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護衛騎士の呟き 1

少し話が遡りますが、ヴィアの護衛騎士、サイス・エベック(後のカミエ)視点での物語です。サイスから見たヴィアはどのような存在であったか、あと、本編で書き切れなかった細かい部分について少し補足しています。


「信頼できる者にヴィアの警護を頼みたい。できるか」


 当時、まだ第一皇子であられたアレク殿下から下命を拝したあの日の事を、サイスは今も鮮明に覚えている。


 ヴィアトーラ皇女殿下。

 アンシェーゼに一時代を築いたツィティー側妃殿下の連れ子で、パレシス帝の養女として皇家に迎えられていた姫君である。


 病弱を理由に一切表舞台に姿を現される事のなかったこの皇女殿下を伴われて、アレク殿下がアントーレ騎士団を訪れたのは、風が緑樹を揺らすまだ初夏にはなりきらぬある一日の事だった。



 

 思い返せば、この日は朝からいつもとは異なっていた。

 朝一番にアモン副官が騎士団の訓練場に顔を出し、正騎士となって十年以内の騎士をすべて集めるよう命じられたからだ。

 そして始まったのが槍の訓練だった。


 実を言うと、サイスは槍があまり得意ではない。

 騎士としての実技はいずれも人並み以上で、特に剣技については強い自負を抱いていたが、唯一槍の扱いだけは不得手としていた。

 その槍の手合わせを、よりによって副官の前で披露する羽目になろうとは……とサイスは嘆息し、上官から名を呼ばれた時は槍を持つ手にうっすらと汗を滲ませていた。


 アモン副官は一人一人を並ばせて順々に手合わせをさせ、その構えや動きなどをじっと観察している。

 サイスは必死に槍を振るったが、焦るあまり、直すようにと日頃注意されていた癖も知らずに出てしまったようだ。

 結果は十戦八敗で、手合わせが済んで後、アモン副官からいつになく厳しい眼差しを向けられたサイスは、己のふがいなさに唇を噛み締めて項垂れた。


「一学年下の……確かエベックだったな」


 そう声を掛けられて、サイスは慌てて敬礼をとる。


「はっ」


「そうか、唯一槍が苦手だったか……。

 だが、お前は剣技に優れている。そちらを伸ばせ」


 思わぬ言葉に、サイスははっと面を上げた。

 準騎士時代の剣の大会で、サイスは一度優勝している。副官はおそらくそれを覚えてくれていたのだろう。


 とはいえサイスが優勝できたのは最終学年となってからだ。

 アモン副官が在籍していた一つ上の学年は粒ぞろいで、彼らが在学中は下級生らは上位に名を食い込ませる事さえ許してもらえなかった。

 黄金時代と評されたあの学年で、特に傑出していたのがこの副官だ。

 他の追随を許さず、その技は頭一つ分突き抜けていた。


 アントーレの名を継ぐ者として、副官は幼少より血の滲むような鍛錬をして来られたのだろう。

 弛まぬ努力とその志に改めて敬意を捧げた時、整列していた正騎士らの間から小さなざわめきが広がり始めていた。

 皆の視線を追うようにそちらへと目をむければ、護衛を伴ったアレク皇子殿下が一人の女性をエスコートしてこちらに近付いてくるところだった。


 アレク殿下は皇后陛下を生母に持たれる第一皇子で、次期皇帝の筆頭候補と目されるお方である。

 多くの女性達と浮名を流されていたが特定の恋人を作られた事はなく、そんな殿下がわざわざ鍛錬場に女性連れで来られたものだから、団員たちは大いにざわめいた。


 このような場所にお連れするくらいだから、おそらく殿下の恋人であられるのだろう。

 遠目ながらにも美しい女性である事がわかり、何よりプロポーションがすごかった。胸がふっくらと盛り上がり、腰がきゅっと括れている。


 アントーレ騎士団員は生まれ育ちの良い貴族令息の集まりであった筈なのだが、男の本能には勝てず、その女性に皆の目が釘付けになった。

 これが女性群ならキャーと黄色い声で騒ぐところだが、場には男しかいなかったため、「おおおおおお」だの「すげえ」だのといった重低音の太い声が場を埋めた。


 やがて皆が整列する場所に三人は近付いてきて、団員たちが居住まいを正して出迎える中、思いもかけず名を呼ばれたのはサイスだった。

 サイスは困惑を押し隠し、小走りで前に進み出て殿下と副官の前に立った。


 殿下の尊顔を間近に仰ぐなど許される事ではなく、サイスは拳を握った右腕を胸の前に折り、騎士としての最上級の礼を示した。

 だから、自分のおもてを確認したヴィア皇女がまるで眩暈でも覚えたように小さく体を揺らした事に、その時のサイスは微塵も気付かなかった。


 ややあって、言葉をかけてこられたのはアレク殿下だった。


「お前の名は」


