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護衛騎士の呟き 4


 結局サイスはその縁組を断った。


 一代限りの貴族位しか持たないサイスにとってはこれ以上ない縁組で、兄には理由を問い詰められたが、皇子殿下の側妃となられた方をお慕いしているなど、口が裂けても言う訳にはいかない。

 兄は最後まで惜しがっていたが、結局は末弟の意を尊重してくれた。


 ただ最後に、そもそもお前はどうして妃殿下の護衛騎士に選ばれたんだ? と不思議そうに聞いてきて、サイスはその問いにも答える事ができなかった。


 そう言えば、何故自分が選ばれたのか余り考えた事がない。

 護衛に決まる直前、副官から剣の腕を褒められたからそのせいだろうと単純に思っていたが、よくよく考えればサイスより腕が立つ騎士など他にもいくらでもいるのだ。

 疑念は残るものの、指名された事に不満はないため、サイスはそれ以上考えない事にした。 


 遠ざかる兄の背を見送りながら、この話を蹴って後悔しないかと聞いてきた心配そうな兄の言葉が改めて思い起こされ、サイスは小さな苦笑を唇に浮かべる。


 兄の言う通り、馬鹿な選択をしたといつか後悔するかもしれない。

 けれど称号欲しさ領地欲しさの打算づくめで婚姻し、万が一その妻を愛せなかったら、自分の手には何も残らない気がしたのだ。


 わざわざ皇都まで訪ねて来てくれた兄には申し訳なかったが、自分の心を偽る事はできなかった。


 自分はどうしようもなく、あのお方に囚われている。

 湖水のように青いあの眼差しに見つめられるだけで、どうしようもなく心が浮き立ち、それ以外の事がすべて色褪せて見えた。

 

 傍に立ち並びたいと願った事はない。

 自分の立ち位置はわかっているし、それを超えるつもりなど毛頭なかった。


 自分はただ、あの方の剣でありたいのだ。


 傍から見ればどれほど愚かしく見えようと、それがサイスの生き方だった。

 自分を恥じる事なく生きていく事ができればそれでいい。



 

 一方、お披露目の済んだヴィア妃は多方面からの招きを受けるようになり、水晶宮から出かけられる際には、サイスが必ず護衛として従った。

 畢竟、部屋を温める間もない程、忙しい日々を送る事となる。


 尤も一番大変なのは、昼餐や茶会に主賓として招かれるヴィア妃ご本人だ。

 水晶宮に届けられる招待状は引きも切らず、侍女頭のアメリ夫人らと相談しながらどの招待を優先すべきか慎重に選び、出席を断らざるを得ない場合は、相応の心配りをされていると聞く。

 アレク殿下の側妃から蔑ろにされたと相手方が受け取れば、それがそのままアレク殿下への反感と繋がりかねないからだ。


 ヴィア妃は一度紹介された者の顔はまず忘れない。

 何故そんなに覚えられるのかと一度お聞きしたら、顔の特徴を一度頭の中で繰り返してイメージを固めてしまうのだとおっしゃっていた。

 一種の才能と言っていいだろう。


 扇で口元を隠し、楚々とした風情で貴婦人方と歓談されているご様子を見ていると、下町で両替商の亭主相手に舌戦を繰り広げられた事や、庶民に混じって買い食いをされていたあの姿が幻のようにも思えてくる。


 上手に猫を被っておられるものだとサイスなどはつくづく感心したが、ヴィア妃はただ華やかに着飾り、貴婦人達と笑いさざめいておられた訳ではなかった。

 にこやかに自分に近付いてくる人間が必ずしも善人ではないと妃殿下は知っておられ、洗練された振舞いと優美な微笑みの下で、静かに相手を見極めておられた。


 言葉尻を捉えられぬよう言葉の一つ一つに気を配り、毒を孕んだ言葉には機知に富んだ冗句ジョークで返す。


 宮廷では慎重さは必要だが、愚鈍である事は許されない。

 常に気を張り、けれどそのような様子は微塵も見せず、媚びてくる相手には微笑みで応え、軽やかな言葉遊びを楽しまれた。


 ヴィア妃が一番警戒しておられたのは、この宮廷において必要以上に目立つ事だった。

 だからこそ、夜会などの場では常に他の皇族方を立てて、取り巻きを作るような真似も一切なされなかったが、その美しさと朗らかなお人柄に惹きつけられるように人は集まっていき、華やかさの裏では人知れず闇が生み出された。


