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外伝 側近は、皇后陛下の手のひらで転がされる 12

 あの後、会場は暫くざわめきがおさまらなかった。

 犯した罪以上に、王の御前で嘘を重ねた姿があまりに見苦しく、更には衛兵に引きずり出されるように連れ出された事で、カインズ家の名はまさに地に落ちた感があった。


 その後、何事もなかったように、夜会は再開された。

 一曲目を踊ったのは、セルティス皇弟殿下と王弟の妃殿下で、これは招待客の中で一番地位が高い男性と、主催者側の女性が踊る規則になっているためだ。


 断罪劇の興奮が残るホールで、まるで先ほどの騒ぎなど初めからなかったように、二人は柔らかな笑みを交わして、軽やかにステップを踏んでいく。

 洗練された優美なダンスに引き込まれるように、会場内のざわめきもいつしか消え失せ、二曲目が演奏される頃には、舞踏会はいつも通りの華やぎを取り戻していた。


 その様子を確認して、ルイタスはそっとセディアを両陛下の元へ案内していく。退出の許可をいただくためだ。


 招待客の最高位にあるセルティスは舞踏会を抜ける訳にはいかないが、一方のセディアは、公の場で皇女の身分を回復した事で、一応の役割は終えた状態だ。

 社交に慣れておらず、準備期間もなかったセディアは早々に場を辞しておく必要があり、その事はすでに両陛下にも話が通してあった。


 両陛下に挨拶を済ませた後、目立たぬように会場を抜けたところで、ルイタスは聞き覚えのある声に呼び止められた。

 友を二人連れた、ジェイスだった。


 三人はセディアの前に頭を下げ、自分たちがグレンの友人であった事を告げ、友として何の力にもなれなかったことを改めてセディアに詫びた。

 その上で、あの三年間半をグレンがどのように過ごしてきたかどうしても知りたいと、真摯に頭を下げてきた。


 彼らにしてみれば、今日が最後のチャンスだった。

 アンシェーゼの皇女としての身分を取り戻したセディアは、数日後には母国に帰り、手の届かない存在になってしまう。

 その前に、亡き友についてきちんと話を聞いておきたかったのだ。


 セディアにしても、それは嬉しい申し出だった。

 婚姻は無効となり、それはセディアの望みでもあったが、こんな形でグレンと縁が切れてしまう事には抵抗があった。


 三人と話がしたいというセディアに、ルイタスはちょっと考えた末、司祭と一緒で構わなければと言葉を返した。

 ローマン司祭もまた、シーズを離れる前にセディアと話をする事を望んでいたからだ。


 五人で控えの間に足を運ぶと、司祭は少し驚いた様子だったが、彼らがグレン・カインズの友だと名乗ると、会えた事を心から喜んでくれた。


 司祭は、誰も訪れる事のない別邸で、グレンが寂しく日々を送っていた事を知っていた。

 ただ、友が何度も自分を訪れてくれていた事は知っており、それについて大層喜んでいたと伝えると、ジェイスらは良かったと呟き、溢れ出る涙を拳で何度も拭った。

 

 別邸での様子を知りたがったため、セディアはグレンと過ごした三年余の日々を彼らに語った。

 苦しみ抜いた三年間を、グレンがどのように自分と向き合って生きていったか。日々の生活の中で、グレンがどのような事に興味を覚え、どんな事に喜びを見つけていったか。


 司祭もまた、自分が病室を訪れた時のグレンの様子を静かに話してくれた。

 グレンは当時、まさに苦しみの最中さなかにあったが、もがきながらも正しい道に向かって必死に歩み出そうとされていたと司祭は言った。

 それがどれほど大変な道のりか、セディアには想像する事もできないが、そうやってグレンは祈りを積み重ね、確かに心の平穏を築いていったのだ。

 