「サイス・エベックと申します」


「こちらは、皇女ヴィアトーラだ」


 その途端、大きなどよめきが騎士達の間を駆け抜けたようだが、サイスはそれを覚えていない。

 思わぬ名に弾かれたように顔を上げてしまい、真正面からその女性の顔を見てしまったからだ。


 まるで奇跡のように美しい姫君だった。まだ咲ききらぬ蕾のごとき可憐さと、神が作り賜うたかのような全き美を兼ね備え、柔らかな笑みを口元に浮かべている。

 かんばせを取り巻くのは陽に透けるような淡く美しい金髪で、肌は抜けるように白く、目はぱっちりとして湖水のような青をしていた。

 気品が香り立つようなその圧倒的な美に、サイスは一目で心を鷲掴みにされた。

 周囲から一切の音が消え失せ、その姫君以外、何も目に映らなくなる。


 一瞬で恋に落ち、そしてこの恋が成就されぬものである事をサイスは同時に思い知った。

 この姫君はアレク殿下が愛おしまれているお方だ。

 恋情を抱いてよい類の姫君ではない。

 一生手の届く事のない高嶺の花で、それでもその眼差しが真っ直ぐに自分を捉えてくれた事に、サイスの心は否応もなく浮き立った。


 それが、生涯をかけての忠節を誓う事となるヴィア皇女、後のヴィアトリス皇后とサイスとの初めての出会いだった。




 ただ美しく咲き誇るだけの方ではないと気付かされたのは、その夕刻の事だった。


 皇女殿下の護衛を命じられたサイスは、その日から皇女殿下の住まわれる紫玉宮に赴く事となった。

 サイスだけではなく、アントーレ騎士団で第三大隊の副隊長をしているヨハン・セルドア卿もサイスと共に宮殿を訪れた。

 皇女と共に紫玉宮に暮らしておられるセルティス第二皇子殿下の護衛を命じられたからだ。


 このセルドアはアントーレでも十本の指に入る剣の使い手だが、手練れである以前に騎士団の幹部であり、本来ならこのような護衛任務に駆り出されるような立場にはない。

 ただ今回については、セルティス殿下の人となりやその力量を見極めたいという団長の思惑が優先されたようだ。


 長年、紫玉宮に引きこもっておられた皇子殿下の護衛を何故今になって……とサイスは不思議に思ったが、この日の朝にはヴィア皇女が殿下の側妃となる事が皇后によって内々に了承されており、それに伴い、皇女の異父弟であるセルティス殿下もアレク殿下の庇護下に入る事が決まったようだ。



 そうしてセルドアと共に紫玉宮に初めて足を踏み入れたサイスだが、訪れた宮殿の余りのさびれ具合にまず目を瞠る事となった。


 何と言っても仕え人の数が極端に少ないのだ。

 傍目には広々として立派な宮殿なのに、人の気配というものがほとんど感じられない。


 そんなサイスらを出迎えたのは五十半ばの侍従長で、慇懃に迎え入れられた後、殿下方の支度が整うまで広々としたホールに通された。


 ホールには瀟洒な家具やソファーが置かれ、暖炉の上部にあるマントルピースの上には絵画が飾られている。

 絵画の中に広がる風景はアンシェーゼのものとは大きくかけ離れていて、改めてホールの様子を見渡せば、内装もどこか異国風だ。

 どこの国のものだろうかと二人でしみじみ眺めていれば、やがて先ほどの侍従長が二人を呼びに来た。

 どうやら殿下方の支度が整ったらしい。


 そうして通された部屋は天井が高く窓も大きくとられていて、いかにも開放感溢れる明るい部屋だった。

 中央に置かれたガラス製の丸テーブルの向こう側にセルティス殿下が座っておられ、皇女殿下はその後ろに立ち控えておられる。

 

 初めてお目にかかるセルティス殿下は無垢で慎ましやかな気品を感じさせる十二歳の少年で、姉君の方はそれに加えて瑞々しくあでやかな艶があった。

 二人揃ってこちらを見る姿は、まるで一対の絵のように美しい。


 余りの美しさにサイスは呆けたように立ち尽くしたが、それはアントーレで名を轟かす剣豪のセルドアも同じであったらしい。

 人外ともいえるその美貌にやられて、完全に言葉を失っていた。


「ヨハン・セルドアとサイス・エベックだな。大儀だった。腰を掛けてくれ」


 セルティス殿下に声を掛けられて、二人はようやく我を取り戻した。

 殿下が姉君を見上げると、ヴィア殿下はふわりと微笑んで弟君の傍に腰掛けられ、セルドアとサイスもぎくしゃくと用意されていたソファに腰掛ける。


「あの……、こちらはいささか仕え人の数が少ないようにお見受けいたしますが」


 躊躇いがちにそう口を開いたセルドアに、殿下方二人は顔を見合せて微笑んだ。

 柔らかな微笑みが口元を彩るだけで場が華やぐと言うか、きらきらしさが半端ない。


「私たちはそもそも宮殿の外に出なかったからね。この人数で別に不自由はなかったな」

 

