護衛騎士の呟き 2
感想や活動報告へのコメント、ありがとうございました。話を遡る形で書いたので、少し読みにくいかもしれないと心配していましたが、読んで頂けて嬉しいです。誤字報告、ありがとうございます。何度か確認したつもりですが、訂正箇所が思ったよりありました……。気を付けますね。
それから数日後、ガタガタと揺れる座り心地の悪い馬車の中で、サイスはひたすらばつの悪い思いを味わっていた。
……どうしてこんな事になっているのだろう。
ここまでスプリングの効いていない馬車に乗るのは初めてだが、尻の痛さならまだ我慢できる。
問題はサイスの正面に座っておられる二人の貴族だ。
アレク殿下の側近中の側近と言われているルイタス・ラダス卿とグルーク・モルガン卿。
顔は知っているが、ほとんど話した事もない、雲の上のようなお二人と狭苦しい馬車の中で顔を突き合わせる形になり、サイスとしては気まずい事この上ない。
今日はヴィア皇女に護衛としてついてくるように言われ、水晶宮に足を運んだだけだった。
皇女殿下が用事を済まされる間、控室でのんびり寛いでいたところ、いきなりこのラダス卿がやって来てにこやかにサイスに話しかけてきたのだ。
「そう言えばエベックは皇女殿下の護衛だったね。こちらに来てくれ」
サイスはラダス卿と面識はなかったが、準騎士時代に一つ上の学年におられたため、勿論顔は見知っていた。
父親は円卓会議にも名を連ねている国の重鎮で、ラダス家自体も家格がかなり高い。誰もが認める大貴族と言っていいだろう。
潤沢な財力にも恵まれて、騎士団卒業後は数か国への遊学にも行かれていた筈だ。
人当たりが良く、警戒心を抱かせずに人の懐に入り込む事の出来る人物で、第一皇子からの信頼も厚い。
そんな相手から親しげに声を掛けられたサイスは当然の事ながら舞い上がり、いそいそとついていった訳だが、連れて行かれた部屋でいきなり服を替えるように言われた時は耳を疑った。
「実はこれからアレク殿下がヴィア殿下を連れて下町にお忍びに行かれる。
下級貴族の子弟という設定だから、こちらの服に着替えてくれ」
部屋に用意されていたのは、金に余裕のない貴族の子弟が身に纏うような安っぽい服と、使い込まれたような長剣である。
念のため鞘から抜いて刃を確かめたところ、手入れは十分にされており、剣自体のバランスも良かった。
問題は服の方だった。仕立てもぱっとしないし、見るからに貧相だ。
チクチクして何かヤダな……とサイスが思う程度には、生地の手触りも悪かった。
さて、ラダス家には遠く及ばないとはいえ、サイスの生家はそこそこに名のある家だった。
アンシェーゼ建国以来の歴史を持ち、貴族名鑑にもきちんとその旨が記されている。
貴族位を継げない次男坊だから今も騎士団に在籍しているが、父が年を取ってからできた久々の男の子という事で、家族中から可愛がられて何不自由なく育って来た。
皇都から遠く離れた領地に暮らしていたにも拘らず、わざわざ三大騎士団に入団させてもらえたのもそのためだ。
アンシェーゼでは貴族の子弟の将来はどこの騎士団を卒業したかで決まるとも言われていて、三大騎士団に入団する事は一種のステータスである。
入団に当たっては厳しい審査があり、かつ五年間の在団中に莫大な費用が掛かる事でも有名だった。
息子を三大騎士団に入れるために家が傾くほどの借金を負ったというのは、アンシェーゼでは珍しい話ではない。
それはさておいて、その三大騎士団に当たり前のように行かせてもらえたサイスはそこそこ金に裕福な貴族のお坊ちゃまであり、だからまさか自分がこんな小汚い格好をさせられて下町へ行く日がこようなどとは夢にも思っていなかった。
ものすごく気は進まなかったが、護衛のために必要とあらば仕方がない。
サイスは着古された風の綿のシャツを渋々と着こみ、ズボンを履き替え、妙にきらきらと安っぽいジャケットを羽織ってみた。
鏡の中の自分を覗き込むと、服に着られているといった感じが半端ない、どこかちぐはぐな若い男が、居心地悪そうな顔で突っ立っていた。
完全に服だけが浮いている。
ややあって、自身も着替えて来たらしいラダス卿がサイスを呼びに来て、んん? と首を捻った。
「エベックは何と言うか、もう少し品位を落とせないかな」
自分より生まれ育ちがいい筈のラダス卿は、何故かその貧相な服をごく自然に着こなしていた。
「ま、いいか。何とかなるだろう」
そのまま使用人が出入りするような通路を歩かされ、連れ込まれたのがこの馬車である。
馬車の進行方向を向く側の座席には若い男がすでに座っていて、その横にラダス卿が当たり前のように乗り込んだ。
その向かい側に腰をかけようとしたサイスは、奥に座っていた人物を見て思わず声を上げた。
「グルーク・モルガン卿!」
準騎士時代に顔を見かけた事のあるモルガン卿だ。ラダス卿と同じく、第一皇子殿下の側近でもある。
こちらもみすぼらしい服(あくまでサイス目線)を当たり前のように着て、サイスの方を見て軽く頷いてきた。
元々愛想がないモルガン卿は、場の空気を和ませようなどという気は一切ないらしく、そのまま退屈そうに窓の外へと視線を向ける。
この空気どうしよう……とサイスが冷や汗をかいていると、ラダス卿が気軽な口調で説明をしてくれた。
「前の馬車にはアレク殿下とヴィア殿下、護衛としてアモンが同乗している。