「わたくしは今日、カインズ家と縁が切れました。けれどグレンは大事な家族で、きっと一生忘れる事はできないでしょう」

 セディアは呟くように司祭に言った。

「こんな風にシーズを離れるわたくしを、グレンは許してくれるでしょうか」


「……それこそが、私がまさに貴女様にお伝えしたかった事です」


 司祭は小さく微笑み、反対に尋ね返した。

「セディア様は、婚姻が無効である事を伝えなかったグレン殿を恨んでおいでですか?」


 セディアはちょっと考え、静かに首を振った。

「あの閉ざされた空間で、わたくし達は互いを労り、共に成長し、穏やかな時間を重ねて参りました。

 かけがえのない時間であったと思っています。


 何よりグレンはわたくしを必要としてくれました。それはわたくしにとって、確かな喜びでした」 


 司祭は小さく頷いた。


「グレン殿が罪を告解なさった時、グレン殿は泣きながら貴女様に謝っておいででした。

 この婚姻が無効であるという事実をどうしても口にする事ができず、苦しんでおられたグレン殿に、伝える必要はないと言ったのは私です」


 そして司祭は、亡きグレンを懐かしむように柔らかく瞳を眇めた。

  

「貴方にとってセディア様が必要なら、無理に言う事はない。その代わり、セディア様が幸せになるよう、日々お祈り下さいと私はグレン殿に申し上げました。


 祈りはいつか力になり、セディアを守るだろうかとあの方は尋ねられ、私は必ずそうなるとお答えしました。

 そして、その事でようやく心の安寧を得られたのか、グレン殿は本当に嬉しそうに微笑まれ、死ぬ最後の瞬間まで、自分はセディアの幸せを祈るだろうとおっしゃったのです」


「グレンがそのような言葉を?」

 思わず涙が溢れ出てきて、セディアは震える手で口元を覆った。


「はい」

 司祭は大きく頷いた。

 静かな慈愛が眼差しに満ちている。

 

「お幸せにおなり下さい。それがグレン殿のたった一つの望みです」

 セディアはその言葉を噛み締めるように瞳を伏せ、司祭の前に深々と頭を下げた。



 その夜、離宮に戻ってから、セディアは何度もその言葉を思い起こした。

 司祭の言葉は支えとなり、セディアは誰に恥じ入る事なく生きていって良いのだと、そう自分に信じる事ができるようになった。

 そして、その安らぎを与えてくれたのは亡きグレンだった。

 共に過ごした歳月を穏やかな気持ちで思い起こし、セディアは静かにグレンの冥福を神に祈った。 

 



 その後、残されたシーズでの日々を、セディアはのびやかに離宮で過ごした。


 公式の予定は出国前夜の両陛下との会食だけで、皇族としての社交は一切行わなかった。

 実を言えば、セディア皇女を招きたいといろいろなところから招待が殺到していたのだが、場に慣れぬセディアを気遣って、セルティスがすべて断ってくれていた。

 お陰でセディアは大変助かったのだが、その分皺寄せはセルティスにいったらしく、セルティスは離宮で寛ぐ間もなく、朝から晩まで社交に明け暮れていた。

  

 ようやく帰国当日となり、さすがにこの日だけは空けてもらったセルティスは、久しぶりにセディアの許を訪れた。


 前の晩、断り切れずに杯を重ねたため、体にはまだ少し酒が残っている。

 重だるい体を引きずるように姉の許を訪れれば、その傍らには当然のようにルイタスの姿があり、いかにも親密そうに寛いだ二人の様子に、セルティスは思わず眉間に縦皺を寄せた。


 不測の事態に備えて、ルイタスがずっと離宮に詰めていた事は知っているが、実の弟を差し置いて、一人だけいい思いをし過ぎだろうとセルティスは思う。


「私だけどうしてこんなに忙しいんだ」

 もやもやとした不満を取り敢えずルイタスにぶつけると、 


「外交、ご苦労様です」

 全く心の籠らない口調でルイタスがそう言葉を返してきた。


 皇族に対する敬意など微塵もなく、友人の弟をあしらっている感が半端ない。


 普段ならここで絡んでやるのだが、今日のセルティスはちょっと違う。

 母国にいる姉上から命じられた任務を遂行しておかなければならないし、かねてから温めていた例の野望を、今こそ実行に移すべき時であったからだ。


 寛いだ様子でセディア姉上と笑みを交わすラダス卿は、いかにも大人の男といった感じで、セルティスの目から見ても大層格好いい。

 このラダス卿を慌てさせ、振り回す事ができたら、自分もいよいよ一人前の男になったと言えるのではないだろうか。(と、セルティスはそう信じた) 


