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外伝 側近は、皇后陛下の手のひらで転がされる 10

 使用人達と涙の別れをして、離宮に入ったセディアだが、そこでは怒涛の展開が待ち受けていた。

 明日の夜会に向けての衣装合わせが始まったのだ。

 

 あっという間に男性二人は遠ざけられ、大きな姿見の置かれた部屋で、セディアは次々とドレスを着換えさせられた。

 ネックレスや小物なども合わせられ、そのバランスや雰囲気を見比べて、一番セディアに似合うドレスが選ばれると、今度はお針子達が、微妙に寸法が合っていない部分の補正に取り掛かる。


 半刻近くをかけてようやく補正が終われば、今度は髪結いの女が丁寧にセディアの髪を結い上げていき、ドレスとの相性を見ながら、髪型や髪飾りを決めていった。

  

 きちんとした夕食をとるような時間もなかったため、途中で軽食を挟んでの強行軍だ。

 気付けば日はどっぷりと暮れており、聞けばセルティス皇子はすでに王族との晩餐会に出掛けられたとの事だった。

 

 ようやく夜会の前準備も済み、明日の流れについて侍女達から詳しい説明を受けていると、何やら入り口の辺りが騒がしくなった。

 衛兵と誰かが揉めているらしく、怒声のようなものが途切れ途切れに聞こえてくる。


 その声がカインズ卿のものだと気付き、セディアは体を強張らせた。セディアが勝手に別邸を出た事を伝え聞き、連れ戻しに来たのだろう。


 震える手を握り合わせた時、誰かが足早に駆け付けてくる音がした。

 そして軽いノックと共に、耳慣れた声がセディアの耳朶を打つ。


「セディア様、ご無事ですか?」


 侍女の一人が慌てて扉を開けると、ルイタスが入室してきた。

 騒ぎを知らされて自室から駆け付けてきたものらしい。


 やがて、対応に出ていた使用人が部屋に戻って来る。


「カインズ卿夫妻が来られたのか?」

 ルイタスの問いに、使用人は「はい」と答えた。

「かなりお怒りのご様子です。すぐにセディア様を連れて来るよう、玄関口で騒いでおいでです」


「そうか」とルイタスは頷いた。

 報せを受けてすぐに怒鳴り込んでくるかと思っていたが、思ったよりもカインズ卿夫妻は慎重だった。おそらく、セルティス殿下と直接対峙するのを避けたかったのだろう。


 シーズを初めて訪れた大国の皇族が、王夫妻との晩餐会に招かれない筈がない。セルティス殿下が晩餐会に向かわれた事を確かめて、二人はこちらにやって来たのだと思われた。

 家長であるカインズ卿が宮殿で騒ぎ立てれば、セディア様は顔を出さない訳にはいかなくなる。

 直接会って脅しつければ、連れ帰る事は可能だと信じているに違いない。


 ルイタスはやや青ざめた面持ちのセディアを振り向き、安心させるように微笑んだ。

「心配は要りません。セディア様は、シーズ王陛下の許可をいただいて、こちらにいらっしゃるのです。

 その決定に、一貴族が口を挟む事は許されません」


 そして、使用人の方を問い掛けた。

「セディア様はもう休まれていると伝えたのか」

「はい。けれど納得されません。

 家長の自分が呼んでいるのだから、すぐに姿を見せるようにと大変な剣幕です」


「……だろうな」

 ルイタスは小さく吐息をつくと、ジャケットの襟を整えた。

「案内してくれ」



 離宮の入り口では大変な騒ぎになっていた。夫人は自分が王の従姉妹姫だとわかっての所業かと居丈高に衛兵を叱りつけ、入り口を守っている衛兵らは困ったように顔を見合わせている。


「お前達では話にならん。とにかくすぐにセディアを呼んで来い!

