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護衛騎士の呟き 3


 さて、サイスがそんな事を考えている間、皇女殿下は楽しそうに周りを見渡しておられた。

 と、何かを思いついたのか、その視線がサイスの方に向けられる。


 ものすごく嫌な予感がしたサイスはさりげなく視線を逸らしてみたが、そんな事で諦める皇女殿下では勿論ない。

 花のように艶やかな笑みを浮かべて、サイスに話し掛けてきた。


「エベック、あの食べ物を買って来て下さらない? イチゴのカピタがいただきたいわ」


 サイスはぎぎぎ……と首を動かして、皇女殿下の方を見た。

 いただきたいわ、という事はつまり、ここで食べたいという事だ。


 周囲を見渡せば、カピタの屋台の近くでは多くの庶民たちが歩きながらカピタを頬張っている。

 いい香りがそこら中に漂っていて確かに美味しそうだが、皇女殿下が下町で買い食い……?


 サイスは考えるのを諦めた。

 今は皇女殿下の命に従うのが自分の務めである。その行動が正しいかとか、何故しなければならないのかとか、無駄な事を考える必要はない。


 という事で、サイスはいくぶん緊張気味に屋台へと向かった。

 何と言っても、生まれて初めての屋台でのお買い物である。

 決死の形相をしていたため店主からは胡乱な目で見られたが、今回はぼったくられる事なく、無事に任務を果たす事ができた。


 高揚感に胸を高鳴らせながらカピタを皇女殿下に差し出すと、受け取った殿下がいきなりそれを半分こにした。


「食べてみて」


「自分が、ですか?」


 あっ、これと同じ台詞をさっきも言ったような気がするとサイスは思った。


「毒見だそうよ。いいから食べて」

 

 貴族たる自分が庶民らに混じって立ち食いをするなど、こんな行儀の悪い事をしていいものだろうかとサイスは一瞬逡巡した。

 が、すぐに、これは行軍中なのだと自分に言い聞かせた。


 行軍の訓練中は立ったままものを食べた事もあるし、ついでにクソまずい乾パンを口の中で噛み砕くうちに、あやうく吐きそうになった事も思い出した。

 あれはひどい味だった。

 同室の奴はあの後腹を下し、訓練中にも拘らず草むらに籠ってしばらく出て来なかった。

 

 それはさておいて、初めて食べるカピタなる食べ物はなかなか美味しかった。

 イチゴの酸味がいいアクセントになっている。


 カピタにかぶりつくサイスを皇女殿下は嬉しそうに見ていたが、サイスが飲み込んだのを確認して、自身も手にしていたカピタを小さく齧った。


 小さな白い歯が見え、サイスは思わず目を逸らせた。

 何故かどきりと胸の鼓動が跳ねたからだ。


 淑女が街中で立ち食いをするなど、本来なら眉を顰めて然るべき振舞いであるのに、皇女殿下の場合は不思議とそれが嫌だと感じなかった。


 取り澄ました、という言い方が正しいかどうかはわからないが、上辺うわべで笑んで毒を吐く貴婦人らの姿を、サイスは幼い頃から嫌というほど目にしてきた。

 高慢さがある種の美徳とされ、しきたりに縛られる事の多い貴族社会では、耳触りのいい言葉の裏で気に入らない相手を平気で貶める。


 この程度の言葉遊びができなければ貴族として生き抜くことはできず、そうした行為のすべてを悪だと決めつけるつもりはなかったが、上っ面だけの薄っぺらい笑みや駆け引きとは無縁ののびやかさを、サイスは心のどこかで渇望していたのだろう。

 自然体で微笑み、散策を心から楽しんでおられるそのご様子に、つい好ましさを覚えてしまった。


 皇女殿下はその後も楽しそうに屋台を見て回り、他のお菓子も味見しながら、サイスは皇女殿下といろいろお話をさせていただいた。


 そうこうしていると、側近方と市場を回っておられたアレク殿下が皇女殿下のところにやって来た。

 どうやら皇女殿下が勝手に食べ歩きをしている姿に黙っていられなくなったようだ。


 こんなところで物を食うなと言いかけたアレク殿下の口に皇女殿下が肉を突っ込み、アレク殿下が目を白黒されている間に、「毒見済みですわ」とちゃっかり言い放つ。


「好みではありませんか?」と問われたアレク殿下は思わず「うまい」と答えてしまい、それ以上小言も言えなくなってしまったようだ。

 嬉しそうに話しかけてくる皇女殿下のペースに乗せられ、その後は二人で屋台の食べ物を楽しみ始めた。


 こうなるともう、側近方も口を挟めない。

 まるで市井の恋人たちのように散策を始めたお二人をしばらく呆然と見ていたが、やがて副官が、「我々も勝手に楽しんだ方が良さそうだな」と呟き、何だかんだで男四人で街を巡る羽目となった。


