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外伝 皇后陛下と乗馬? 1

二話だけのちょっとした短編です。久々にヴィアをメインにして書いてみました。


 夏の離宮、ステファニア宮殿に泊まる季節がやって来た。

 ステファニアは、皇都から馬車で凡そ半日のレタニア高原に建てられていて、高地のため夏場でも涼しく、かつ自然も豊かな離宮である。

 三年ほど前から、毎年夏場になると皇帝一家は(ついでに取り巻きの貴族らも)十日ばかりをステファニアで過ごすことが慣例となっていて、ヴィアは毎年この休暇をとても楽しみにしていた。


 子どもたちは広々とした草原を走り回れてご機嫌だし、時には広い布を草原に敷いて、戸外でのランチやお茶を楽しむこともある。

 堅苦しい皇宮での生活から解放されて、自然と触れ合えるこの小旅行をヴィアは心から歓迎していたけれど、実を言えば一つだけヴィアには不満があった。

 レタニアに来ると、アレクは側近らを連れて狩猟や遠乗り三昧となり、妻のヴィアを置いてきぼりにしてしまうのだ。


 勿論、狩猟が貴族にとっては大事な社交の場であることはヴィアも知っている。戦となれば軍を率いる王族貴族らにとって、狩猟は武術を磨くまたとない機会であり、華麗に馬を乗りこなして狩猟の技を見せつけることは男達にとって多分必要なことなのだろう。

 そしてまた、獲物を狩って意気揚々と帰ってくる男たちを着飾って出迎え、戸外に設えた宴席で彼らをもてなすのは、貴婦人らの大切な役目だった。


 木立の下に食べ尽くせぬほどの酒や料理を準備して、吹き渡る心地良い風の下、大掛かりな宴を執り行う。

 狩ってきた獣は使用人らによって血抜きされ、男たちには酒が振舞われ、楽師たちは音楽を演奏した。

 晴れ渡った青空の下、きれいに盛り付けられた料理が次々と運ばれてきて、貴族らは酒杯を片手に歓談し、食事に舌鼓を打つ。

 格式ばらない席でのこうした食事は大層美味に感じられ、ヴィアは狩りから帰った男たちをもてなしながら、自身も十分にこの宴を楽しんだ。


 ……楽しんではいるのだが、ヴィアはほんの僅かの時間でいいからアレクと二人きりの休暇を楽しみたかった。

 木立の中の小路を二人で散策するのもいい、爽やかな風を感じながら庭園のベンチでお茶を楽しむのでも良かった。

 夏の離宮ステファニアで、ヴィアはアレクと二人だけの思い出を作りたかったのである。


 要は馬に乗れないことが問題なのよねとヴィアはため息をつく。

 ヴィアと仲の良いご婦人方はご夫君と一緒に遠乗りを楽しんでいるし、ものすごく乗馬の得意な婦人は狩猟にも同行していた。

 それができないからこそ、ヴィアは夫に置いていかれているのだ。

    

 そもそもアンシェーゼでは乗馬は貴婦人の嗜みであり、乗馬ができない方が珍しい。

 馬に乗れない皇后なんてアンシェーゼでは聞いたこともないし、それこそ前代未聞と言っていいだろう。

 このことはヴィアにとって非常に大きいコンプレックスとなっているのだが、皇帝も皇弟も護衛騎士もついでに皇帝の側近たちも、皆が口を揃えて馬に乗るなとヴィアに言うものだから練習の仕様もない。


「きっとアンシェーゼ史上初めて乗馬のできない皇后として史書に記されるのだわ」と護衛のカミエに嘆いてみせれば、「そんなことは書かれないと思いますけど」と大真面目に返された。

 ヴィアだって、そんなことはちゃんとわかっている。ちょっと愚痴ってみたかっただけだ。


 アレクと一緒に遠乗りをする夢がどうしても諦めきれず、皇帝の側近たちに相談してみたところ、「そういう野望はお捨てになった方がよろしいかと思います」とグルークにはばっさりと切られた。