 家長の私がここまで出向いてやったのだ。それなのに無視を決め込むとは、身を弁えぬにも程がある。

 グレンが死んだ時も、体調が悪いと理由をつけて、葬儀にすら顔を出そうとしなかった薄情な嫁だ。

 別邸で気楽な生活をさせてやったのが仇となったか。

 つけあがるのもいい加減にせよと、あの不出来な嫁に伝えてやれ!」


 漏れ聞こえてきた内容のひどさに、ルイタスは思わず足を止めた。

 腹の奥から怒りが込み上げてきたが、それをぐっと呑み下し、扉の内側で控えている使用人に扉を開けるよう目配せする。


 扉の内側から姿を現したルイタスに、カインズ卿夫妻は、動揺を隠せずに視線を彷徨さまよわせた。アンシェーゼの皇帝の側近として名の知れたラダス卿が、まさかこの場にいるとは思ってもいなかったのだろう。


「これはこれはカインズ卿ご夫妻ではありませんか。

 こんな夜分に一体、何の騒ぎですかな」


 ぐっと言葉に詰まったカインズ卿は、強張った頬に無理やり笑みらしきものを張り付けた。


「ご無沙汰しております。よもやこのような場所でラダス卿にお会いできるとは思ってもおりませんでした」


 少々の相手なら、シーズ王の縁戚であるという威光で黙らせるのだが、ラダス卿が相手であればそうもいかない。ラダス卿はアンシェーゼ皇帝の執務補佐官という肩書を持っており、敬意をもって接しなければ後でまずい事になる。


 不快を抑え、にこやかに挨拶を交わした後、カインズ卿はいかにも困った表情を装って、ルイタスに訴えてきた。


「嫁のセディアがここに来ていると知り、わざわざこちらに足を運んでやったのです。ところが義理の親をこんな場所で待たせて、顔を見せようともしない。

 ラダス卿からも、言い聞かせてやってくれませんかな」


「申し訳ありませんが、セディア様はすでに休まれておいでです」

 ルイタスは慇懃に断った。

「セルティス殿下の命で、誰が来ても通すなと言われております。今日のところは、どうぞお引き取り下さい」


 カインズ卿の顔にさっと朱が差した。まさか断られるとは思ってもいなかったのだろう。

 手ぶらでは帰れぬカインズ卿は、やや表情を険しくしてルイタスに詰め寄った。


「セディアはカインズ家の嫁ですぞ。義父が会いに来たのに姿も見せないなど、礼儀知らずにもほどがある。

 甘やかしたせいで、すっかり増長してしまい、あやつには本当に困ったものです。とにかく、すぐにこちらに来るよう伝えていただきたい」


 アンシェーゼの貴族に対し、セディアは礼儀を弁えぬわがままな人間だという印象を植え付けておきたいようだ。

 その意図に気づき、ルイタスは苦笑した。


「急ぎのご用件ですか?」

「家長の私が会いたいと言っているのです。それだけで十分だと思いますが」


「先ほどもお伝え申し上げたように、セディア様はすでに休まれておられます。

 お話があるのなら、明日、セルティス殿下がいらっしゃる時に改めて取次ぎをお願いされるか、セディア様が別邸に帰られた後にゆっくりお会いになるべきでしょう」

  