 ……余談ではあるが、打ち負かしたい相手が何故ラダス卿なのか、何故アントーレ卿やモルガン卿ではないのか、セルティスは以前、つらつらと考えてみた事がある。

 結果、前者には上官としての刷り込みが入っているし、後者は冗談が通じなさそうで後が怖いという結論に達した。

 で、消去法で残ったのがラダス卿。

 ……ご愁傷様である。


 という事で、セルティスは何食わぬ顔で席に着いた。


 軽い二日酔いである事を伝えていたためか、侍女が用意したのは、ミントの香りがするハーブティーだった。

 お茶が注がれたカップから清涼感のある香りが辺りに広がっていく。


「姉上とこうしてお茶の時間が取れて本当に良かった。

 実は、皇后陛下からセディア姉上の今後について話をしておくよう、頼まれていたんです。

 なかなかご一緒できなくて、少し焦っていました」


 セルティスはそう言い、優雅な仕草でカップを手に取った。

「ああ、やはり美味しいですね」

 爽やかな香りがふわりと口の中に広がり、セルティスは満足そうに瞳を細めた。


 その様子を見て、セディアが不思議そうに口を開く。

「セルティス様は、ハーブティーを嗜まれるのですね」

「ヴィア姉上が好きだったんです。ですから、子ども時分はよく飲んでいましたよ」


 ハーブが好きと知り、笑みを深めるセディアと対照的に、ルイタスは軽く眉宇を寄せた。

 先ほどのセルティスの言葉が、妙に気に掛かったからだ。


「今後とはどのような事でしょう?

 セディア様のお披露目の日程が決まったのですか?」

 

 セルティスは楽しそうにルイタスを見た。

「内輪の会で少しずつ社交の雰囲気に慣れていただいて、お披露目はそれからだと言われていた。

 根回しも必要だから、ひと月、ふた月くらいは様子を見るつもりなんじゃないかな」


 そしてセルティスはいきなり二人に爆弾発言を落とした。

「皇后陛下がおっしゃられているのは、セディア姉上の結婚話だ」


「結婚?」

 二人は顔色を変えて叫んだ。


 思いもよらぬ言葉に、セディアの頭は真っ白になった。どくどくと胸の鼓動だけが大きく響き、指の先から冷たくなっていく。


「……わたくしはアンシェーゼに迎え入れていただけるのではないのですか?」

 セディアは胸もとで手を握り合わせ、消え入るような声で尋ねかけた。


 一方のルイタスの方は怒りを露わにした。

「結婚とはどういう事です!

 せっかく皇室に戻られたと言うのに、すぐ次の嫁ぎ先を決められるなど、まるで殿下を追い出すような仕打ちではありませんか!」


「追い出すなど人聞きの悪い」

 セルティスは嫌そうに眉を顰めた。

「身分を取り戻されたのだから、どこかに嫁がれるのは当たり前の事だろう。

 それともラダス卿は、セディア姉上が一生、独身を貫かれるべきとでも?」


「そんな事を言っているのではありません!」

 ルイタスは厳しい声で言い返した。

「いずれ嫁がれるにせよ、今はまだ早過ぎます。セディア殿下はようやくアンシェーゼに戻られるのです。

 陛下やご弟妹方とごゆっくり親交を温められれば良いではありませんか」


「勿論、皇后陛下はそのおつもりだ。

 皇族の結婚だから、どんなに早くても半年は先の話になる。ラダス卿だってそれくらいわかるだろう?」


「しかし……」


「婚約者を決めぬままお披露目をしても一緒の事だ。

 皇女殿下ともなれば、求婚が殺到する。その前に、しかるべき家柄の相手を選んでおきたいと願われるのは、陛下としてはごく当然の事だ」


 セディアは何も口を挟めず、ただ縋るようにルイタスを見た。


 自分はもう二十一だ。皇室の姫としては、はっきり言って行き遅れだろう。

 だから、皇帝陛下や皇后陛下が新しく縁談を決められたとしても、感謝すべきなのはわかっていた。

 けれど、心がついていかない。

 家族として受け入れてもらえると信じていただけに、すぐに外に出されてしまう失望や悲しみの方が大きかった。


 そんなセディアを見て、ルイタスが黙っていられる訳がなかった。

「どんなお相手であろうと、セディア殿下の望まれぬ縁談を強いるなど馬鹿げています!