 アモンはアモンで、「御身に何かあったら、国が傾きます」と血相を変えてくるし、ルイタスに至っては、どこから情報を仕入れたのか、「確か、姉上至上主義のセルティス殿下にも練習を断られたのではありませんでしたか」と吹き出しそうな顔で言ってきた。


 確かにセルティスには断られた。

「皇帝陛下のお許しが出たらつき合ってくれない?」と軽い気持ちで頼んだら、ものすごく嫌そうな顔をされ、言ってきた言葉が、「陛下の乗馬に付き合うくらいなら、豚に乗馬を教えた方がましです」である。

 確かに以前、あの子の目の前で落馬してものすごく心配をかけたのは悪かったが、そこまで言う!? とぶんむくれたヴィアである。


 昔は内気でヴィアのドレスのスカートの後ろを掴んでいるような大人しい子だったのに、一体どこからこんなに性格が変わってしまったのだろう。

 まあ、騎士団に入れたことがきっかけとなったのは間違いない。

 そしてヴィアの見るところ、その原因の一端は、ケイン・カルセウスというセルティスの親友なのではないかと、密かにヴィアは思っている。


 このケインという子はカルセウス家の嫡男で、ルイタスの人当たりの良さとアモンの騎士力とグルークの頭の良さをそれぞれ八割がた持っているような、大層バランスのいい子である。

 やんちゃだが頼りがいがあって、信頼のおける楽天家。ヴィアの中ではそんな印象の子だ。


 このケインはなかなか目端の利く子で、一度セルティスに紹介された時、セルティスの事をこっそり教えて欲しいとヴィアが頼めば、「わかりました」と二つ返事で了解してくれた。

 それからは、ヴィアも知らなかった騎士学校内でのセルティスのやんちゃぶりをいろいろと教えてくれるようになり、非常に重宝している。

 

 ヴィアにとってセルティスは、いつまでたっても小さくて可愛い弟のままだ。

 顔も整っているし、血筋はいいし、変な女性に引っかかったりしないかしらと心配すれば、「大丈夫だと思いますけど」と言いながら、セルティスの恋愛観を教えてくれた。

 道徳観念がきちんとあり、婚約者とか夫がいるような相手は恋愛対象外、できれば野心のない女性がいいと常々口にしているようだ。

 皇弟という立場であれば、その地位や血筋目当てで近付いてくる女性は後を絶たず、そのせいで少しうんざりしているのかもしれない。

 どうしたものかとヴィアがちょっと考え事をしていれば、何をどう勘違いしたのか、「あっ、子どもの作り方はちゃんと教えときましたから」とあっけらかんと言われ、ヴィアは、おおう!と心の中で仰け反った。

 いろいろと驚かされる子である。



 さて、ステファニアに来て五日目、アレクは側近らと今日も楽しそうに遠乗りに出掛け、子どもたちは乳母たちと遊びに出掛け、久しぶりに一人の時間を持つことになったヴィアである。


 実を言えば、このステファニア宮にいる間に済ませておきたいことがヴィアにはあった。

 来たるべき家族会に備え、せっかく集まってくれるアレクの弟妹らに、何か揃いの物をプレゼントしたいと思っていたからだ。


 この家族会を思いついたのは、義妹のセディアがシーズで不遇をかこっていると知った時だ。その後、いろいろと手を尽くしてセディアは無事、手元に呼び返す事ができたのだが、そのお披露目も済んで、ヴィア自身の出産も済んでから、ヴィアはセクルトにいる二人の義妹に手紙を書いてみた。

 国を越えた結婚をしているため、会いたいからと言ってすぐに会える訳ではない。セディアの結婚まではアンシェーゼの皇家も何かと忙しいので、結婚式も済み、夏場の暑い時期は避けて九月か十月あたりに会えないかとヴィアは義妹たちに提案した。


 せっかく里帰りしてくれるのだ。何か記念になるようなものを贈りたいと思ったが、宝玉というのではありきたりである。何かいいものはないかと探していたところ、侍女の一人が、最近流行り始めたガラスの工芸品のことを教えてくれた。