 そしてルイタスはにこやかに二人に向き直った。

「それにしても、一体どういう風の吹き回しでしょうか。セディア様をウズクに閉じ込めて、ここ数年会いにも来られなかったと聞いておりますが」


 普段温厚なラダス卿の毒を孕んだ物言いに、カインズ卿は怯んだように口を閉ざした。言葉を失う夫に代わって口を開いたのは夫人の方だった。


「家族内の問題ですわ。他国の方に、口を挟まれる筋合いのない事です」

「なるほど」

 ルイタスはあっさりと頷いた。


「確かに、この国の人間でもない私が口を挟む事柄ではありませんな。

 セディア様とどうしてもお話になりたいのであれば、セディア様をこちらに招く事を許されたシーズの王陛下に、まず許可をいただいては如何でしょうか」


 夫人は唇を噛みしめた。

 王に言えるような類のものではない事は、夫人自身、よくわかっているのだ。


「……何故、急にセディアを? あの者が何か文でも書いて寄こしたのでしょうか」

 怒りを押し殺した声で、カインズ卿夫人が聞いてくる。


 ルイタスはちょっと考え、「実は……」と切り出した。

「我が国の皇后陛下のご希望なのです。

 今、ご懐妊中なのですが、急に陛下の妹姫達に会いたいと仰せになられまして……」

「は?」


「ご懐妊中は、何かと気分が高下しやすいものですからね」

 ルイタスは、皇后のわがままには困ったものだとでも言いたげに両手を広げた。


「ですからセディア様だけではないのです。そのうち、セクルトに嫁がれたマリアージェ様とリリアセレナ様のところにも、打診がなされていると思いますよ。

 三姉妹とお会いできる事を、皇后は大層楽しみにしておいでです」


 そんなくだらない事のために自分達が窮地に追いやられているのかと、夫人が一瞬、鬼の形相になった。


「……気紛れも、度が過ぎますわね」

 声が怒りに震えている。


 その様子を冷めた目で眺め、ルイタスは薄い笑みを口元に刷いた。


「そういう事情ですので、今日のところはどうぞお引き取り下さい。

 国賓の間でこれ以上騒がれるようなら、我々としても衛兵の手を借りなければならなくなります」




 

 居間に戻ると、セディアが不安そうな面持ちでルイタスの帰りを待っていた。


「二人は帰りましたでしょうか」

「ええ。これ以上ここで騒ぎを起こしても、カインズ卿にはなんの得もありませんから」


 腹に据えかねるといった面持ちで渋々と引き返していったが、彼らにどう思われようとルイタスには痛くも痒くもない。


「……明日は、どのようになるのでしょうか」

 そんなルイタスの表情に気付く事もなく、セディアはぽつんと言葉を落とした。


 罪を暴くのは、すべてセルティス殿下がしてくれる。自分はただ、出席するだけでいい。そうわかっていても、セディアは不安を拭い去る事ができなかった。


「わたくしは、正式な社交デビューもしていないのです」

 自嘲の籠る声で、セディアは続けた。

 グレンが成人した時、内輪の会で披露はされた。けれどその後すぐにグレンが事故に遭い、そのままウズクの別邸に監禁された。


「公の場に立つ事も初めてですし、同年代の令嬢方との交流もありません。

 夜会でどのように立ち振る舞えば良いのか、わたくしは本当にわからないのです」


 セディア様の心配はごく当然だった。

 社交の場は、貴族らにとって家の浮沈をかけた戦場のようなものだ。ちょっとした失敗が命取りになる。


 ルイタスはその事を良く知っていたが、これ以上セディア様の不安を煽らないよう、柔らかな笑みを浮かべて、ソファーに座すセディアの前に片膝をついた。


「ご心配ならば、マナーや受け答えについて、明日、女官に手解きを受けられると良いでしょう。

 ですが、拝見する限り、その心配はあまりないと思いますよ。

 セディア様は幼い頃からのマナーが体に染みついておられるから、一つ一つの動作がとても美しい」


 そしてルイタスは、そっとセディアの手を取った。

 その温もりに触れて、セディアがようやく瞳を上げる。

 

「それに明日はご身分の回復が主となりますから、貴族達と親睦を深める必要はありません。

 何より、セルティス殿下も私もずっとセディア様の傍におりますから、セディア様を苦境に立たせる事は決して致しません」


「何があっても?」

 小さな声でセディアが尋ね、ルイタスは、「はい」と頷いた。


 それでもまだ不安に揺れる瞳を見て、ルイタスは思案げに瞳を伏せた。


 困難に立ち向かっていく気概がセディア様自身になければ、明日の夜会は到底乗り切れない。

 皇后が危惧しておられた通り、セディア様が公衆の面前でカインズ卿に貶められる事は、ほぼ確定している事項だからだ。


 シーズの王が望まれているように、公の場で従容と罪を認めてセディア様に謝罪するなど、あのカインズ卿夫妻に限ってあり得ないとルイタスは思っている。

 貴族としての生き残りを賭けて、彼らはなりふり構わずセディア様を攻撃してくる事だろう。 


「……セディア様」

 ルイタスは、静かに口を開いた。

「セディア様は以前、グレン殿を大事なご家族だとおっしゃいましたね」


 唐突な言葉に、セディアは訝し気に顔を上げた。

「その通りですわ」

「ならば、そのグレン殿のためにこうべをしっかりとお上げ下さい。グレン殿のご無念を晴らす事ができるのはセディア様だけなのですから」


「グレンの無念、を……?」

 セディアはその言葉をゆっくりと反芻した。

  