 大体そんなに都合よく、皇女殿下を降嫁させられるような貴族が見つかる筈がない」


 珍しく怒気を露わにするルイタスをさらっと放置し、セルティスはセディアの方へ目を向けた。

「申し分ない家柄で、容姿もまずまず、年齢も六つ上なだけです。一応、皇后が身辺を調べたようですが、今のところ庶子ももうけてはおりません。

 財力もあるし、健康です。変な趣味とかも持っていないと思いますよ、……多分」

  

 何だか、最後の言葉が非常に気にかかる。が、問題なのはそこではなかった。

「とにかく殿下が望まれぬのであれば……」

 言い募るルイタスをセルティスは片手で制した。


「姉上はやっぱり気が乗りませんかね。嫁ぎ先はアンシェーゼの名門ラダス家です。つまりこちらのルイタス殿なわけですが」


「え……?」

 今にも泣きそうになっていたセディアの涙が引っ込んだ。

「ルイタス様?」


 二人は心底驚いてお互いを見つめ合う。

 暫くは、意味が理解できない様子だったが、ややあってセディアの頬がうっすらと朱に染まり、それに気付いたルイタスもまた頬を緩ませていく。


 すごくいい雰囲気になりかけたのだが、そんな甘やかな空気をきれいにぶった切ったのは、お邪魔虫のセルティスだった。


「セディア姉上。ここでラダス卿について残念な事をお伝えしなければなりません」


「ざ、残念?」


 ルイタスはぎょっとセルティスを振り向いた。

 未だかつて、ルイタスは残念という紹介の仕方をされた事はない。


「実はラダス卿には結婚歴があるのですよ。結婚後半年で、その奥方を事故で亡くされているのですが」

 ルイタスはあっという顔で、慌ててセディアの方を見た。別に隠していたつもりはなく、伝える機会がなかっただけなのだが、セディア様はこの事をどのように思われるだろう。

 ルイタスは急に不安を覚え始めた。


 そんなルイタスをちらりと見て、重々しくセルティスが言葉を継いだ。

「お嫌ですか? 嫌ですよね。未婚の皇女を、結婚歴のあるような男に嫁がせるなど、あり得ないですよね。ご心配は要りません。姉には私から断って……」


「嫌ではありません!」

 思わず叫ぶように言ってしまい、その後セディアは真っ赤になった。

 一方のルイタスは、その言葉に小躍りしたいような気分になったが、ふと、そんな自分をセルティス皇子が妙に生ぬるい顔で観察している事に気が付いた。


 何だか嫌な汗が背中を伝う。

 内心焦りまくるルイタスに、セルティスは更に追い打ちをかけた。


「ラダス卿。これは命令ではありません。

 ラダス卿が気に染まぬと言われるのであれば、今、この場で言っていただきたい。

 ああ、セディア姉上の事はご心配なく。若くて美しい未婚の皇女殿下であれば、いくらでもいい嫁ぎ先はありますからね。皇帝と皇后が責任をもって、ラダス卿以上に素晴らしいお相手を……」


 セディアが悲しそうに顔を曇らせるのを見て、我慢できずにルイタスは叫んでいた。 

「私がセディア皇女殿下を望みます。是非、妻にお迎えしたい!」

 考えるよりも先に言葉が出てしまった感じだ。


「ですよね!」

 満足そうにセルティスが言い、この瞬間、ルイタスは自分がこの皇弟殿下に完全に遊ばれていた事を自覚した。

 それについては何とも言えない気分になったが、当事者であるセディア様がそれはそれは嬉しそうな顔をされたので、まあ、いいかとルイタスは思った。

 