 様々な意匠を凝らした花器や酒杯は言うに及ばず、動物や花、樹木などを模したガラス細工もあるらしい。

 ガラスが光に映えて大層美しい逸品だと聞いたヴィアは、ステファニア宮にその商人を呼び、品物を確かめてみることにした。

 

 さて、皇后のこうした買い物の補佐は部屋付き侍女の仕事でもある。

 ということで、今、部屋には筆頭侍女のレナル夫人をはじめとして七人の侍女が皇后の脇に控えていた。


 因みにこうした侍女たちは、いずれも名のある貴族の夫人である。

 側妃であった頃はエイミのような未婚の令嬢もいたが、今、ヴィアの周囲にいるのはすべて既婚女性だ。信頼のおける女性に長く仕えて欲しいので、侍女に関してはそのようにさせてもらった。

 それに、皇后付き侍女の役職は結婚を控えた令嬢たちに大人気なので、下手に募集をすると大変なのだ。


 実は、ヴィアの側妃時代から仕えてくれていた令嬢は、三人が三人とも玉の輿と言われるような縁を繋いでいた。

 その筆頭がエイミ・ララナーダで、家柄もさほど高くなく、行き遅れの年齢に差し掛かっていたエイミは、ヴィアが皇后となって半年後、アンシェーゼでも高位の貴族の嫡男に見初められた。その後、順調に一男一女を生み落とし、今は第二皇女フィオラディーテの乳母となっている。

 残る二人の未婚侍女もそれぞれ家柄の良い貴族に嫁いでいき、どういう巡り合わせなのだろうとヴィア自身も驚くしかないのだが、それを知った貴族らは皇后の侍女に自分の娘を滑り込ませようと、ものすごい就職活動を展開してきたのである。

 ……やられた方は堪ったものではない。


 ということで、未婚女性はすべて丁重にお断りさせていただくこととなった。

 余程の事情があれば侍女に取り上げるのもやぶさかではないが、余程の事情なんてものはそうそう転がっていなかった。


 やがて侍従の一人が商人の訪れを告げてきて、おしゃべりに花を咲かせていた皇后らは楚々とした風情を装って戸口の方へと目を向けた。


 皇宮と違い、離宮ではある程度の自由が利くため、こんな風に部屋に直接、商人を招き入れることもできる。

 不測の事態に備え、護衛騎士のカミエが室内に控えてはいるが、離宮の奥にまで入り込ませる訳だから商人の身元は徹底的に調べあげられ、身体検査も済んでいる。

 ついでに身元報告書も皇后の許に届けられていたが、ヴィアは別に目を通さなかった。

 どうせ知り合いなんかいる訳でもなし、出自さえ確かな商人ならそれでいいと思ったからだ。


 が、いたのである。それこそ、とんでもない知り合いが。


「こちらがガラス工芸品を幅広く扱っているヘルグ商会のクレイアス・ヘルグです。

 目利きに優れ、この者が取り扱うガラス細工は、シーズの王族やガランティアの有力貴族も好んで買い求めていると耳にしております」


 クレイアス・ヘルグ?

 侍女に紹介された名前にどこか聞き覚えのあったヴィアは思わず真正面からその青年を見てしまい、目を合わせた瞬間に、それを後悔した。


 何でこの人がこんなところにいるのっ!?