「はい。嘘に塗り固められたまま、利用されるだけ利用されて、このまま忘れ去られていい方ではありません。

 せめてグレン殿を大切に思っておられた友人の方々には、セディア様の口からきちんと真実をお伝えすべきでしょう」


 セディアは目を見開いた。


 ルイタス様の言われる通り、声を出さなくてはならないのは自分だった。

 断罪をすべて異母弟に任せ、ただ守られる事だけを望むなど、何と愚かしい事を自分は考えていたのだろう。


 セディアは、寝台に縫い付けられ、不自由な体で泣き叫んでいた幼いグレンを思い出した。


 王都から離れた別邸に閉じ込められ、グレンはどこにも行けなかった。

 外を歩く足はなく、物をつかむ腕もなく、動かせるのはただ、首から上だったのだ。


 どんなに口惜しかっただろう。どんなに運命を呪った事だろう。

 思い描いていた未来をすべて失った上に、グレンはそのせいで家族からも見放された。

 

 思い出すセディアの瞳に我知らず涙が浮かぶ。


 友が何度もグレンを訪ねてくれていた事を、ついこの間、セディアは初めて知らされた。

 連絡の途絶えたグレンを案じ、何度も館に足を運び、文を寄こしてくれていたというグレンの友人達。

 生きているうちに、その友人達とグレンを会わせて上げたかったと、セディアはその晩、悔しさに泣き咽んだ。


 何故……とセディアは思う。

 何もかも失ったグレンから、更に友さえも奪い去るなど、何故そんな残酷な事が彼らにはできたのだろう。

 親ならば我が子の苦しみに寄り添い、絶望の闇から救ってやるべきであったのに。


「グレンは両親を恨んでいました」

 頬を伝う涙をそのままに、セディアは呟くように言った。

「親を恨み、散々に罵って憎み続け、けれど心のどこかで、両親が自分に会いに来てくれるのを、グレンは最後まで待っていました」


 昔、父親からもらった絵を、グレンは最後まで寝室に飾っていた。

 ブルーニャから帰ってきた年に贈られたというその絵を、グレンは最後まで壁から外せとは言わなかったのだ。


 グレンはどんなに家族の訪れを待っていた事だろう。

 何もできなくてもいい、掛ける言葉がないのなら、ただグレンの傍にいてやるだけで良かった。

 涙するグレンの言葉を聞き、頬に手を添え、抱きしめてやるだけでグレンはどんなにか救われていた。


「わたくしはグレンの言葉をあの人達に伝えたい」

 セディアは涙の滲む声で静かに呟いた。


「グレンが何を思い、どう生きてきたか、思いを伝えられるのはきっとわたくしだけです」

 そう言ってセディアは、最後の涙を親指の腹で拭って気丈に微笑んだ。

 

 自分はいつの間にかグレンの年を追い越してしまっていた。この先自分がどれほど年を重ねようと、セディアの心に残るグレンは、ずっと十九歳のままだ。

 優しい思い出が今までセディアを支えてくれたように、今度はセディアがグレンのために強くならなくてはならないのだ。


 そうしたセディアの覚悟を読み取ったように、ルイタスが穏やかな眼差しで小さく頷いた。

 

「カインズ卿と会えるのは、明日が最後です。彼らが罪を認めるにせよ認めないにせよ、明日ですべての決着がつきます。


 どうぞ悔いを残されぬよう、しっかりと思いをお伝えください」



あと二話で終了します。

次話でようやく、セディアが身分を回復します。

次話、最終話とも、少し文章が長くなってしまいますが、途中で分けると間が抜けた感じになるので、一気にいきたいと思います。


長い間お付き合い下さいまして、本当にありがとうございました。


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