 お陰で雲の上の存在であった側近方と、顔見知り以上の仲になってしまったサイスである。




 それからほどなく、皇女殿下はアレク殿下のお住まいである水晶宮に入られ、側妃殿下の称号を賜られた。

 それに伴い、サイスも水晶宮の一角に部屋をいただいた訳だが、その数日後、皇都から遠い領地に暮らしていた兄が突然サイスを訪ねてきた。


 サイスは驚きつつも喜んだ。

 この兄とは十三ほど年が違うが、サイスが四つの時に正騎士の叙任を受けて領地に帰ってきて以来、大層可愛がってもらっていたからだ。


 因みに兄は三大騎士団の卒業生ではない。

 エベック家の嫡男である兄は、箔付けのためだけに三大騎士団に進む事を良しとせず、領地から比較的近いロンド騎士団を選んだからだ。


 ロンドはアンシェーゼに十五ある辺境騎士団の一つで、これらの騎士団は皇家が所有する三大騎士団に次いで格が高いとされている。

 近隣の主だった貴族子弟のほとんどがこのロンドを希望しており、兄は人脈作りのためにこの騎士団を選んだものと思われた。


 ロンドより格の高い三大騎士団にサイスを進ませてくれたのは、サイスがどこかの貴族の入婿とならない限り、平民となってしまうからだろう。

 そして女性が家を相続する事を認めないアンシェーゼでは、よほどの事がない限り、血族でもない男を婿に迎えようとする当主はいなかった。


 勿論、領地を持たず称号だけを継いでいる貴族だとか、領地はあっても首まで借金に浸かっている家とかは、血筋に拘らずに縁組を望んでくる事はある。

 持参金欲しさであったり、その者が持つ箔(血筋の良さや出身騎士団など)が目当てであったりする訳で、そう言った意味ではサイスは好物件だと言えないでもなかった。


 という事で、もしかしたら縁組の話かな? と漠然とサイスは考えたが、兄が持ってきたのはまさにその話で間違いなかった。


 しかも話が余りに良すぎた。

 アンシェーゼの西部に領地を持つ中流貴族から持ち込まれた話で、娘はデビュタントを終えたばかりの十五歳。

 そこそこの広さの領地を持ち、親族や知り合いから山のような縁組を持ち込まれている家からの、まさかの逆申し込みだった。


「何で私なんですか?」


 嬉しいと言うよりも困惑の方がサイスには大きかった。

 その家とエベック家は何の血の繋がりもないし、第一、サイスにはほとんど持参金がつかない。

 三大騎士団を出させてもらったため、生家からのこれ以上の支援は断っており、持参金として出せる金はサイス自身が稼いだものだけだ。 


「お前、皇都で開かれている夜会に時々顔を出しているだろう?

 リヨン家での夜会でそのご令嬢と踊った筈だが、覚えていないか?」


 サイスはうーんと考え込んだ。

 壁の花となっているご令嬢を見かけた時は、マナーとしてダンスに誘う事は往々にあった。

 特に印象深い女性は記憶の隅に残っているが、言葉を交わした女性はたくさんいたため、その令嬢については全く覚えていなかった。


「まあ、とにかくそのご令嬢はお前を気に入ったみたいなんだ。

 お前も知っての通り、エベック家はそれなりに歴史がある家だし、お前自身は三大騎士団に所属している。

 お前の噂をいろいろ聞き集めて、婿がねとしては悪くないと相手方は思ったようだ。

 それで、一度お前と会ってみたいとこちらに連絡が入った。


 一応、父や私も相手について調べてみたが、申し分ない縁組だ。

 ご令嬢に悪い噂も聞かないし、領地経営も順調で家としての格も悪くない。

 向こうからの条件は一つ。結婚を機に、お前にはアントーレ騎士団を辞めてもらい、領地経営を学んでいって欲しいそうだ」


 サイスは弾かれたように顔を上げた。

「騎士団を辞める……?」


 現在サイスは、アントーレ騎士団から出向という形で、ヴィア妃殿下の護衛の任についている。

 結婚を選べば護衛の任を辞し、そのまま相手方の領地に向かうようになるのだろう。


 願ってもない縁だと頭ではわかっていた。

 アントーレ騎士団に所属する事で一代限りの貴族位を与えられているが、自分の子には受け渡す事のできない称号だ。

 

 結婚すれば、永代の貴族位と領地が手に入るとわかっていて、この話を蹴る者は馬鹿としか言いようがない。

 けれど、サイスは兄の言葉に素直に頷く事ができなかった。


「少し、考えさせていただけませんか?」


 称号と領地目当てに、顔も覚えていない令嬢と婚姻を結ぶ。

 貴族としてはごく普通の選択だが、サイスは結婚をする限りは妻となる女性をきちんと愛し、温かな家庭を築きたかった。


 できるだろうか……とサイスは思う。

 自分は器用な人間ではない。心の中に誰も住んでいないのであれば、一も二もなくこの話に飛びついていただろうが、今の自分には忘れ難いと思える女性がいた。


 その方を手に入れたいと思った事はない。

 むしろ想いを捧げる事さえ許されない方だった。


 その女性は、皇子殿下の傍で柔らかく微笑まれ、夜毎の寵愛をいただいている。

 あれほど女性との浮名を流しておられた皇子殿下が、それまでの遊びようが嘘のようにかの方に執着され、それはまるで在りし日のツィティー側妃殿下に溺れておられた父君のパレシス帝の姿を思わせた。


 寝所に呼んで朝まで放さず、朝食も夕食も共にされて大層仲睦まじい。

 その姿に微かな胸の痛みを覚えながら、それ以上にその事を誇らしく思う気持ちの方がサイスには強かった。


 恋ではない……とサイスは心に呟いた。

 けれどこのまま縁を断ち切られたら、自分は名状しがたいこの想いを抱えて、死ぬまで妃殿下を慕い続ける気がした。






7月30日に、「仮初め寵妃のプライド」のコミックスの一巻がZERO-SUMコミックスより発売される事になりました。環先生が描かれていて、とても素敵な仕上がりになっています。

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