 皇子殿下の寵愛も、おそらくはそれに拍車をかけてしまったのだろう。

 ヴィア妃に対する悪意の芽は本人のあずかり知らぬところで大きく膨らんでいき、そしてあの事件は起こってしまった。




 その日は皇后宮で、皇后の身内を招いての内輪の宴が開かれる事になっていた。

 皇后が用意された衣装に着替えるためにセルティス殿下は水晶宮を訪れ、ヴィア妃は弟君と二、三言葉を交わされた後、自身も着替えるために居室へと急がれていた。


 その時、回廊ですれ違ったのが、侍女頭のアメリ夫人の息子エイダムだった。

 妙におどおどと視線が定まらぬ男で、ざらつくような不快を肌に感じた事をサイスは今も覚えている。


 今思えば、それは男が抱え込む闇のような恐怖であったのだろう。

 ただ、その時のサイスはその感覚をうまく言葉に言い表す事ができず、だから冗談混じりにヴィア妃に申し上げた。

 不幸を顔中に張り付けたような陰気な顔つきの男ですねと。


 無遠慮な物言いを苦笑しながらたしなめられたヴィア妃は、ややあって何かに気付いたようにふと足を止められた。


「濃紺のジャケットに、星二褒章……?」


 何をおっしゃっているのか、サイスにはわからなかった。

 けれど次の瞬間、ヴィア妃は悲痛な声で弟君の名を叫び、ヒールの高い靴を脱ぎ捨てて踵を返されたのだ。


「妃殿下?」


 すぐに後を追いかけようとして、サイスは脱ぎ捨てられたままになっているヒールの靴を咄嗟に庭先へと蹴り出した。

 回廊にこのようなものが転がっていては、後々ヴィア妃が困った立場に追い込まれると思ったからだ。


 その分、対応が遅れた。

 セルティス殿下のおられる部屋にヴィア妃が到着された時、サイスは数歩以上の遅れを取っていた。


「どいて!」


 止めようとする護衛二人を押しのけて、ヴィア妃が扉を押し開ける。

 ようやく追いついたサイスがその肩を捕まえようと手を伸ばしたが、その手はするりと躱された。


 そして、その一瞬の遅れがすべてを決した。


「セルティス!」


 恐怖に満ちたヴィア妃の悲鳴が鈍い衝撃音と共に途切れる。

 踏み込んだサイスが目に捉えたのは、一瞬仰け反った後にゆっくりと床に倒れ込んでいくヴィア妃の姿だった。


「何をしている!」


 サイスの声に室内にいた男が慌てたようにこちらを振り向く。その手に握られた血塗られた刃を見た瞬間、サイスの頭は怒りで真っ白になった。


 考えるより先に体が動いていた。

 踏み込んだ足を軸に回し蹴りを男の顔面に叩き込み、どうっと床に叩きつけられた男に飛びついて膝で乗り上げる。

 そのまま両腕を拘束している間に、遅れて飛び込んできた護衛二人がセルティス殿下へと駆け寄った。

 

 男の仲間と思われる侍女もすぐに取り押さえられ、部屋の隅で倒れていた侍女が這いずるようにヴィア妃に近寄った。

 エイミ・ララナーダと言う、ヴィア妃付きの侍女だ。ヴィア妃が信頼を寄せており、サイスも何度か言葉を交わした事があった。


「妃殿下、ああ、何て事……。しっかりなさって下さいませ!」


 エイミは自分のドレスの裾を裂いてヴィア妃の傷口に押し当て、セルティス殿下は悲鳴のような声で人を呼んでくるよう護衛に命じた。


 取り押さえていた男から衝撃的な言葉が出たのはその時だった。

 駄目だ! と男は大きく叫び、サイスはこの時になってようやく、この男が先ほど回廊ですれ違ったエイダム・アメリだと気が付いた。


「私を突き出したら、アレク殿下は身の破滅だぞ!」


 顔の下半分を鼻血で汚しながら喉を震わせるエイダムを、サイスは呆然と見つめた。

 エイダムが何を言っているのかわからなかった。

 その言い方では、まるで今回の襲撃を画策したのはアレク殿下であるかのようだ。


 サイスは形相を変えて怒鳴りつけたが、この時、押さえつけられていたエイダムの妹までが必死になって言葉を滑り込ませた。


「どうか信じて下さいませ。

 公になれば、困ったお立場に立たされるのは、他ならぬアレク殿下です!」




 二人の言葉を信じた訳ではなかったが、万が一を考え、サイスは部屋を厳重に締め切った。

 取り急ぎ、侍医を連れてくるようエイミに頼み、一人がヴィア妃の止血をしている間に、そこらにあった布や紐でエイダムとその妹を拘束する。


 報せを受けた水晶宮のラフィール侍従長が侍医を連れて駆け付けてくれ、ヴィア妃のために寝所を整え、必要な物品を次々と運ばせ始めた。


 ちょうどヴィア妃が、紫玉宮の若い侍女二人を呼び寄せていた事も都合が良かった。

 彼女達であればアメリ夫人の息がかかっていないと断言でき、安心してヴィア妃の世話を任せられる。


 何食わぬ顔で場に駆け付けてきた侍女頭のアメリ夫人は、部屋に入ったところをセルティス殿下の護衛が拘束した。

 襲撃者であるエイダムを室内に引き入れたのは妹のユリアで、そのユリアをセルティス殿下の身支度に振り当てたのは、アメリ夫人だ。

 下手な動きをされる前に、一刻も早く確保しておく必要があった。



 ヴィア妃の事は侍従長らに任せ、サイスはこの襲撃を皇子殿下に伝えるべく殿下の執務室へと急いでいた。


 殿下の周辺で何が起ころうとしているのか、あの襲撃の首謀者は誰なのか、誰の言葉を信じればいいのかわからない。

 ただサイスが見る限り、アレク殿下は確かにヴィア妃を愛しておられた。


 ヴィア妃のためにも、それだけは信じたかった。





今回、出版にあたっていろいろな方から推薦コメントをいただきました。本当にありがとうございます。書籍の帯にも掲載されていますが、わくわくするような応援メッセージで、本当に嬉しかったです(レーベルTwitterでも紹介されているようです)。この場を借りて、改めてお礼申し上げます。



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