 が、ここでセルティスの攻撃(?)が終わった訳ではない事を、ルイタスはすぐに思い知らされた。

 くすぐったいような気持ちでお互いを見つめ合っていると、横に座っていたセルティス殿下がわざとらしく咳払いしてきたのだ。


「という事で、任務完了です。

 ……やっぱり皇后陛下にはかなわないな」

 

 意味が分からず眉根を寄せると、「実は、姉上から頼まれていたんですよね」とセルティスが種明かしをしてきた。

「どうもラダス卿はセディア様の事が好きみたいだから、二人の気持ちを確かめて話をまとめておきなさいと」


「は?」

 いつの間にそんな話が、とルイタスは面食らう。

 セディア皇女について自分が皇后に話したのは、帰国した翌日の面会だけだ。それ以降、何度も顔を合わせているが、そんな事を匂わされた覚えは一度もない。


 そんなルイタスをにやにやと見て、セルティスは楽しそうに言葉を続けた。

「ラダス卿って、セディア姉上の件で、皇后に面会を求めた事があるんだよね」

「え? ええ。皇后陛下に是非お力になっていただきたくて」

「その時の皇后陛下、妙に機嫌が悪くはなかった?」


 当時を思い出し、ルイタスは思わずどんよりした気分になった。

「……よくご存じですね」

 妊娠中の情緒不安定とかで、あの日、ルイタスはひどい目に遭った。冷や汗をかいて喋り続けた日の事は、忘れようと思っても忘れられない。


「あれ、姉上の手なんだよね」

 どこか遠い目をしてセルティスが言った。

「いつも朗らかで優しいから、稀に機嫌を悪くされるとものすごく焦って、ある事ない事全部喋らされてしまうんだ……。

 姉上もラダス卿の事ではずいぶんやきもきしていたみたいだから、ここだと思って勝負に出たんだろなあ」


 あれは演技だったのか……。ルイタスにとっては驚愕の事実である。

 それはまあ、ともかくとして……。


「……皇后陛下がやきもきしていた? ……勝負?」

 ルイタスにはさっぱり意味がわからない。

 首を傾げるルイタスに、「やっぱり気付いてなかったんだ」とセルティスは呟いた。


「大体、変だと思わなかった?

 奥方の葬儀の翌日には再婚を勧めてきたお父上が、あれ以来、ずっと沈黙を守っている事。

 あれって実は、皇帝陛下がお父君に釘を刺したからなんだけど」


「……釘を刺した?」

 ルイタスは驚愕した。

「ええと、どんな事を?」

「ルイタスの結婚については自分に考えがあるから三年待ってやってくれって」


 初耳だ。本人の知らないところで、一体何が起こっているのだろう。


「……どうしてそんな事を?」

「そりゃあ、姉上がそうなさいと言ったから」

 至極当然といった口調でセルティスが言う。


「親の言いなりに結婚をさせてはダメだって。

 きちんと好きになった相手と結婚をさせないと、ラダス卿が歪んでしまうからとか、兄上には言ったらしいね。

 兄上の方は、もうひねくれているから大丈夫だって言ったみたいなんだけど……」


「……」

 何だかもう、どこから突っ込んでいいものか、ルイタスにはわからなかった。


「で、お二人はラダス卿が好きな相手を見つけるのを、じりじりしながら待っていたらしいんだ。

 だけど、待てども待てども、そういう相手が出てこない。

 国内のきれいどころには全く興味がなさそうだし、じゃあ、国外なら気になる女性が見つかるかもって、せっせと外国にやったんだけど、そっちも全然成果なし」


 やたら国外ばかり行かされていたのはそのせいだったのか……と、ルイタスはようやく得心した。

 