下町では目立たぬ形で護衛を配置しているが、殿下方を傍近くでお護りするのは我々四名だけだ。
エベックもそう心得ておいてくれ」
サイスは瞠目した。危険な下町を歩くのに、身近に連れ歩く護衛はこの四名だけと言われて、騎士の血が騒がぬ筈がない。
胸を熱くしたサイスは敬礼しようと勢いよく立ち上がり、そのままゴンッと天井に頭をぶつけて座席に撃沈した。
馬車が大きく揺れ、呆気にとられたようにサイスを見たモルガン卿が、次の瞬間、くっと息を詰めて顔を背ける。
必死に笑いを堪えているようだ。
頭を両手で抱えながら涙目でラダス卿を見ると、ラダス卿は苦笑しながら「大丈夫?」と聞いてきた。
「だ、大丈夫です」
騎士たる者、こんな事で弱音を吐く訳にはいかない。
本当は泣きたいくらい痛かったが、根性で頭から手を外し、きりっとした表情でサイスは決意を述べてみた。
「この命に替えましても両殿下をお護り致します!」
「……。まあ、余り張り切らないようにね?」
肩を震わせる友人を窘めるように小突きながら、ラダス卿が楽しそうにそう声を掛けてきた。
若いっていいなあ……と呟かれた気もするが、言わせてもらえばラダス卿とサイスは一つしか年が違わない筈である。
現地集合……という言い方はおかしいが、下町についてからサイスはようやく護衛対象であるヴィア殿下と合流した。
ヴィア殿下は裕福な商家の娘といった出で立ちをされていて、それが妙に似合っている。
あれほど気品に満ちたお方だったのに、格式ばった上品さは影も形もなく、見事に街中の景色に溶け込んでおられた。
気負った様子もなく、それどころか「この場所での待ち合わせでよろしいでしょうか」と皇子殿下に尋ねられていて、後ろに控えていたモルガン卿が目を剥いていた。
モルガン卿でもこんな表情をされるんだ……と他人事のようにそれを眺めていたサイスだが、「一人で出歩く気か」と質された皇女殿下が、「エベックを連れて行きますけど」と当たり前のように答えたため、サイスは全力で聞こえない振りをした。
素知らぬ態で服の皺を直しながら、それにしても……とサイスは心で呟いた。
皇女殿下は生れてからずっと紫玉宮の外を出た事がない筈であられるのに、外の世界が怖くはないのだろうか。
あるいは余りにも箱入りで育てられたため、外の世界が恐ろしいものだとは微塵も考えつかず、純粋な興味の方が勝っておられるのかもしれない。
そう一応頭で納得したところで、その皇女殿下がいきなり無茶ぶりをしてきた。
ドレスの隠しから無造作にネックレスを取り出したかと思うと、いきなりサイスの方を向いて、「これをお金に換えて来て」と命じられたのである。
……異次元の言葉だった。
両替商の存在は知識として勿論知ってはいる。
知ってはいるが、宝飾品を現金に換えるなど金に困った者がする事であった筈だ。
「自分が、ですか!?」
辛うじてそう問い返した。
冷や汗をかいているサイスとは裏腹に皇女殿下はにっこりと微笑まれ、サイスは進退窮まった。
助けを求めるようにラダス卿に目をやったが、少々の事では笑みを崩さないラダス卿は珍しく口元を引きつらせ、何のフォローも入らない。
頼りのアモン副官は表情を凍り付かせているし、仕方なく差し出されたネックレスに目を落とし、もう一度副官に目をやったところで、行けというように副官から顎をしゃくられて、サイスは恨めし気にそのネックレスを受け取った。
換金の仕方を騎士団の講義で習ってないんですけど……という言い訳はここでは通用しそうにない。
訳の分からぬまま両替商に足を踏み入れ、店主に換金を申し出たが、そもそもサイスはこうした場での相場を知らなかった。
透度やその色味から宝玉が極上の一品だとはわかるのだが、駆け引きを知らないサイスは瞬く間に足元を見られていく。
追い詰められたサイスが言われる値段で手を打とうとした時、横から口を挟んできたのは、箱入りである筈のまさかの皇女殿下だった。
「値段を一桁間違ってない?」
そこからは怒涛の展開だった。
皇女は慣れた様子で店主と掛け合っていき、あっという間に五百五十カペーを店主からもぎ取ったのだ。
ただ美しく微笑んでいるだけだと思われた姫君の、思いもよらぬしたたかさだった。
事ここに至って、サイスはようやく、皇女殿下はもしかすると今までも下町を散策された事があるのではないだろうかと思い至った。
あの掛け合いは、一朝一夕にできるものではない。
相場を知り、駆け引きを知っておられた。
皇女殿下はこうした両替商を何度か訪れておられ、だからこそ今回も換金ありきでドレスの隠しにネックレスを忍ばせて来られたのだろう。
アレク殿下もそう思われたのか、「いつもこんな事をやっているのか?」と小声で問いかけておられる。
それに対し、皇女殿下は楽しそうに頷かれ、高価な装飾品は却って捌きにくくて困るなどと答えられていた。
親密そうなそのご様子を見ながら、サイスはふと、お二人は市中で出会われたのかも知れないと思いついた。
セルティス皇子殿下は紫玉宮から一歩も出た事がないような口ぶりであられたが、あの時皇女殿下は無言であられた。
皇位継承権を持たれぬ身であれば皇家の監視は比較的緩く、おそらく皇女殿下は頻繁に城外へ出られており、そこで皇子殿下に見初められたのではないだろうか。