「ほら、わたくし達はとても病弱でしたから」


 セルティス殿下の言葉に優しく言葉を添えられるのは、皇女殿下である。


「セルティスなどは体が弱すぎて、これではとても長く生きられないだろうと、専らそういう噂になっていたのではありませんか」


「ええ、まあ……」


「亡き母が一生懸命、そう触れ回ってくれましたの。

 わたくし達は二人とも一日の大半を寝込んでおりまして、ちょっと冷たい風に当たりますと、生死の境をさ迷った事もあったような、なかったような」


 ん? なかったような?

 サイスは思わず眉間に皺を寄せた。


「そうそう、ちょっと歩くと息切れがしてね。めまいと頭痛と吐き気に襲われるんだ。

 度々高熱が出て物もろくに食べられず、いつ儚くなるかとよく周囲を心配させたものだ……」


 芝居がかった口調でセルティス殿下は続けられたが、その口元には笑みが浮かんでいる。

 肌つやも良く、病に伏しているという風情は全く感じられなかった。


 ちらりとセルドアの顔を窺うと、セルドアはようやく得心がいったのか小さく吐息を零し、どこか呆れたような目でセルティス殿下を見つめた。


「なるほど。そういう状態では、とても他の貴族らとは会えませんね。

 道理で面会を求めていた者たちが皆断られていた訳だ」


 この辺りで、サイスにもようやく事の真相がわかってきた。

 つまり政争に巻き込まれたくなかったこのお二人は、わざと病弱を装っておられたという事なのだろう。

 よくよく考えれば、外の風に当たっただけで体調を崩すような皇女殿下が、アレク殿下と連れ立って騎士団の視察に来られるなどありえない話だ。


「さっきの話に戻るけど、仕え人が少ないのは私達にとって都合が良かったんだ。

 母君がご存命の折はとかく人が溢れていてね。

 母は内庭に面した一角を私達の居住空間にして、子ども達二人を人目に触れさせまいととにかく必死だった」


 病弱を装うだけでなく、愛らしさが人の噂に上らぬよう、姉上はあの頃毎日そばかすを顔に書いて眉も少し太くしていたとセルティス殿下は笑う。


「母が亡くなって葬儀が終わった後に、人も次々と辞めていった。

 父上は元々私に関心がなかったし、私達は私達で擦り寄って来ようとする貴族を徹底的に排除していたからね。

 アレク兄上を擁立する勢力からは憎まれていたし、孤立した第二皇子に仕えていても先は暗いと見切った者達は、沈みかけた船から逃げだそうとそりゃあ必死だった」


「辞めようとする者達に、母の腹心であった亡き侍女頭は十分な手切れ金を渡してやりましたの。

 ですから面白い程に人がいなくなりまして、今、住み込みでこの宮に残っているのは、その侍女頭が連れてきた者達ばかりですわ。

 侍従長夫婦と賄いの夫婦連れ、それに前の侍女頭の娘が二人。他は本宮からの通いの者で仕事を回しております」


「不自由な生活をなさっておられたのですね」


 思いっきり人の手をかけられて育ったサイスがそう口を挟めば、ヴィア皇女は僅かに瞠目し、「いえ全く」と楽しそうに笑い出した。


「わたくしは年の近い友人もいて、結構楽しく暮らしておりましたわ。

 母が亡くなって寂しかった時も、わたくしの傍にはずっとこの子がおりましたし……。

 でもセルティスにとっては、きっと苦しい十二年でしたわね。ここには、セルティスの遊び相手となる男の子がおりませんでしたもの」


 そう言って弟君を優しくご覧になれば、セルティス殿下は軽く肩を竦めた。


「私はもう、こんな狭苦しい世界はたくさんだ。

 早くアントーレ騎士団に入団したいよ」


 自由万歳などと言っているセルティス殿下の横で、ヴィア殿下が一切その事を口にしなかった不自然さに、この時サイスは気付かなかった。


 その事実が開かれるのはその数日後。

 アレク殿下からの贈り物を受け取った皇女殿下が礼を伝えるために水晶宮を訪れた日に、サイスは新たな真実の扉を開く事になるのである。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 一瞬で失恋までしたとは思いませんでした。どこぞの商人さんのように拗らせる前に敬愛に変わっていったようで良かったです。 [気になる点] ヴィア本人の性格的に無かっただろうけど、母ツィティー…
[一言] 番外編ありがとうございます。 「とってもいい人」の彼を幸せにしてあげてくださいませ。
[気になる点] 初めて読んですく物語の展開に夢中になり、すぐ全部読み通しました。すべての登場人物が生き生きと描かれている上、時折入るコミカルなところも気に入っています。ファンタジーに多い軽すぎる描写も…
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