「セディア姉上の件を頼まれた時に、私は初めて聞かされたんだけど、アントーレ卿やモルガン卿は、早くから陛下の相談を受けていたようだよ」

「へ?」

「だから、これぞっていう姫君を、二人はせっせと紹介してたみたいだけど、ラダス卿は全然靡かなくて」


 ……そう言えば、二人からはやけに女性を紹介されていたなとルイタスは思う。

 堅物のアモンや、他人への干渉を面倒くさがるグルークがそんな事をするものだから、結婚して頭に花が咲いたのかくらいに思っていたのだが。


 と、そこで言葉を切ったセルティスが、面白がるように口の端を上げた。

「ルイタス様は晩熟おくてだから……と、姉上は本気で心配していたみたいだった」


「私が、……晩熟?」

 思わず呆然とするルイタスには構わず、セルティスは更に言葉を続けた。


「何でそこまで恋愛結婚に姉上がこだわるのか、私にはよくわからないんだけどね。

 このまま政略結婚をさせたら、結婚なんてこんなものだとうそぶいて、妻と心を通わせる事なく、誰かを愛するという気持ちもわからないまま、一人ぼっちで寂しく死んでいくような気がすると、姉上は大層心配されてたんだ」

「……」

「で、それを聞いた皇帝陛下が、机をバンバン叩いて爆笑しておられたんだけど、何でなの?」


 ルイタスは頭を抱え込んだ。

 何でなの? って、そりゃあ陛下は大笑いするだろう。

 かつて同じような言葉をアレク陛下にぶつけたのは自分だからだ。


 そこそこ遊んでいると言うだけで、当時の陛下は女性を信用せず、執着もせず、大切にもしていなかった。

 政略で嫁いできた女性を取りあえず正妃に据え、どの女性にも心開くことなく、一人ぼっちで老いていくだろう……と、そんな悲惨な未来図を、からかい半分、陛下に描いてみせたのは他でもないルイタスである。


 まさか、あれから数年が経って、同じようなことを自分が言われるとは思ってもいなかった。


 それにしても……とルイタスは大きく溜め息をついた。


 自分はセディア皇女の窮状を皇后に伝えて、何とか今の境遇から救い出して差し上げたいと思っていただけなのに、皇后の方は、ルイタスが自分でも気づかなかった皇女への恋心に感付いて、素早く手を打ってこられた。

 しかも話を進めるために、頭の切れる弟君を問答無用で引っ張り出してこられた鮮やかさ。


 ……皇后陛下、おそるべし!

 ルイタスはもはや、それ以外に言葉は出なかった。



 勝手に燃え尽きているルイタスを放っておいて、セルティスは改めてセディアに笑いかけた。


「姉上の婚礼準備は、両陛下がアンシェーゼの威信をかけて執り行うとおっしゃっておられました。

 お相手が、陛下の側近のラダス卿であれば、それはもう盛大な式になる事でしょう」


 その様子を思い描き、セルティスは楽しそうに笑みを弾ませる。

「婚約期間は最低でも半年だと皇后陛下がおっしゃっていました。どんな婚礼支度にするか、今からいろいろ考えておられるようですよ。

 その前に皇女殿下には、妹君や弟君、それからお子様達を紹介したいと、皇后は本当に楽しみにしておいでです」


「まあ」

 セディアは嬉しそうに答えた。その瞳が僅かに潤んでいる。

「わたくしは随分な大家族でしたのね」

 

 グレンが亡くなった時、アンシェーゼの皇室はセディアに対して何の弔意も示してこなかった。だから、アンシェーゼにとって自分はどうでもいい存在なのだと思い込んでいたが、どうもそうではなかったらしい。


 セディアの窮状を知った皇帝陛下と皇后陛下はすぐに手を差し伸べてくれ、異母弟のセルティスはセディアを迎え入れるために自らシーズに足を運んでくれた。

 そのお陰で、自分はようやく帰国できる。


「ありがとうございます。わたくしを家族に迎え入れて下さって、本当に感謝致します」


 そうお礼を言うと、セルティスは笑った。

「お礼ならば、私ではなくラダス卿に……」

 言いかけたセルティスはふっと言葉を途切らせ、「いや、ちがうな……」と呟いた。


 セルティスが誰の事を思い出しているのか気付いたルイタスは、楽しそうに口を開いた。

「一番の功労者は、おそらく皇后陛下ですね」


「皇后陛下? ……皇帝陛下ではなくて?」

 不思議そうにセディアが問う。

「はい。その皇帝を動かしたのが、皇后ですから」


「皇后が陛下の傍に侍るまでは、私は陛下の視界にも入っていませんでしたよ」

 ルイタスに続き、そう言葉を続けるのはセルティスだ。

「家族に対する陛下の考え方を変えたのは、皇后です。

 蟄居させられていたロマリス皇子を、手元におくきっかけを作ったのも皇后ですし……」

 

