を起こすのだと、予め知っていたかのような反応だ。
それでは辻褄が合わないといくら自分に言い聞かせても、それ以外の結論が出て来ない。
散々悩んだ末、サイスは直接ヴィア妃に尋ねてみる事にした
「あの夜、真夜中にこっそり靴を回収しに行ったのは私なのですが、それに免じて教えていただく訳にはいきませんか?」
実のところ、あの日はサイスもかなり疲弊していて靴の事はすっかり忘れていた。
寝台に横になってからようやく思い出し、もう一度服を着替え直してあの場所に行き、月明かりを頼りに這い蹲って庭園内を探し回る羽目になった。
何とか靴を見つけた後も、こんな真夜中に女物の靴を後生大事に抱えて歩いている姿を誰かに見られたら確実に変質者に認定されると、びくびくしながら部屋に戻ったのを覚えている。
一方のヴィア妃は、サイスの言葉を聞いて初めて靴の事を思い出したようだった。
「誰にも見つからなかった? というか、誰にも言ってない?」
「大丈夫です!」
脱ぎ捨てられた靴を咄嗟に庭園内に蹴り込んだので、誰の目にも触れる事がなかった。
そして、危険を冒して(?)回収した靴はヴィア妃付きの侍女、エイミにこっそり返しておいたので、こちらの方も問題ない。
褒めて下さい! という目でヴィア妃を見れば、「仕方ないわね」とヴィア妃は苦笑され、少し躊躇った後に事の顛末を話し始めた。
そうして明らかにされた内容は、弟君がエイダムに殺される姿を夢で予知したという突拍子もないもので俄かには信じられなかったが、それでもそれが真実であるのだろうと最終的にサイスは納得せざるを得なかった。
そうでなければ、あのちぐはぐなヴィア妃の行動がどうにも説明できないからだ。
「信じて欲しい訳じゃないの。このまま笑って、忘れてくれていいわ。
でも、わたくしにとっての真実を言ったのだからこれ以上は聞いては駄目よ」
そして、「この事は決して他の人には喋らないで」と柔らかく釘を刺された。
「こういうのが噂になれば、殺されるような気がするの」
その言葉に、サイスはようやくヴィア妃がとんでもない秘密を明かして下さったのだと気が付いた。
見ようと思ってみられる夢ではないとヴィア妃はおっしゃったが、もしこの事が明らかになれば、手荒な真似をしてでもヴィア妃を手に入れようとする者は後を絶たない筈だ。
「喋りません! というか、私にも話すべきではなかったでしょう!」
青ざめてそう言い募れば、「そうね」とヴィア妃は頷かれた。
「アレク殿下からもこの能力については絶対に口外するなと言われているわ。わたくしもそうするべきだと思う」
アンシェーゼでこの力の事を知っているのは殿下と三人の側近の方だけだと改めて説明を受けたサイスは、気配を消すように部屋の隅で静かに控えている侍女にちらりと目をやった。
セイラという名のこの侍女は水晶宮の者ではない。
紫玉宮に籍を置く者で、ヴィア妃の世話のためにセルティス殿下が寄越されていた。
ヴィア妃と同じ亡国の血を引く者だと何かの折に伺った事があり、おそらくはこの者もヴィア妃の力の事を知っているのだろう。
限られた人間にしか知られていないなら安全は保たれるとサイスが秘かな安堵を覚えた時、ヴィア妃が柔らかく口を開かれた。
「エベックには言ってもいいかなと思ったの。
エベックは殿下に忠節を誓っているから。あの事件の全容を全て知って、殿下のために口を噤んでいる。
だから信じられるわ」
サイスは小さく息を呑み、ヴィア妃の顔を真っすぐに見上げた。
セルティスを害そうとしたのは誰だったのと一度聞かれた事があったが、サイスは答えられずに言葉を濁した。
サイスの口からは到底言える事ではなく、いずれアレク殿下から知らされる筈だったが、ヴィア妃の容態が安定してからは、アレク殿下はずっとこちらに姿を見せてはおられなかった。
おそらくは皇后の恨みを煽らないためだろうとサイスなどは拝察している。
ヴィア妃のご容体を確かめるため、アレク殿下の侍従が毎夜秘かにレナル夫人の許を訪れていたが、アレク殿下自身は身動きが取れず、そんな最中に事の真相だけがヴィア妃に伝えられてしまった。
弟君を殺そうとしたのがアレク殿下の母君であった事、そのせいで自分が命を落としかけたのにも関わらず、この一件はなかったものとして処理される事。
何もお感じにならない筈がない。
けれどヴィア妃は何事もなかったように微笑まれるのだ。
「お辛くはないのですか?
勿論、今回の事件は公にすべきではありません。けれど……」
アレク殿下の訪れが遠のいた事で、ヴィア妃は皇子の寵を失ったのだという不名誉な噂がまことしやかに囁かれ始めている。
今はまだヴィア妃の耳にまでは伝わっていない筈だが、そうした噂をお知りになるのも時間の問題だろう。
命も危ぶまれるほどの傷を負わされながらその理不尽さを誰に訴える事もできず、この先も不条理を呑み込んで過ごすしかない。
その事が口惜しくて唇をきつく引き結べば、そんなサイスの葛藤を読み取ったか、静かな口調でヴィア妃は言い切られた。
「わたくしやセルティスが今生きていられるのも、殿下が庇護して下さっているからよ」
そして、サイスに言い聞かせるように柔らかく言葉を重ねられた。
「それに今、一番辛い思いをなさっているのは、多分わたくしではないわ」
ヴィア妃の眼差しは、今この場にはいない殿下へと一心に向けられていた。
そこには揺るぎない信頼があり、それに勝る強い愛情があった。
それを認めた瞬間、何かがすとんとサイスの心の中に落ちてきた。
敵わない、とサイスは思った。
ヴィア妃は己の置かれた境遇よりも、殿下のお苦しみを案じられた。
その一途な愛情と不遇に揺らぐ事のない毅さを目の当たりにして、サイスの心の中に残っていた僅かな恋情が解けて消えた。
この方は崇敬を捧げるべきお方だった。
憧憬に勝る敬仰を、庇護ではなく忠節を奉じるにふさわしい。
護衛としての覚悟と矜持が、サイスの心に定まった瞬間だった。