 一方のヘルグも呆然とした顔でヴィアを凝視していた。

 本来ならば、目を合わせるのも不敬とすぐに頭を下げるべきであるのに、そう言う常識も頭から吹っ飛んでしまったらしい。凍り付いたようにただヴィアを見つめている。


 ヴィアは腰が抜けそうになっていたが、ヴィアの他にももう一人、その名に反応した人間がいた。

 護衛としてその場に控えていたカミエだ。


 トウアのあの商家の若造か……。カミエは思わず、舌打ちしそうになった。

 ヴィア妃がトウアに住む準貴族の家で家庭教師をしていた時、一目惚れをして求婚してきたヘルグ家の跡取り息子である。

 そのせいでヴィア妃は失踪へと追い込まれたので、そのはた迷惑な名前は今もカミエの記憶の端に残っていた。


 一方、皇后の傍に控えていた侍女たちは、目をかっと見開いたまま固まっている商人の様子に不審を覚え、訝しげに顔を見合わせ始めた。


 ちなみに侍女たちは、ヴィアが一時期市井に下りていたという事は知っている。

 当時の静養に関しては、問い詰められれば不自然な点が多々あるため、ある程度の情報を与えておいた方が皇后を守れるだろうと皇帝が判断したためだ。

 だが、失踪当時の詳しい情報までは渡されておらず、侍女たちは当然、ヘルグの名前を知らなかった。


 ざわつき始めた室内に気付いたカミエは、厳しい口調で声を割り込ませた。


「陛下に対して無礼だ。頭を下げよ!」


 腹に響くような一喝にヘルグはようやく我を取り戻し、慌てて平伏した。


「も、申し訳ございません! 行方不明になってしまった私の婚約者に生き写しで、ついついご尊顔を凝視してしまいました!」


 婚約なんかしてない! とヴィアは思わず心で絶叫した。

 いや、雇い主がヴィアの知らぬところで勝手に話を受けちゃってたから、本人には婚約と伝わっているのかもしれなかったが、ヴィアは納得していない。


 ああ、あの時はひどい目に遭った……とヴィアは改めて当時を振り返った。

 ヴィアが家庭教師をしていたのはアガシという準貴族の家で、息子夫婦を事故で失い、孫娘を育てている六十前の夫人がヴィアの雇い主だった。

 家庭教師という職はそこそこ身分が保証されるが、雇い主が壮年の男性であれば若い家庭教師に手を出してくることも稀にあり、だからわざわざあの家が選ばれたのだろうとヴィアは思う。

 おそらく、その人となりも調べた上での紹介であったようで、実際、雇い主であるアガシ夫人は非常に温厚で親切な人柄で、ヴィアには何の不満もなかった。

 なのに、このヘルグがヴィアに一目惚れしちゃったせいで、ヴィアの運命は変な方向に転がり始めたのである。


 大店おおだなの跡取り息子で、商才もあり(何しろ、後に皇后の離宮に呼ばれるほどだ)、容姿も整っていて性格も温和、こんな優良物件がヴィアに夢中だと知った奥方さまは、この縁を逃すべきではないと猛然とヴィアに攻勢をかけ始めた。

 そこにあるのは善意だった。

 身寄りのないヴィアを常より案じていた奥さまは、「望まれて嫁ぐのが女の幸せ」とばかりにヘルグ家に承諾の返事をしてしまい、ヴィアは進退窮まった。

 そしてヴィアはついに夜逃げのように家を出ていく羽目になり、その後、紆余うよ曲折きょくせつあって今に至る。


 一方、ヘルグの言葉に侍女たちは僅かに眉宇を顰めていた。 

「皇后陛下にそっくりな女性が?」


 そしてあり得ないと言うように首を振った。

「まさか。皇后陛下のような女性が世に二人といるとは思えませんわ」


 ある意味正しい。

 だって本人だもの。


 平伏するヘルグを前に、ヴィアは腹を決めた。こうなればもう、しらばっくれるしかない。

 だって仮にも皇后が昔、準貴族の家の老婦人を「奥さま」なんて呼んでいたことがバレたら、立場上非常によろしくない。

 ヘルグの婚約者とやらは失踪して今も行方不明、それで決定だ!

 





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― 新着の感想 ―
[気になる点] 最初の方で、護衛騎士がエベックになってますが正しいですか?
[気になる点] シリーズ名を旧題のままにして、その一部として新たな題名をつけたのか。 書籍の題名なのかどっちなんでしょう? [一言] 書籍化おめでとうございます。 王族の家族会の言及があったので、いつ…
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