 セディアは大きく目を見開いた。

 そもそもロマリスが皇室に迎え入れられる事がなかったら、セディアは助けを求める勇気も持てず、あのまま自分の人生を諦めていただろう。


「それに、私の政略結婚を阻んで下さっていたのも皇后陛下のようですしね」

 苦笑混じりにルイタスが続けた。


 自分が危うく思われていたなど考えもしなかったが、あの時、皇后が無理やりにでも介入してくれなかったら、今頃自分は愛のない結婚に甘んじていた。

 虚ろな心を持て余したまま、仮面の笑顔を張り付けて生きていたに違いない。


「愛する女性を妻にと望む日が来るなど、今まで考えた事もなかった」

 ルイタスはそう呟き、柔らかな苦笑を口元に零した。


「セディア殿下」

 そしてルイタスはセディアに向き直ると、真摯な眼差しで求愛した。

「一生をかけてお守りいたします。どうぞ、私の妻になって下さい」


 セディアは目を瞠った。

 その瞳にみるみる涙が滲み、セディアは思慕の限りを込めてルイタスを仰ぎ見た。

 幸せそうな笑みを口元に浮かべ、セディアはゆっくりと口を開く。


「はい」


 言葉を紡いだ途端、堪えきれなくなった涙がひとしずく、セディアの頬を伝い落ちた。








 アンシェーゼに戻ったセディア皇女は、帰りを待ち侘びていた兄夫妻、弟妹らに歓迎され、その足で、手入れの済んだ藍玉宮へと入られた。

 翌日から皇女教育のやり直しが始まり、その合間を縫って、セディアは毎日水晶宮に足を運び、弟妹や甥姪に囲まれて賑やかな時を過ごすようになった。

 幼子達は新しい家族にすぐに懐き、セディアは楽しく振り回され、あっという間に皇室に馴染んでいった。

 

 帰国からふた月後、セディア皇女のお披露目が盛大に行われ、その席で、皇帝の側近でもあるルイタス・ラダス卿との婚約が発表された。


 この時期、皇室では慶事が続き、婚約の一か月後には皇后が皇女殿下を出産(フィオラディーテと名付けられたこの皇女は、後に、同い年のシーズの王太子に嫁す事となる)、セディア皇女は皇后の抜けた穴を埋めるべく、皇族女性として様々な行事や催しに出席され、国に貢献された。


 半年の婚約期間を経て、セディア皇女はラダス家に降嫁された。

 嫁入り支度は贅を極め、道具類や衣装を乗せた荷馬車が十何台も続き、沿道で手を振る民衆らの目を大いに楽しませたと伝えられている。

 

 お読みくださいまして、ありがとうございました。

 元々、ロマリス皇子を皇家に迎え入れた時点で完結の予定でしたが、その後を読みたいと言って下さる方がいて、ヴィアやアレクのその後を楽しく想像するようになりました。

 感想や、レビュー、評価を下さった方に、心よりお礼申し上げます。


 何故、あの三人がアレクの側近になったのかを書く機会があればいいなと思っていましたので、今回、回想の形で書き進めることができて嬉しく思っています。

 どうぞ、この作品を楽しんでいただけますように。

 


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― 新着の感想 ―
もう何十周目になるか、外伝の中では一番好きです!書籍化したら購入します。 電子書籍は4冊全部購入済み。 もし書籍化した暁には、ロマリスの話、ゼティア、ルイタスの話をメインに、グレン視点、グラークなど側…
いつか、セディアの話が書籍かされる際には、グレンの視点の話を入れて下さい。この話の主人公は、グレンでセディアとルイタスは、明くまで語り部だと思いますので。 ほかの人から見た、接した、考えただけでなく、…
[一言] グレンの話、泣きました。。。 話が深かったです。読めて良かったと思いました。 素敵な作品をありがとうございました! m(_ _)m
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